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悪の感情vs素直な私



本当はさ


悪の感情の部分って他人に対する自己防衛の形なだけなんじゃないかと思う時がある。


勿論人によるけど私の場合はね。



独身、恋人なし、作る気なし。


「一人でも楽しめるから恋人なんかいらないよ〜」
「恋愛めんどくさいし〜」
「傷つきたくないし、寂しくもないんだよね〜」


たしかに本音の部分もある。
でもそうは人には語ってるけど、寂しい。

人に対する自分の出し方だったり、人を好きになったり、好きになられたりするのが怖い。


人のことを嫌いになるのも怖いし嫌いになられることも怖い。


そういういい子ちゃんすぎる部分が自分で大嫌いだ。


好きなら好き、嫌いなら嫌い、と自分の感情を表に素直に出して、嫌われる覚悟で生きていたい。


どっちも怖いからどっちもしない。


なるべく新しい人と関わらない。関わりたくない。関わったら嫌われる。関わりたくない。


でも人が好きだ。寂しい。友達が欲しい。すぐに連絡を取り合える、気兼ねなく話せる人がそばにいて欲しい。愛してると言いたい。言われたい。抱きしめたい。抱きしめてほしい。


人が受け入れてくれないのではない、自分が人とうまくやれないだけだ。それはわかっている。



「今日は花が綺麗だ。空が綺麗だ。心が澄みきっていて、世界中の誰でも愛せそうだ。」


そんなことを思っているときに限って大嫌いな蜂が私に向かって飛んできて、ふと我に帰る。


何を調子乗ったことを考えてるんだ自分、と。


でも本来ならずっとその姿でありたい。自分も幸せな気持ちになるから。人に優しくできる人間でありたい。



でも出勤すればイライラしたトーンで話す人がいる。
電話に出ればお客様からクレームを貰う。
挨拶をすれば無視される。



そんな状況に出くわすたびに、こんなにいい子でいる必要ないんじゃないか、いい子でいると舐めてかかってくる奴がいるんじゃないかと、私もどこか強くいようとしてしまう。


すべては自己防衛のために。


そんな自己防衛をしなくても自己肯定感が強くて、自分のことが大好きだから人も大好きになれる、そんな人間でいれるようになるのは一体、何年、何十年後だろう。


全世界のすべての人間が毎日幸せで、満たされていて、自分も人も素直に愛すことのできる世界が本当に実現すればいいなと、映画やドラマを見て思う。


みんなが幸せならいいのに。自分も生きやすいのに。


死ぬ時は、自分も人も大好きだったよと思える人生でありたいな。



今日もお疲れ様です。

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