言葉の音と意味

アニメ『Charlotte』のエンディング曲『灼け落ちない翼』がイヤホンから聞こえてきました。しかしなんとそれはロシア語によるカバーだったのです。

曲自体には慣れ親しんでいましたが、ロシア語なもんでいかんせん意味がわからない。スキップしようとしたけど、その声はどこか心地良く思えてきました。

それはその人の歌声によるものなのかロシア語の音によるものなのかどっちなんでしょう。たぶんどっちもなんでしょうけど。

人の言葉を意味を含まない音として聞くこと。

人が口から言葉を発する場合、その言葉は意味と音に分けられます。母語の場合、意味がわかるから意味に意識が行ってしまいます。

しかし、外国語のような意味のわからない言葉だと、いや意味がわからないからこそ、言葉を純粋に音として聞くことができた気がします。

誰かにとって意味のわかる言葉であるその「音」が単純に心地よかったのです。(誰の声かにもよりますけど)

そんな事に気づいた出来事でした。

まあ特別な体験ではないんですが、すごいよねって思うことでした。

「ふのふろこー」って言ってるとこがあって笑っちゃいました。日本語だと意味不明なのにロシア語だと意味があるんでしょう。ふのふろこーってどんな意味なんでしょうか。

で、言葉を音として聞くのに関連して「スキャット」が思いつきました。

スキャットとはwikipediaが一番丁度良かったので引っ張りますけど

スキャット (Scat)とは、主にジャズで使われる歌唱法で、意味のない音(例えば「ダバダバ」「ドゥビドゥビ」「パヤパヤ」といったような)をメロディーにあわせて即興的(アドリブ)に歌うこと。 この歌唱法は、「歌」というよりも声を一つの楽器として表現することが目的である。

声を一つの楽器として扱うってことが書かれています。

私達日本人にとって、外国語でカバーされた日本の曲を聞くというのは、人間がスキャットを聞くのと似ている(たぶん)。

だからなんなん、と言われると、「より楽しめる」と思う。それだけにつきる。楽しみが増えると言うか。楽しめることが増えれば人生の豊かさにつながると思うので。人生の豊かさとか幸せとかについてまだ自信持って言えないんですけどね。

言語つながりだと前の記事でも言ったのですがアルトネリコという一連のゲームが個人的にすごく面白そうです。ゲームの中にヒュムノスという架空の言語が出てくるんですよ。ゲームの世界観の中に架空の言語が出てくるってすごい。世界観の奥行きがある。

ヒュムノス語(ヒュムノスご)とはバンプレスト・ガスト原作のコンピュータゲーム『アルトネリコ』シリーズ(プレイステーション2およびプレイステーション3用ソフト)およびその関連作品に登場する架空の言語である。 また、作品外において単にヒュムノスと称する場合はヒュムノス語そのものでは無くヒュムノス語で綴られた楽曲を指す場合もある。

wikipediaより引用しましたけど。

これが今個人的に一番好きな曲なんですが、やっぱこういう曲ってなんていうんでしょうね。



まとめると、人の言葉について考える時、僕たちの注意は言葉の「意味」に向かいやすいかもしれませんが、言葉の「音」にもう一度注目してみる。例えば乗客や荷物を乗せる船を想像してみてください。「意味」がその乗客で「音」がそれらを運ぶ船であるみたいに。音が伝達される空気を「海」と表現したらもっとわかりやすいですかね。世界中の言語を音という目線で味わってみたら自分にとっての好きな言語が見つかるかもしれませんね。そしたら世界がもっと好きになれるかもしれません。まあ、そんなことを考える契機を、ロシア語によるアニソンカバーに頂いたのでした。

以上です。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?