嘘も秘密も隠し事も見えない裏側も尊い

私は子供向けの作品なんかも好きでたまに触れるんですけど、そういうときにちょっと思ってたことがあって。


映像作品だと、たいていは最後にスタッフロールが流れるじゃないですか。

あれ、子供のとき読まなくないですか?

なんか最後ちっちゃい文字の塊がいっぱい流れるなー、これが出てきたらもう終わっちゃうんだなー、って思うくらいで。


でも、ある程度成長して文字が理解できるようになると、あのぼやけた文字の塊の解像度がいつの間にか上がってるんですよね。
(絵本とか教育本だったら、ページのはじっことかに書いてある「おうちのかたへ」みたいなメッセージが読めるようになってて。)


で、スタッフロールに書いてあるいろんな人の名前とか役職とかが目に入ってくると、この人どんな人なのかなとか、この役職って何するのかなとか、どういう思いでやってるのかなとか、いろいろ想像しちゃうんですよ。
子供の頃だって、子供ながらにそういう裏側みたいなのを想像しちゃってたこともあるけど。

別に、「私たちはいつの間に大人になっちゃったんだろう〜」とか「純粋無垢だったあの頃に戻りたいな〜」とか嘆くような意味合いでは言ってないですよ。(元々純粋無垢だったかどうかも怪しいしw)







…何の話をしたいのかというと、「隠されてる状態も好き!」っていう話なんですよ。


なんか、「何でも包み隠さずさらけ出そう〜」みたいなのあるけど、それは心や魂の話。


飾らない感じだけじゃなくて、それがあなたの心からの表現ならたとえめっちゃ着飾っててもそこが好き!って感じ。


触れてはいけないようなものがあったり、何かを表現する上で隠すべきものがあったり。

でもそれって、「隠すもの=闇とか残念なもの」ってこととは限らない。
事情はどうあれそんな“見えないところ”がある状態も好きっていうか…。

惹かれるんだけど隠し事ゆえに、そしてあまりの得体の知れなさに近寄りがたさもとっつきにくさもある。でもだからこそ惹かれる…みたいな?





例えば、私が何かとよく触れてるコンテンツであるヒプマイの話になるけど、あれに出てくるFling Posseってチームはたぶんそんな感じ。



お互いに触れられたくないこととか秘密とか隠し事を抱えたりしてるけど、それでも今を楽しく生きてる、みたいな関係性ってなんかよくないですか?

元々ポッセはお互いに接点があったわけじゃないかりそめのチームだし、過去のこととかで触れられたくないことがそれぞれにあって、(現時点では秘密の共有を完全にはしきってないから)お互いの素性がわからない。
「隠す為?否!曝け出す為」…ってそれ違うチームのやつだw でもほんとそうよね。
そんな虚実入り混じった感じ(そこも好き)なのにあのわちゃわちゃ感。あの仲間意識。

アニメとか最近の原作にあるような逃避行してる感じもけっこう好きなんですよ〜。



やっぱね、何でもかんでも開けっ広げに話すことだけが本音で話し合うってことじゃないと思う。
「これは聞かれたくない」「今は言うタイミングじゃない」っていう本音があったらその気持ちも大事にしなきゃね。





あとは何でしょうね。


嘘っていったって、自分や他人を楽しませるための嘘もあるじゃないですか。

演劇ってある意味壮大な嘘とも言えるかもしれないし。

これからは嘘がつけなくなる時代ですよ〜(思ってることと言動が一致してないのってすぐわかっちゃうしね〜)とか言うけど、それはそれとしてですよ。

演劇みたいに嘘のパフォーマンスだとわかってて楽しむものだってある。

役者やってる人で、自分じゃない何かになるのが楽しいんですって人いると思うんですけどあれはどうなんかな。

もしかしたら、その人が演じるものの中には、自分の人格と演じるキャラの人格が混ざっちゃう瞬間もあるかもしれないよね。なんかいいよねそういうの。そこに素敵な何かが生まれそうな気がする。





何かを演じたいって思ったとき、その人は裏で何を感じてるんだろう。別に知らなくてもいいんですけど。

充足感ベースで楽しみながらやってるのと、不足感ベースで苦しみながらやってるのとでは全然違うはずだよね。

自分じゃない何かになるのは確かに楽しいけど、「自分の中の思いをさらけ出して表現したい」みたいな動機なのか、「自分には認められなくて足りないものがあるからがんばってそれを手に入れて自分の足りないところを完成させたい」みたいな動機なのかで全然違ってくる。
私だったら絶対前者がいい。
もちろん、見せたい部分と隠したい部分が人によっていろいろあるのが尊重されるべきなのは前提で。





一見すると本当の自分を隠すためにやってるように見えて、実はむしろ自分の内側をさらけ出して魅せるためにやってることとかあるよね。

ファッションやメイクだってそうかもしれない。

「👍なのはあなたが着てるその服」じゃなくて「その服も👍だしその服を選ぶあなたも👍」みたいな。

まあ何にしても、充足感ベースか不足感ベースかは自分で選べちゃうんだけど。
例えば服買いまくるとか整形も加工もしまくるとかの動機が「まだ足りない、まだ足りない」がベースにあったってわかっちゃったとしても、それでもあえてやるんだって言うならそれでもいいと思う。


そうそう、「裏が残念」みたいなよくわからん前提、あれけっこう根深くない?

メイクとか加工するとすごいけどすっぴんだと「うわ、残念😅」普段見せてる表の顔はこれだけど裏の顔がわかると「うわ、残念😅」……いや待て待て。

表がよくて裏が残念っていう二項対立ちょっと極端すぎん?バズる動画のサムネじゃないんだから()
表と裏とかいろんな面があること自体は認めるとしても、どっちかがいい悪いって分断しすぎじゃない?
もちろん見せる見せないは別の話ですよ。自分で選べるからね。



場合によるけど私は表じゃない面が見えたときにそこが尊いって思うこともあるし。

何かを演じたあとの素の状態とか。舞台裏的な?

がっつり見えるっていうよりはチラッと垣間見えるくらいが好きかもw 綻びが見えるか見えないかくらいのw





なんかね、「見えないところまで美しく」みたいな精神いいなって思ってたんですよ。今もちょっと思うけど。

でも、いつもは見えてない裏側の「美しくない」を「美しい」に変えてやろうとかわざわざ思わなくたって、本当は表裏とか見える見えないとか関係なくそもそもどこも美しいんだって思えることもあるはずなんですよ。
これもやっぱり、不足感じゃなくて充足感からくるものなんでしょうけど。


裏側は美しくないとかいう前提をひっさげたまま、ちょっと裏側が見えちゃったってときに「あ〜見えちゃった…(笑)(哀)」って。
そういうことじゃないんだよ!

「子供向けの番組やパフォーマンスも裏にはドロドロした闇が…大人の事情が…笑」とかさ。
なんで表がよくて裏が悪いみたいな言い方なん!?
「うわ〜夢が壊れる〜笑」みたいなさ。

そりゃ大人の事情もあるかもしれないよ?
でも私はどっちも含めて等しく愛したいの!
出すべきところと隠すべきところの両方があるからこそ両方が尊いんですよ!


ただ裏のことばっかりをわざわざ詮索することはないし、表だけを純粋に楽しむときは楽しむんだけど、同時に心の中では裏の尊さを超感じるのね。
…えっ私なんかタブーなこと言ってる?







…このへんにしとこうかな。


カミングアウトデーだからっていつの間に自分の性癖公開の話になったんやろww


とにかく、私はきっとそういう表現をしたいんだと思う。
だと思うじゃないわ、したい!
だって好きなんだもん!
好き避けしてたせいもあってまだちょっと怖いって感じるけど、でも好きだもん!
てかもうすでにできてたりして!?(*゚∀゚*)


飾る自分も飾らない自分も両方愛したいんです。

どっちかがよくてどっちかが悪いとかじゃない。
両方が混ざっててもたぶんいい。


飾らないと愛されないとかいう条件つきで見るってことでもなく、飾らないありのまま“こそ”がいいとかでもなく。

飾ることで表現したいんだっていうポジティブな思いと飾らない状態を等しく愛したい。


念を押すけど、どこでどっちをどれだけ見せるかは自分で自由に選べるからそれはまた別の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?