【小説】夢を願うか、死を願うか
紅茶には、L- テアニンやカフェイン、ポリフェノールといった成分が含まれている。だから、紅茶を飲むと、血糖値をコントロールできたり、脂質の吸収を抑えやすかったり、自律神経に作用したり、風邪やインフルエンザの予防にもなるそうだ。
「そんなことを信じるより、キチンと手洗いうがいを徹底した方がよっぽど効果があるのではなくて?」
「随分と現実主義ですね」
「当たり前よ。夢見心地に生きているといえば多少は良いように聞こえるかもしれないけれど、結局はただの現実逃避じゃない。」
ゴクリ、と少女の喉が上下する。カップの中で湯気をあげていた茶色い液体が彼女の体内へと姿を消す。私はティーポットを傾け、我が主である少女お気に入りの若草色のカップに紅茶を注いだ。
「…… あら、これは初めての味ね、笠井。」
「ピッコロ、というフレーバーティーでございます。先日ルピシアに立ち寄る機会がありま して。」
ルピシアは都内にある紅茶専門店のことである。
お嬢様がカップに口をつける。そして一口。私のお嬢様はどのような御姿をしていても絵になるが、私は、窓際で、差し込む夕日を眺めながらこのように紅茶をお飲みになっているお嬢様の御姿を見るのが一番好きだ。
お嬢様はゆっくりとその一口を味わい、また控えめに喉が上下した。 目を伏せていたお嬢様の瞳が現れる。そして仄かに口角を緩ませ、ソーサーにカップを置いた。
「気に入ったわ。でも次はいつものにして頂戴。」
「― かしこまりました。」
嗚呼、どうやら失敗だったらしい。お嬢様の表情からして嫌いな味ではなかったようだが、やはりフォートナム& メイソンのロイヤルブレンドには劣っていたようだ。残念ではあるが、 お嬢様の好みの紅茶を選ぶことができなかった私のミスだ。
たぷり、とティーポットの中で揺蕩うピッコロに申し訳ない気持ちになりながら、私は小さな蓋を静かに閉めた。
「それでは、新しい紅茶をご用意致しますね。」
「待ちなさい、笠井。」
ピッコロの前にお飲みになっていたハニー&サンズのアールグレイ・シュプリームが入っていたティーポットとティーカップをトレイに乗せ、そう断りを入れた私を、お嬢様は突然呼び止めた。
私はピタリと足を止め、お嬢様の方に向き直る。
「どういたしましたか、お嬢様。」
「一つ、貴方に聞きたい事があるの。」
そう言ったお嬢様は、そっと視線を窓の外へと向ける。私はテーブルの上に持っていたトレイを置き、主人の言葉へ耳を傾ける。
「笠井、貴方はどのように死にたいと願うかしら。」
しん、と室内が静寂を帯びる。
私はそっと息をつき、お嬢様へと答えを返した。
「私の命はお嬢様と共にあります。お嬢様がこの世から消えてしまうようなことがあれば、私もお嬢様と共に命を絶つ覚悟がございます。それゆえ、お嬢様と共に死ねるのであれば、私はどのように死んでも構いません。」
幼い頃から仕えてきたお嬢様と共に死ぬのは、お嬢様の執事として当たり前のことだ。この考えは、誰に何を言われようと揺らぐことはない。
なぜなら、それが私の中の常識だから。
お嬢様は窓の外を眺めたまま、私の方を見ることはない。その瞳が一体何を映しているのか、私のような一執事如きには分からない。しかし、この物憂げな表情もまた、ひっそりと私の好きなお嬢様の顔の一つだった。
お嬢様の手の中に収まるティーカップから湯気が消える頃、お嬢様はようやく口を開いた。西日を浴びるお嬢様の栗色の髪が宝石のように輝いて、お嬢様の美しさを際立たせる。
「… 笠井は、私が死んだら悲しい?」
「勿論でございます。」
「笠井は長生きしたくないの?」
「私はお嬢様にお仕えすることが生きがいでございますから。」
「悠斗。」
有栖が今にも泣きだしてしまいそうな顔で振り向いた。いや、メイクで隠し切れないほどに隈だらけの有栖の瞳には、日の光を反射してキラキラと光り輝く大粒の宝石があった。
_でも、ぽたり、と有栖 の服のレースを汚したそれを拭うことを、俺は許されていない。
「お嬢様。お召し物が汚れてしまいます。」
そう言って、胸元から白いハンカチを取り出せば、お嬢様はソーサーを置き、私からハンカチを奪い取るように手に取った。
ご主人様から「淑女たれ」と教え込まれ、溌剌とした元の気質を抑え込まれた今のお嬢様に、昔のような破天荒さは微塵も感じられない。
「…… 少しの間、一人にして頂戴、笠井。」
「かしこまりました、お嬢様。それでは、失礼いたします。」
私はトレイを再び持ち上げ、一礼し部屋の扉を閉める。長い廊下を歩く私の鼻腔を、ティーポットからまだ仄かに香るカフェインの甘ったるい匂いがくすぐった。
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