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一瞬を永遠に繋ぎ止める『ラヴァーズ・キス』/吉田秋生 ほか忘れられない少女漫画のご紹介

自分が目にすることの出来る世界も経験できることも当然ながら限りがある。物語はそれを補完し、生をより豊かにしてくれるもの。15歳くらいまでマンガ家に憧れ、せっせと描いていた私。だからか、小説も映画も比べようもなく好きですが、やはり漫画、それも当時読んでいた少女マンガ作品には格別の思い入れがあります。時を経ても色褪せない輝きを放つ、そんな珠玉の作品をご紹介します。

①『ラヴァーズ・キス』/吉田秋生(小学館フラワーコミックス)

異色のハードボイルド長編『BANANA FISH』で一世を風靡した、吉田秋生先生の連作群像劇作。バナナフィッシュ連載終了後の次作となり、ファンの期待は高まりつつも、がらりと趣向を変えた【学園青春モノ】に、最初は戸惑いを覚えた記憶が。舞台は鎌倉、湘南、海辺の街でそれぞれの青春を謳歌する若者達。吉田作品らしいセンス抜群の台詞、スクリーンに映し出される映画そのもののようなカット割やモノローグなどの人物描写、全てに鳥肌が立つほどの完成度です。セクシャルな表現や描写も目を逸らさず織り込みながら、これほど読後に、ピュアな感動を与えてくれる物語を他に知りません。心に抱える傷、誰にも言えない性的指向(1999年発刊の作品です)、家族との葛藤、それらは作中の物語であるとともに、読み手である私たちにとっても避けられない、逃げられない「物語」でもある。蔦のように絡みつくそれらの記憶や足下の泥のようなものに、自分を卑下して寄り添わせ、傷つかないふりをするのは案外簡単です。向き合い、断ち切り、前を向こうとすることに、どれほど勇気がいるか。その力をくれるのが「恋愛」であるのなら、愛こそが救いであり、最も美しく強い感情である、と私は何の迷いもなく断じたい。そう今も信じられるのは、この作品に出会えたおかげかもしれません。とにかく今読んでも、全く古さを感じさせるどころか逆に新しい、限りない未来への希望を与えてくれる名作です。

②『ポケットの中の君』/冬野さほ(集英社マーガレットコミックス

冬野さほ先生の作品に初めて触れたときの衝撃は、なんというのだろう。まるで不思議でどこか不穏で、ノスタルジックな世界、でも何処かでずっと憧れて止まなかった世界に、迷いこんでしまったような。吉田作品と同じく、やはり台詞の間やカット割(私自身にとって響くポイントなのだと思います)が素晴らしく、既存の漫画作品のあるべき枠を飛び越えるセンスが全編に煌めいている。「日常」とか「この気持ち、今の瞬間」を描くことに“オチ”なんかないのは当たり前で、現在進行形で、読む者すべてにとっての物語がそこにはあります。あるはずのないカメラで追い、ふいにシャッターを切ったように、少年少女たちの、沢山の宝物が詰め込まれていることに気づかぬまま無造作に流れていく日々のある種の残酷さを、美しい”瞬間”に昇華させていく。吉田作品と同じように映画にも例えられますが、冬野先生の作品はより「音楽」に近しいものを感じます。リズムとグルーヴ感が、いっそう、切ない一瞬を鮮やかに切り取り、永遠に留まり続ける。大好きだった曲を聴いたとたんに蘇る記憶のように、大切な場所に留まり続ける『あの感じ』を、紙面を通じて今も思い起こすことができる事、触れる事ができることに喜びを感じます。

③『サボテン』/総領冬実(小学館フラワーコミックス)

総領先生の作品は、「不穏」や「不安」、少女マンガのある種のタブーにためらいなく切り込んでいきます。チャレンジとか、敢えて、というよりは、自然そうなってしまう、ただ目の前の事象や感情そのものをピュアに見つめるからこその一種のドライさ、というのでしょうか。『サボテン』は中でも忘れられず、まさに”棘のように”心に刺さり続けた物語です。大人になること。子ども・少女・大人――世の中的に「こうあるべき」指針や厳しい世間の目にさらされながら、いつのまにか、「もう大人なんだから」あるいは「まだ子供なのに」と、教えられてもいないその線引きを、自分の中で見つけ消化していくことを要求される。半分は正しさとも思いますが、もう半分は違う。出会う人も経験する事象も、たとえ家族や友人であっても異なるのに、他人の物差しで測られジャッジされることへの叫び出したいほどの違和感は、「従順な良い子」を必死に演じ続けた(その意識もないほどに)主人公だからこそ、予想もしない獣のような激しさでいつかその身を突き破りそうです。10代の一時期、誰もが、どうして、あんなに苦しいのでしょう。得たいものは得られず、なりたい自分になれず、認められたくてもそうはなれなくて、心のよすがとした「安寧」は決して永遠ではなくて簡単に裏切る。特殊な物語でありながらも、苦しみながら脱皮していくかのようなティーンエイジャーにとって、どこかに響き残り続ける物語。大人になった今、彼ら彼女らの親の目線に近づきつつある自分が、どんなふうにこの物語に再度向き合うのか。とても恐い気がするけれど、そうせずにいられない、そんな瞬間がきっと遠からずやってきそうです。

④『ふつうな僕らの』/湯木のじん(集英社マーガレットコミックス)

最後にご紹介するのは『別冊マーガレット』にて現在連載中の作品、湯木のじん先生による『ふつうな僕らの』。こうして書いてきても、”少女漫画”が私個人にとってある一時期の大切な気持ち、心の拠り所であったことからか、特に全く別種のメンタルを要求される育児・子育てを始めてからはメディアミックスされるような所謂話題作以外は、殆どコミックに触れない時期が続きました。子どもに『りぼん』を買うついでに、ふと懐かしくなって購入してみた『別マ』で出会い、本当に衝撃を受けました。冗談ではなく、かつてのいくえみ綾作品の再来ともいえる深さと「同時代性」を持った作品だと思います。『ふつうな僕らの』の登場人物達は、難病を克服した主人公・椿、聴覚障害を持つ大好きな先輩、LGBTを自覚する、ふたりを繋ぐ同級生。建前上はともかく、今現在でも「ふつう」という言葉で受け止めたり括ったりすることに抵抗のある内容ですよね。そのギャップを狙っただけのタイトルにはどうしても思えず、また実際そうではないのだと、作品を読むことで確信します。”それら"から逃れることなく、抱えて生きる彼らにとって、「ふつう」という言葉の持つ意味と重み。それらを”ふつうじゃない"と、テンプレートのように断じてしまう私たちへの、重み。主人公・椿のキャラクター造形は素晴らしく、一閃の光のように、じくじくとした痛みや闇にうつむく周りに影響し、何かを少しずつ変えていく。スタンダードな恋愛物としてのセオリーを崩すことなく、その奥に、好む・好まざるに関わらず読者が「知らなくてはいけない」テーマや現実について、目を逸らすことなく描かれる物語。ぜひ"今を生きる”多くの人、性別も年齢も関係のない多くの人に、ページを開くことで何かを受け取ってもらいたい、そんな想いに強く駆られる作品です。

(了)


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