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【短編】生きるためにやること--稼ぐことについての想い出

 世の中には本当にたくさんの職業があって、その数だけ仕事があって、それをこなしていく人々がいるが、そのほとんどが無くてもいいものだなぁ、と気がついたのは小学6年生の時だった。
 当時の僕の欠かせない事といえば、毎週3回のサッカークラブにいくことと、毎月300円のお小遣いを欠かさずもらうことくらいだった。あとは、友達と毎日、ひたすら遊ぶこと。事前に約束して遊びにいくなんてこともあまりない。気がついたら誰かと一緒に遊んでいた。

 土日は祖父母の家に行っていた。土曜の夜は一緒にご飯をみんなで食べて、日曜の朝は、父親にゲームセンターに連れて行ってもらうのだ。その時だけはお小遣いとは別に100円だけ貰えて、それで好きなゲームをやる。たまにお父さんの機嫌がいいと、少し多くもらえたり、兄弟も含めて、みんなでメダルゲームをすることもあった。

 ある日のこと、僕は中学生の先輩と一緒に遊んでいた。サッカークラブで知り合った人だった。その日は、公園で遊んだ後、一緒にコンビニに入った。先輩は雑誌コーナーの週刊誌を一つ取って、流行っていたギャグ漫画のページを開きながらゲラゲラ笑っていた。僕も、それから僕の兄弟も一緒になってコンビニの中で、ゲラゲラ笑っていた。とにかくその先輩がもともと面白い人で、僕たちはいつもくっついて回っていたし、この先輩が面白いというだけで、僕にとってはめちゃくちゃ面白かったのだ。
 とてもしょうもないページだった。顔の大きいキャラが、1ページ4コマくらい使って、鼻をほじってる、とか、そんな感じだった。そのページを指さして、笑いながら、先輩が言った。
 「こんなの書いて、くっくっく、はははー!…お金もらってるんだぜ!」僕たちは一緒になって笑っていた。そのページのおかしい事ときたら!

 それから数日後のこと。土曜日のテレビは、特番を放送していた。祖父の家にはテレビが2台あるが、僕は祖父がいつも座っている座椅子から見える方のテレビで、特番を見ていた。その特番は、『仮装大賞』で、いろいろな嗜好を凝らした人たちが現れて、会場を沸かせていた。本当にいろいろなことをやっている人たちがいた。レインボーブリッジに仮装する人、有名映画のモノマネをする人、モノマネ芸人のモノマネのモノマネをする人…。一緒に見ていたおじいちゃんは、時々、「ほお〜!これはどうやっちょるかね!」と、あの厳しい顔をしかめながら言っていた。僕はその度に、「えっとね、えっとね」と解説していた。

 多分だけど、おじいちゃんに解説は要らなかったと思うし、そういうことを僕に聞きたくて言っていたわけじゃないと思う。少なくとも、今はそう思う。
 少ししてから、ある素人芸人集団が登場した。彼らのやっている芸はとにかくしょうもなくて、僕はゲラゲラ笑っていた。そのうちの一人が、「オナラでリコーダーを吹く」という芸を披露している時だった。僕は、あの先輩が言った事と同じことを言って笑った。
 「こんなことで、お金もらってるなんて!」
 僕は純粋にそう言ったのだ。

 「お前は何を言っとるんだ。」おじいちゃんの声だった。
 その声色は、よく聞く、おじいちゃんが怒った時の声だった。それはお父さんに向けられることもあれば、おばあちゃんに向けられることもある声だった。一番よく聞くのは、会社の部下に向かって、何かを叱りつけるときだ。それは僕もよく聞く声色だった。おじいちゃんが酒を飲むとよく聞く声だったからだ。特に一緒に将棋とか、麻雀とか、勝負ことをしている時に、誰かがふざけていると、出てくる声だった。
 「お前にはそれができるのか!お前にはそれができるんか?ええ?」続けて、祖父は怒鳴った。「お前のおじいさんが聞いちょるやろが!」
 僕は固まっていた。何を聞かれているのかも、何を怒られているのかもわからなかったのだ。あの時、あの家にはまるで僕とおじいちゃんしかいないみたいだった。テレビの前に二人しかいなかったけど、家の中にはみんないたはずだ。でも、二人しかいなかったようだった。いつもならおじいちゃんのこの声色を聞いて、「まったく、どしたの」と言ってくるおばあちゃんも、心配そうにこちらを見つめてくるお母さんの姿も、僕の記憶にはない。とても不思議な記憶で、あの時の一瞬だけが切り取られて、僕の心の片隅を今日という今日まで占拠している。

 今でも目を瞑ると、声が聞こえてくる。「お前にはそれができるんか?同じことが。金を稼ぐっていうのはな…。」
 まだ、学生だけど、自分でバイトをするようになったり、周りの友人が社会人になったりして、その大変さはよくわかるような気がしてきている。リアルな数字の羅列が刻まれた手帳、そういうものが身近になったのだ。この数字は、毎日毎日変動する。月に1日だけ、加算される時があるけど、それ以外はずっとマイナスだ。だけど、僕が帰省すると、祖父は、学生のうちにバイトするなんて、と焼酎で酔う度に怒ってくる。

 祖父が言いたかったことは今ならわかる。
 「いいか!人と違うことってのは大変なんだ。それをやるということが、お金を稼ぐっちゅうことなんだ!できんやつが、できちょるやつを馬鹿にする資格なんかない!お前にはそれができるんか?…んまぁ、答えられんならいいわ、しょうもない。」あの時、祖父はそう言い終わると、レモン酎ハイのグラスを持って食卓の方へと向かった。そのグラスは結露していて、すごく冷たかったから、僕はその雫が、顔に少しかかったんだとばかり思っていた。

 世の中には本当にたくさんの職業があって、その数だけ仕事があって、それをこなしていく人々がいるが、そのほとんどが無くてもいいものだなぁ、と思った。それは小学6年生の時だった。今も同じことを思うが、それは、あの時とは随分と違う気分で、僕の心の中を転がっている。僕は、どんな仕事をするべきなのだろうか、と。

 ただね、おじいちゃん、わかってほしいなぁ。あの時の僕には、小学6年には、少し難しかったんだよ。それだけなんだよ、おじいちゃん。


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