アルトネリコの話①~人工言語の音と意味~

アルトネリコシリーズに存在するヒュムノス語。人工言語である。

さて、アルトネリコシリーズの魅力の一つは楽曲だ。

その楽曲のほとんどはヒュムノス語で綴られている。

僕はアルトネリコシリーズの楽曲が好きぴである。

曲調はもちろんだが、ヒュムノス語で歌われているという点がすごく大きい。

なぜこんなにも好きなのだろうと考えた時、音と意味が必ずしもつながらないことに気づく。

りんごという言葉の発音はringo。

ringoを音のかたまりと捉えた時、日本語を知っている人はそれに食べられる果実のりんごという意味があると解る。しかし、ringoという音の塊の意味を知らない人にとって(つまり日本語を知らない人?)はringoはただの音の塊にすぎない。

例えば、どっかのアマゾンの先住民にりんご!って言ってりんごが判ったら知ってたの!?となる。(まあ偶然そこでもringoという音がりんごという意味をしていたら別だけど今言いたいのはそういう事例じゃなくて)でも解らないからringoと言われても何も思い浮かばない。

それと同じように、日本語しか話せない人にとって日本語以外の言語、つまり外国語は基本的に意味がわからない。そして、調べれば(←ここ重要)意味が後から理解できる。

ヒュムノス語で綴られた楽曲の話に戻る。

ヒュムノス語は誰にとっての母語でもない。(ヒュムノス語を聞いて育った赤ちゃんっているのか?いたらそれはそれで面白い)人々にとって最初から意味が理解できない音であるからこそ、ゲーム内では歌詞と認識されず純粋な「音」として聞くことができる。心を動かす、心地の良い音として。一方で、ゲーム外ではヒュムノス語の翻訳によって意味のある「詞」として聞くことができる。自分が旅したキャラクターとの記憶と照らし合わせながら。思いの深みが増幅される。

一度で二度美味しい。これが俗に言うホイップメロンパン現象だ。

ここに僕が感じている魅力の構造がある気がする。


学問の世界ではしっかりした言葉があるんだろうけど自分が何も調べずに今知っている言葉だけで説明するとこんな感じになった。

じゃあどうなんだろう、これがどんな作品にどう活きて、人々にどういう影響を与えるかっていうのがこれからの興味です。

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