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気付いたら家族、みたいな感じの父娘 その5
今時それほど特殊でもないけれども、少しだけ、世の中の定型とは違う「再婚した父と家族になる」という経験をしたことについて、書き残しておきたいと思います。
余命3ヶ月かもしれない
お父さんが命に関わる病気かもしれない。
仕事中、そういった内容を伝える長文のLINEが、突然に母から届きました。
どういうこと?
内容が頭に入ってこない。
心臓をぎゅっと絞られるような苦しさが込み上げてきて、とても仕事どころじゃなくなってしまいました。
携帯でしかLINEは見られないし、執務スペースで動揺せずにその小さい文字を追える自信もありません。
私はそんな事態が起きていることを悟られないようにちょっとお手洗いにでも行くような雰囲気でそっと席を立ちました。
オフィスビルの1階にある中庭のような空間のベンチに腰を下ろして、いつもは読み流してしまう母のLINEの長文や送られてきた参照リンクを読みました。
正確に言えば検査の結果を見ないと本当のところはわからないということでしたが、仮にその病気だった場合、進行が早く、余命3ヶ月も有り得る、ということのようでした。
足元がぐらつく。暗い黒い穴。頽れ吸い込まれそうになる。
ぱっと頭に浮かんだイメージはそんな感じ。
今まで地面だと思っていた場所が崩落していくような。
気付けば泣いていました。
自分がそんなふうになることに驚きました。
小さい頃に祖父を亡くした時も、高校のクラスメイトが突然亡くなった時もこんな気持ちにはなりませんでした。
2人きりになるのが苦手でも、洗濯物は別々に干していても、私は、お父さんのことをちゃんと大切な家族だと思ってるんだ、とこの時に明確に自覚しました。
いや、そんな綺麗な話じゃないかな。
私が今こうしていろんなことをがんばるために、足元を支えてくれている確かな存在だと思い込んで、すっかり依存してたんだと痛感しました。
いつ失うかも、わからない存在なのに。
こんな時にそんなことを思うのも不謹慎かもしれないけれど。
詳細を説明したいということで、夜は実家に集合することになりました。LINEで聞いていた内容と大筋は同じでした。
そして、検査して結果を見ないことにはどう判断することもできません。感情の置き所が非常に難しい状況です。
「お父さん、すごく落ち込んでて、でも私に自分の通帳や保険関係の書類がどこにあるか初めて教えてくれたの。まだどうなるかもわからないのに」
母は父がいないところで震える声で言いました。
母の方がショックに決まってるんだから、私は動揺を見せないようにしなきゃ。
心配そうな母を励ますべく、つとめて明るく返したような気がします。
あまりいい話でもないので今となってはこの時の細かい出来事を覚えていません。
けれども結果として、要経過観察にはなったものの大事に至るような病気ではありませんでした。
初めての職務経歴書をつくる
ある日、お父さんを助けてあげてほしい、と突然母から呼び出されました。
この頃には父はサラリーマン的には定年を迎えている年齢でした。
けれど役員としてまだ働いていて、この度新たに別の重要なポジションに就く可能性があるということで職務経歴書を求められているのだそうです。
「新卒で入社してから一度も転職してないから職務経歴書を作ったことないらしいのよ。手書きでまとめたんだけど、これをタイピングしてほしくて。」
これなんだけど…と見せられたB罫の便箋にはぎっしりと、今時なかなかみることも少ない、シャープペンで書いた膨大な文字。それが、何枚も。
うわあ。これはすごい。
タイピングができないので手書きで提出しようとしていたところを母が止めて、私を頼ることにしたのだそうです。賢明な判断です。
「手間かけてゴメンネ。美味しい鰻を奢るよ」
と父は申し訳なさそうでした。
そういえば私は父がどんなふうに働いてきたのかを知らない。この会社のこのポジション、くらいは聞いていたけど、父は仕事を家に持ち込まないことをポリシーにしていたのでそれ以上を語ることはありませんでしたし、私も敢えて聞いてみるほどの関心はありませんでした。
でも、新卒で入ったけっこうな規模の会社を辞めずに勤め上げて役員にまでなっているのは実はすごいことなのかもしれない、と今さら興味が湧いてきました。
私にとって書いてある文字をそのままタイピングすることは朝飯前。それだけならこの量でも1時間もかからないでしょう。
けれど、職業病的なくせで、どうせまとめるなら、自分で理解した内容を書いて、わかりにくいところはよりPRになるように加筆修正したい、と思いましたし、単純に父がどんな仕事をしてきたのか気になりました。
私は、手書きの用紙に出てくる、わからない言葉について意味を聞くようなところから、少しずつ父の仕事人生がどうであったかを聞いていきました。
一度スイッチが入ると、こちらから質問を重ねなくても、その頃苦労したことやどんなチャレンジだったのか、それがどう評価されたのかなどを、堰を切ったように話し始めました。
結局ほぼ1日そのヒアリングと資料作成にかかりきりになりました。
美しい職務経歴書のフォーマットに父のサラリーマン人生がまとまった頃には、父も1人の男性として数十年の人生を歩んできた人間だった、という当たり前のことに心を動かされていました。
接点を最小限に、とにかく生活に慣れることに必死だった長い期間、私はちっとも父を理解しようとしない、子どもだったんだなぁと思いました。
「本当にありがとう。人生を振り返る良い機会になったよ」
最初は今回の件に後ろ向きだった父の目には静かなる闘志がみなぎっていました。
何でも1人で決めてるふりして、甘えて依存してばかりだった長い年月。
私も大人になって少しは役に立てる存在になれたのかもしれません。
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