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手紙

パンが死んでいました。車に轢かれて道端に干からびていました。あなたも見ましたか?数ヶ月前に私たちのアパートをうろうろしはじめたあの子です。茶色くて可愛らしい猫ちゃんで、名付けたのは私だったかあなただったかもう忘れてしまいましたが、こんがりと焼けたパンみたいだって名付けたあの子です。アパートの裏の道を少し行ったところでぴくりとも動かなくなっていました。帰り道にそれを見た時、私、怖くなってしまって、その場でうずくまって声をあげて泣いてしまって、これじゃ近所の人の迷惑だって気づいて、立ち上がってやっとの思いで階段を登って家に帰りました。家に帰って、手を洗っている時に鏡に映った私は、化粧も薄れていてこれじゃダメだって冷静になれたのですが、夕暮れの暗くなりはじめた部屋で一人になるとまた涙が止まらなくなってしまいました。部屋が本格的に暗くなって、怖くなって、私は電気をつけました。右手をスイッチに当てたまま、明るくなった部屋を見てぼんやりとしていたら、だんだんと涙が引いてきて、今度はとっても寂しくなってきました。何か書かなくちゃ、と思いました。手で文字を書きたくなってきました。あなたに手紙を書きたいと思いました。それで今これを書いています。あなたに手紙を書くのは付き合う少し前に交換したあれ以来ですね。あの頃、たしか普段の会話ではくだけた口調で話していたのですが、私の出した手紙はですます調で、あなたがからかってきたのを覚えています。今でも、私、手紙になるとですますで書いてしまうみたいです。どうしても普通の会話みたいに書くのは気恥ずかしいです。手紙を書きたくなって無鉄砲に書き出したのはいいものの、何を書けばいいのでしょうか。わからなくなってきました。手紙に書きたいことはいっぱいあるはずなのですが、白紙を前にすると、言いたいことが霞んでしまいます。もしかしたら、言葉よりももっと大きいものを私はあなたに届けたいのかもしれません。あ、一つ思いつきました。それじゃあ天気の話をしましょう。私、天気の話得意です。天気。いや、季節かな。最近、季節が変わる匂いを感じます。青臭くてちょっと土みたいな匂いです。冬が過ぎて、ぽかぽかとしてきて、植物たちが地上に顔を出す、そういう匂いです。花の匂いもします。小鳥たちも心なしか元気に歌っているように聞こえます。陽光が柔らかで、街ゆく全ての彩度が少し上がっているように感じます。そういう、匂いとか歌とか彩度とか全部ひっくるめて春の予感がします。春の予感って誕生の祝福と言い換えられるかもしれません。どこか生命の存在感が漂っています。少しかっこつけてしまいました。あなたの真似です。あと、最近、夕焼けがとても綺麗です。忙しそうなあなたは夕焼けを見られないかもしれませんが、時間があったらちょっと立ち止まって見てみてほしいです。青が黄色に至るまでのグラデーションが半球を覆って、雲は本当にその上に天国を乗せているかのように輝いています。結構本気で夕焼け空よりも綺麗なものはないと思います。今度、二人で見に行きましょう。空が好きな二人だったよね。
こんなことを書いていたらこの紙の余白も数行ほどになってきてしまいました。書いてみると、文字ってすぐに埋まるものですね。何を書こうかな。いつもありがとう。もっと会話をしたいです。最近、あまり話さなくて少し寂しいです。時々こうやって手紙を書くのもいいかもしれません。少し恥ずかしいですけれど。パン、しあわせな魂になってしあわせにいてください。パンの無関心さによく助けられました。ありがとう。もしかしたら、うちの前の桜の花になって戻ってきてくれるかもしれないね。またそれまで。

追伸 明日の朝、少し早く起きて朝焼けを見ませんか?(字がちっちゃくてごめん)

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