大学時代の恩師があまりにも周りにいる学生と違ってた私にくれたメッセージカード
大学在学中はおそらく?周りからは浮いた存在であったのだと思う。とにかく人と同じこと、同じものは避けて通ってきた。ただひたらすた差別化していたのではなく、目立ちたかったわけでもなく、このままでは自分が埋もれてしまうという危機感からだった。
無論そんな空気感はすぐに周りに伝わり、大学1~2年生はほぼ?大学へ行かず、バイト終わりからのクラブ遊び、もしくは友人宅へ入り浸りだった。
しかしながら大学3年生から卒業論文を書き始めなければならない学科であったため仕方なく通うようになったのだが私の選んだ研究室が、実は学生の間では一番厳しい先生の研究室であるということを知った。しっかり通わなかった私はそんなことすら知らず、研究テーマを漠然と決め、テーマに近い研究室を選んだまでだった。
前評判が悪かったからか、周りの学生が酷評するような厳しさ、居づらさなどはいっさいなく、むしろ、その時代を生きる学生たちに理解のある先生であった。
この出会いが私の人生をさらに後押ししてくれている、現在進行形。
大学時代の恩師、F先生はすでに、私は一般的な学生とは何か違うということを見抜いていたようだ。講義中の態度が悪いとか、遅刻するとかそんなことではなく、どう考えても周りと比べて見た目が、行動が浮いていたのだろう。そんなことも踏まえながらF先生は私と接してくれた。それは私にも手に取るように伝わった。
卒業研究室がスタートして初めての夏、確かフランスワールドカップの年だったと思う。研究生みなで野外特設ディスプレーで観戦しようと、普段なら歩かない、駅にして6駅を歩いて会場に向かった。そこではじめて研究室がひとつに慣れた感じがした。浮いてる自分も含めて。海沿いでとにかく朝までみな語った。自分のこと、家族のこと、趣味のこと、先生のこと、将来のこと。
そしてすぐ夏休みの研究室合宿がやってきた。
私の誕生日は7月で、大学生で言えば試験期間に突入する前。在学中は誕生日のお祝いの思い出もない。そんな流れで合宿中に誕生会を開いてもらえることとなった。
大きなケーキとプレゼント、そして個々からのメッセージカード。もちろん今でも大事取ってある。個々からのメッセージカードって貴重だと思う。
F先生からもいただいたのだが、F先生からのメッセージカードには1行、力強い筆圧で書かれていた。
「みんなと逆を行け!」
これまでの自分が行ってきてた自分が埋もれないための差別化はここで初めて肯定された。自分でも肯定できなかった。好きだからしていることももちろんあったが、埋もれないために努力していることの方が多かった。
すべて見透かされた。そしたらなんだか肩の荷が下りた。今このマガジンを書きながらでも、メッセージカードの封筒を開けた時のことを思い出すと涙が出てくる。本当に嬉しかった、有難かった。否定からはやはり何も生まれない。
実は近所に住んでいるF先生。これを機にまたお酒の席の誘いでもしてみようと思う。暖かくなったら。
最後までご覧いただきありがとうございます!ご興味を持っていただけましたら飲みに行きましょう!