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記録は自分を助けるか

 五右衛門のパスタが食べたかったのにランチはどれも1000円以上するので向かいのクリエでパスタセットを頼んだら1023円した。

 私は日記をかれこれ5年ほど書いている。大学4年生の頃からおおよそ2週に1回のペースで書いている。感想も書くが、ほとんどは記録である。何月何日誰と会った。どこへ行った。何をした。疲れた。大体こんな感じで思ったことはそれ程残さない。

 先日読んだ本に、「1日の終わりに良かったことを3つ日記に書きましょう」とあるのを見た。なんてスピリチュアルと思ったが、実際やってみると確かに心穏やかになる。というか、「なんだ良いことあったんじゃん」という生の再確認になる。

 大雨の中タクシーも捕まらず、逃げ込んだ先のイタリアンが安くて美味しかった事。異動してしまった尊敬する上司から電話が来た事。臨時休業していた喫茶店が再開していた事。路地裏の隅に眠る猫。幸せの象徴。行き過ぎる人々を眺める事。意味のない横文字の並んだTシャツ。思い出せば思い出す程、取り止めもない事に幸福を感じる。なんだ良いことあったんじゃん。

 しかし、今日の五右衛門事件はどうなるのだろうか。良いことにするにはあまりにも理由がなく、悪いことは確かであまり記録したくない。ただの日常。ただそれだけ。

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