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ウイスキー検定1級への道 その2

ウイスキー好きのみなさま、こんばんは。
2024年2月23日(金)に開催される
「ウイスキー検定1級」試験の合格を目指して勉強し、
その道筋を記事にしていきますのでよろしくお願いいたします。

前回の記事はこちらから ↓↓↓↓↓

今回のテーマは「スコットランドの重要な歴史」です。

1.はじめに

個人的には、
スコットランドの歴史が一番、得点源となるまでにたいへんだと思います。
まず、全部横文字です。
つぎに、異国の歴史なので日常生活で聞こえてくることがありません。
すべてが新しい情報です。
そして、ほぼ理解暗記ではなく単純暗記です。/(^o^)\ナンテコッタイ

嫌な理由を挙げ切ったところで諦めて勉強していきましょう。
嫌なものこそ最初に済ませておかなければ後悔しますからね。
大好きなウイスキーに直結する情報はあまり意識せずとも
頭に入ってくるでしょうから、やるべきことをやってから
ご褒美テーマに入ることにしましょう。

2.スコットランドの悲哀の歴史

では本題に入ります。

スコットランドという国において現在のようなウイスキーが
盛んにつくられるようになったのは1800年代からと比較的最近のことです。
その近代ウイスキー年表に関してはまた今度扱うとして、
まずはスコットランドという国の歴史をとんでもなくざっくりと切り取って
見ていくことにしましょう。

スコットランドの歴史の大部分は、「侵略との戦い」です。
(これは、あくまでも試験に出る歴史の話です。のどかな時代もあります。)

イメージづけるために乱暴な表現を使いますと、
スコットランドは片田舎の一国で穏やかに暮らしたい人々の集団です。
でも、
北には血気盛んなヴァイキング、南には領土拡大大好きなイングランド
この2つに侵略され時には勝ち時には負け、
最終的にはグレートブリテン王国の一部となってしまう。
それがスコットランドという国の歴史です。

大きくはグレートブリテン島の一国家であり、
遥か昔1~2世紀にはローマ帝国の一部であったこともありました。
5~6世紀にはキリスト教も伝播しております。

また、グレートブリテン王国に併合される流れの中で
清教徒革命や名誉革命の影響も少なからず受けています。
17世紀から18世紀にかけては完全にグレートブリテン王国にはならないぞと
独立のための抵抗もみられましたが18世紀後半からは
完全に連合王国の一国家という立ち位置で、
産業革命~第一次世界大戦~第二次世界大戦という流れに組み込まれます。


3.出題率が高そうなものとその理由

スコットランドの重要な戦いの歴史

ウイスキー検定試験に出る内容としては、
現在における「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」の歴史を
取り扱っても致し方ないので、
スコットランドをスコットランドたらしめる抵抗の歴史が出題されます。

国外からの侵略や国内の抵抗運動など大小様々な戦いがあったはずですが、
試験に出そうなのは
・名がつけられるほど重要であった戦い
・伝説になったり映画になったりした有名な戦い

に絞られるでしょう。

ということで列挙しますと、

1263 ラーグスの戦い 
ノルウェー王ホーコン4世率いるヴァイキング船団が侵略してきましたが
アレクサンダー3世率いるスコットランド軍が迎撃しました。

「アザミの伝説」
ホーコン4世が夜襲を狙う際に、太いとげのあるアザミを踏んで悲鳴をあげ
奇襲がバレてしまったことがスコットランド軍の勝利に繋がったという伝説が
この時生まれました。

この伝説からか、アザミはスコットランドの国花です。

1296 スコットランド国の消滅
これはなかなかえげつない年表ですね…
スコットランドがこの後未来永劫独立国ではなくなった、という意味では
ありません。

「スクーンの石」=「運命の石」
代々のスコットランド王が、
スクーンにおいてこの石の上で戴冠式を挙げたとされる石

をイングランド王エドワード1世が戦利品として持ち帰った年です。

その後代々のイングランド王は、
スコットランド王の象徴であるこの石を尻に敷いて戴冠しました。
この行為が、
スコットランド人がイングランド人の支配下に置かれることを意味する
と解釈されており、王国が消滅したという記述になるわけです。

1297 スターリングブリッジの戦い
英雄ウィリアム・ウォレスが、
イングランド王エドワード1世の過酷なスコットランド支配に対して
スコットランド民衆の国民感情を高めて抵抗運動を行い勝利します。
(1298 フォルカークの戦いから始まる制圧戦に敗れ
結局またイングランド王国の支配に戻ることになりますが)

このウィリアム・ウォレスが主役である映画『ブレイブハート』
が1955年アメリカにて公開されています。

1314 バノックバーンの戦い
ロバート・ザ・ブルース王
がスターリング城の麓のバノックバーンの地で
イングランド軍を迎え撃ち、その大戦に勝利しました。

1319年と1322年にエドワード2世率いるイングランド軍を撃破、
1327年には若いエドワード3世の大軍を補給路の切断で瓦解に追い込むなど
このロバート・ザ・ブルース王の在命中は
スコットランド軍がイングランド軍の攻勢に対し優位に立つという
たいそう珍しい状況が続くのです。

スコットランド史上またとない快挙のため、
「バノックバーン」
・スコッチ・ウイスキー 30mlを注ぐ
・トマト・ジュース でfill up
・カット・レモン をお好みで飾る
というカクテルもあるくらいです。
イングランド人の血をトマトジュースに見立てています。

1603 同君連合
同君連合とは、複数の君主国の君主が同一人物である状態のことです。
ということで、別にこの年始まったスコットランドとイングランドの
ことを示す固有名詞というわけではありません。
Wikipediaで調べたら沢山の事例が出てきます。

ここで指す同君連合は
1603年3月24日にスコットランド王ジェームズ6世が
ジェームズ1世としてイングランド王国とアイルランド王国の国王に
即位したことで成立したもの
です。

王冠連合(Union of the Crowns/Aonadh nan Crùintean)
とも呼ばれるようです。

これを契機に今のグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国の国旗、
ユニオンジャックの原型がつくられることになります。

もっとも、
イングランド側はイングランド国旗が上に来るように
スコットランド側はスコットランド国旗が上に来るように
デザインしたものをそれぞれ掲げているような状況で
決して仲良しこよしというわけではなかったようですがね…
(Wikipediaのページ下部に掲げられていた国旗のデザインがあります。)

1745 カローデンムーアの戦い
1746年4月16日に
スコットランドのインヴァネス近郊のカロデン湿原において、
ジャコバイト軍とグレートブリテン王国軍との間で行われた戦い
とあります。
土屋守先生監修の書籍の記述と上の戦いの日の年がずれていますが、
何のことはない、戦いが続いておりそのハイライトとなったのが
1746年4月16日だということです。

大切なのは、グレートブリテン王国が反乱の再発防止のためとして、
キルトとタータンの着用を禁じ氏族制度の解体を押し進めたことです。
キルトとはスコットランドの民族衣装であり、
タータンはそのデザインのことです。

日本で言えば着物を着るな!洋服を着なさい!
和柄のデザインも禁止します!ということなので、
かなり屈辱的なできごとですよね。

4.まとめ

説明を書くと長くて暗記には向かないので要点だけまとめます。

・1263 ラーグスの戦い 「アザミの伝説」
・1296 「スクーンの石」=「伝説の石」がイングランドへ
・1297 スターリングブリッジの戦い ウィリアムウォレス
・1314 バノックバーンの戦い ロバート・ザ・ブルース王
・1603 同君連合 (蘇)ジェームス6世→(英)ジェームス1世
・1745 カローデンムーアの戦い キルト,タータン禁止

これだけ記憶していればとりあえずスコットランドの歴史の選択問題は
乗り切れるのではないでしょうか。

今日の勉強のお供は、
Glemorangie 18yo でした。
それではまた次回よろしくお願いいたします!



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