懺悔。2年以上ラジオを離れていたリトルトゥースがライブに行ってきて思うこと。
オードリーが東京ドームの舞台に登場したその瞬間、込み上げてくるものがありました。
そのくらいのエモいエネルギーが満ち満ちた空間。
と同時に、押し寄せる罪悪感。
懺悔すると、私はもう2年以上もオードリーから遠ざかっていました。
私はこの場を100%楽しむ資格があるのでしょうか。
それでも、今この身で感じられるだけの全てを余すことなく味わっていこうと、決意したのもその時です。
ライブレポートを書くような身分ではないのですが、感謝の気持ちを込めて、2年以上ラジオを離れていた「リトルトゥース」がライブに参加させていただくまでの経緯と何を感じたのかを書き残しておこうと思います。
30で社会人1年目でも、人生のスタートラインでもいいんだ
オードリーを、というか、若林正恭さんをきちんと知ったのはエッセイがきっかけでした。
その名も、人見知り芸人として知られる彼が著した「完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込」。
若林さんは長い芸人下積み時代を過ごし、M1準優勝を勝ち取った後に突然にテレビに出演し続ける多忙な日々を過ごします。その本には彼が自意識過剰で考えすぎで人見知りな自分と向き合いながら、そんな怒涛の変化に適応しようともがく日々が描かれていました。最初何もわからなかったところから、少しずつ面倒臭い自分の性格にも妥協点を見つけて、変化していく様子がしっかり読み取れました。
当時の私は、30を過ぎて離婚して、メンタルがボロボロになって仕事もままならなくて、まっすぐ昇ってきた気がしていた階段を転げ落ちたような気持ちでした。
ああもう私は二度とふつうの人のようには生きられないんだと思いながら、なんとか毎日をやり過ごしていました。
(「世の中にはもっと不幸な人もいるんだよ」っていろんな人が励ましてくれたけど、当時の未熟な私にとってはとてもつらいことだったんだから仕方ない、と今も思います。)
そんな私に、若林さんは身をもって、30で社会人1年目でも、人生のスタートラインでもいいんだ、ということを教えてくれたように感じました。
思えば私も20代はお給料をもらっていたとはいえ、新卒で専門性もなくできないことだらけ。恋愛だってこんなに長く関係を維持できたことも初めてでした。
全部、修行だったし、私は何もできてなんかいなかったんだ。きっと私も、若林さんのように今からでもいくらでも、私らしく積み上げていける。
そう思ったら、前に進めるような気がしました。
そこからラジオもきくようになり、「たりないふたり」にもハマりました。
武道館ライブはチケットがどうしてもとれず、パブリックビューイング用の映画館も都心はすべて埋まっており、23区のはしっこまで赴くことになりました。「あちこちオードリー」のDVDも買いました。
勝手に「変わってしまったなぁ」と直視できなくなる空白の日々
そんなふうに私を救ってくれたオードリーのコンテンツから、私がなぜ離れてしまったのかというと、それはたぶん、若林さんが15歳も下の女性と結婚したことがきっかけになっていたと思います。
最初のうちは特に気にしていなかったですし、ご結婚されたことは純粋におめでたい気持ちでいっぱいだったのですが、決め手は第一子の誕生。
そういったライフイベントにまつわる出来事を時にまじめに、時におもしろおかしく語る若林さんの幸せそうな様子を、どうしても、直視できなくなってきてしまいました。
それほど前進できていない私の人生に対して、彼がたどり着けない遠いところまで行ってしまった感じがしていたんだと思います。また、結婚もして人生ここまでくればもう安心、という雰囲気を勝手に感じて、勝手に変わってしまったんだなぁと思っていました。
なので、この今回のライブも、存在は随分前から知っていましたが、私が行く場所ではないと思っていました。
それなのに。
数年前、好きで追いかけていた時は、決して手に入らなかったチケットが、いろいろなご縁を経て、私のもとに舞い込んできたのです。
これはもう、本当にありがたいことで。
でも、ラジオをちゃんときけていなくて、今さらどの回からきけばいいのかわからなくて、どうしようどうしようと思いながら当日を迎えてしまいました。こんな状態で来てしまって申し訳ないなぁ、ラジオネタがわからなくても楽しめるのかなぁなんてぐるぐると家を出るまで考えていました。
“最高にトゥース”な時間に、再び救われる
会場の東京ドームに着いた途端、その熱気に圧倒され、自然と高揚する自分がいました。だってすごいんです。もうそこら中がオードリーです。
リトルトゥースことファンの人たちがみんな思い思いにグッズを身に着けて、そこら中で写真を撮っています。
気付けば私もグッズを買い込み、看板前で写真を撮っていました。
そして、開演の時。
オードリーがいよいよ目の前に現れた時、ああもうこれは本当にすごいことだと思いました。
28歳の若林さんは、35歳の若林さんは、この未来を少しでも予期できていたのかな。
オードリーは、M1準優勝から、できる仕事を積み上げて、信頼関係を築き、大いなる飛躍を経てというよりは、本当にコツコツと歩んできた方だと思います。そのコツコツの先にこんな景色があるってとてつもないことだと思ったんです。気付けば泣きそうになっていました。
そこからのトークも企画も漫才も、詳しくはリトルトゥースのレポートやニュースがたくさんあがっていると思うけれど、本当に素晴らしいものでした。
会場の展示物も、幕間の余興も、オープニングムービーも、これまで一緒にラジオをやってきた人たち、オードリーの長いキャリアの道のりでかかわってきた人たちと共に創り上げてきたことがわかるような愛と一体感が、じんじんと感じられました。
2年以上の空白期間を経ても、元ネタがわかるものはけっこうあったし、そんなこと関係なくずっと笑える楽しい時間が続き、心配は杞憂だったなぁと思いました。
若林さんがトークの中で、UBER eatsの配達員をしながら体力づくりをしていた話をしていたのですが、「オードリーの若林はドームでライブをするけれど、その肩書をとったMasayasu.Wは配達ひとつ満足にできない」というようなことを、自虐的に語っていたシーンが印象的でした。彼の中にもまだ「自意識過剰」の片りんが残っていて、それをまた一つ克服しようと頑張っているんだなぁということがわかってちょっとほっとしたような感覚です。
ドームの空気を一つにするような、とてつもないエネルギーを込めた魂の漫才も、圧巻でした。
中央にスポットライトの当たる一本のマイク。ドームの真ん中をゆっくりと歩いてくる春日氏に「こんなに長い道もないよ」というようなことを時折振り返りながら話している若林さんをみると、またちょっとじんとします。まるでここに至るまでの長い道のりをたとえているような気持ちに勝手になってしまって。
そして若林さん、今なお、全然ギラギラしていました。安定志向に入ったと思っていたのは自分の勘違いでした。
「もういいのよ」みたいなことを口では言ってるんだけど、言葉の端々に「もっと、もっと」というパワーがみなぎっているような感じで。
やっぱり憧れるなぁ。私もまだまだここからやれることあるし、今見えてない景色もたくさんあるんだろうなぁとパワーをいただきました。
私は、あの本を読んでいたころから、たくさんの時を経て再び救われたように感じました。
“最高にトゥース”な時間をありがとうございました。
またラジオを聴き始めることは許されるかなぁ。
でも長くやっていただいているからこそ、こうして、一度離れていて戻ってこられるということもあるわけで。オードリーのオールナイトニッポンはそういう器の大きさを持っていると信じています。
というわけで、おそるおそる様子をうかがうような思いで来週からまたきいてみよう、と今は思っています。
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