ドタバタ国際結婚してみた

婚約らしきものは2020年に既にされていたが、言うまでもなくコロナ禍で先延ばしになり、パーティーはおろか上海ロックダウンでは生存の危機を若干感じるまで追い込まれた。でもやっぱ今年の夏にやろう、とややドサクサ紛れのような感じて結婚手続きをすることを決めたのは、ロックダウンの真っただ中2022年4月であった。

いま、相方の故郷スイスで約3週間の結婚式&親戚・友人まわりを終え、日本に向かう旅路でこれを書いている。結論から言うと、大変だったしめちゃ疲れたけど、やってよかった。むしろ、このタイミングでこのような形で結婚したのは、私たちらしくて良かったと感じている。

中国に住む二人の非中国人である我々は、現在居住する中国において婚姻手続きを行うことができない。これは、①中国政府が自国民が関係しない婚姻手続きを行っていないかつ②日本政府は在外公館において日本人同士の婚姻以外の手続きを行っていない③スイス政府は在外公館においていかなる婚姻手続きも行っていない、という理由による。したがって、結婚するならばスイスか日本に行く必要があった。

コロナ禍でなければ、上海から2時間でつく日本にサクッと行って手続きをするのだろうが、世界は変わってしまった。さらに日本の入国制限は厳しく、まだ日本人との婚姻関係のない相方が日本に行く手段は結婚手続きを調べ始めた2021年8月時点ではほぼ存在しなかった。それに比べ、当時スイスは開放には至っていなかったものの、パートナービザ的なものを申請できるらしく、面倒ではあるが入国手続きをすれば何とかなりそうだった。そのため、スイスで婚姻手続きをする方向で準備をしていった。

日本にいる母親に書類取得・アポスティーユ申請などを依頼→上海にEMS送付→在上海スイス領事館経由で申請→上海スイス領事館から東京の在日本スイス大使館へ書類確認依頼→担当カントンで受理、という気の遠くなるステップを経て、2022年3月末くらいにカントンの方から「書類はオッケーなので、Civil Weddingの日程教えて」という連絡が来た。

この担当カントンは、婚姻手続き申請の際に既に決定しておく必要があった。通常スイス国内に居住の方ならばその地域のカントンで手続きを行う必要があるようだが、相方はスイス国外居住なので自由に選ぶことができた。誇り高きベルン人である相方は、当然ベルン市内のCivil Weddingを念頭に置いていたが、セレモニー場所がIT企業のオフィスのような味気のない空間だと分かり、別の選択肢を検討することとなった。セレモニー場所の見た目重視&中国からの帰国という不確定要素に柔軟に対応してくれそうな少し田舎の地域、という独断と偏見によりグラウンビュンデン州のクール市を選択した。仲のよい親戚が住んでいて、何回か遊びに行ったこともあり、ゆかりのある地域でもあった。

3月末にカントンから連絡が来た際には書類審査が完了したことに安堵する一方、二人とも「やっぱりまだ中国からは出られない」という思いが強く来年まで延期しないと無理かな…と話していた。でも、ロックダウンに入り明日の食べ物がどうなるかもわからない日々を過ごすなかで、自分たちの人生が周りの環境に流されていることに抵抗しなければならない、という意識が芽生えてきた。そして、もしかしたら長期で上海に戻れないリスクを引き受けてもまずは渡航して結婚しよう、と二人で決めた。

そこからの行動は早かった。スイスの友人や家族に手配を頼み、計画魔のスイス人たちもLast Minuiteで決めたこの計画に最大限協力してくれ、パーティーの段取りなどを決めていった。言語の問題などもあり今回は日本の友人・家族の参加は見送りとなったことが唯一残念だったが、上海で結婚パーティーをすることもあきらめていないので、その際に来てもらいたいと考えている。

金曜日に市役所でCivil Wedding,ランチタイムアペロ、そのあとCity Walking Tour, ディナー、ダンスタイムとイベント盛りだくさんの1日目、さらに私は遠く北米やオランダから来てくれた友人との久々の再開ということもあり、朝の5時までクラブで踊りあかしてしまった。これで終わりではない、2日目があったのだ。朝9時半からBrunchがあり、睡眠3時間&完全二日酔いで参加。そのあとはローデルというボブスレーのような長い滑り台で遊ぶ、という謎の企画があり、まぁ乗るだけだったらいいかと言ってみたら、滑り台の入り口までは2時間のハイキングがあり、死ぬ思いで登山。そしてスイスの山の天気、さっきまで30度近くだったのに山頂は10度前後で小雨になり寒いし貧血だし吐きそうだしという地獄を味わった。

ディナーが始まるころには顔面蒼白、みんなに一旦ホテル帰って寝てきたら、と言われるくらいに悪化。フラフラだったが、相方に「あとはディナーだけだから2時間頑張って」と言われ、なんとか踏ん張ることにする。…だがヨーロッパのコースディナーが2時間で終わることなんて、絶対にない!結果18~23時でデザートが終わり、まだおしゃべりが続いているところで退散させていただいた。1日目から飛ばし過ぎた自業自得だとはいえ、よく頑張ったと思う。公式なイベントはこれで終了、あとは個別に仲のいい人にあいさつ&ごはん食べる&遊ぶなどを繰り返した。

3週間絶え間ないパン&チーズ&ワイン&ビールの無限リピート、胃薬が手放せないハードな毎日だったが、相方の愛する人たちと深く付き合う時間を持てて、私のスイスに対する距離もぐっと近くなったと感じる。心地よい達成感とじわじわと感じる幸せを記録するために、一気に記事を書き上げた。

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