1秒ずつを生きて



琉球大学に通っていた頃、アルバイトが少し長引いて帰りのバスが無くなってしまったことがあった

頼りにできる友達もおらず、お金がなかったのでタクシーも使えず、歩けば2時間はかかる。
バス停で途方に暮れているとヤンチャめのお兄さん3人が乗った車が目の前に停まり「どこまで行く!?」と声をかけてくれた

普段だったら(どこかに連れて行かれるのかも)という不安もあったが、藁にもすがる思いだったので◯◯まで‼︎と言って狭い軽自動車に飛び込んだ


その後車内では、バイト帰りにバスを無くして困っていたこと、お兄さん達は那覇の出身だがそれぞれ内地に働きに出ていて、久しぶりに地元で集まってドライブしている最中だということを話した

せっかくの旧友の再会に水を差してしまったことが申し訳なく思ったが、バス停で呆然としている哀れな男に即座に手を差し伸べられる優しさに感動した


送っていただく道すがら、深夜までやってるタコス屋に寄ってタコスを食べた。夜中にドライブしてタコスを食べるのが沖縄の夜だった


別れ際、お兄さんたちは「おれたちこれから古宇利大橋(すごく大きくて綺麗な橋)まで行って海に飛び込んでくる‼️」と元気に行って颯爽と去っていった。あの橋めちゃくちゃ高さあるんじゃなかったっけ

別れた時点で夜も深く、ここから遠い古宇利大橋に着く頃にはちょうど朝陽が昇り始めているだろうな

早暁の透明な海に向かって飛び込む姿を想像すると、あまりの爽やかさに胸が苦しくなる


流れ星のように1秒ずつを生きているお兄さんたちの眩しさを、夏の深夜の空気を吸うとなんとなく思い出す。



ちなみに完全に余談だが、友達が沖縄のアメリカンビレッジ付近を運転していたらマッチョな黒人が車の前に飛び出し、勝手に車に乗り込み、勝手に道案内を始め、目的地につくと友達に300円を握らせて降りて行ったことがあったそう

このくらいパワフルに生きてもいいのかもしれない

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