くじら

生活の書き散らし置き場

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最近の記事

1秒ずつを生きて

琉球大学に通っていた頃、アルバイトが少し長引いて帰りのバスが無くなってしまったことがあった 頼りにできる友達もおらず、お金がなかったのでタクシーも使えず、歩けば2時間はかかる。 バス停で途方に暮れているとヤンチャめのお兄さん3人が乗った車が目の前に停まり「どこまで行く!?」と声をかけてくれた 普段だったら(どこかに連れて行かれるのかも)という不安もあったが、藁にもすがる思いだったので◯◯まで‼︎と短く叫んで狭い軽自動車に飛び込んだ その後車内では、バイト帰りにバスを無く

    • 来ないでくれと言われていたのか

      久しぶりに昼前から少し遠出した 目的の場所で用事を済ませたがまだ時間もあり、せっかく知らぬ土地に来たなら少し観光してみようか!などと意気込むと、どうやら近くに大層お力の強い縁結びの神社があると! さすがにここしばらく1人でいすぎて価値観が歪んでいそうで危ない、年始のおみくじに"待ち人来たる"と書いてあるのを鵜呑みにして、来るその瞬間をアリジゴクのごとく待ち続けているが一向にその瞬間が訪れない こりゃいっちょ、縁結んじゃうか 喜び勇んでずんずんと歩をすすめたら示されたル

      • 西陽のベランダに猫1匹

        父方の祖母が亡くなった 料理がうまくて自信家で孫思いの人だった たまたま越谷に遊びに来ていたタイミングで父から電話が入り、新松戸の病院で心肺停止状態にあるからすぐに行ってくれとの連絡だった 最後に会った時、祖母は入院していて魂が薄くなっているような、しぼみかけた風船のような印象があった 面会時間が終わり帰る時、涙目になりながら手を振ってじゃあねと言ってくれて別れた、あれが最後の会話だった ちゃんと歳をとって、老いて死ぬのは幸福なことだなと思う。最後の会話を覚えていられた

        • 複雑怪奇な愛

          僕の父親は現在宮古島で働いている。 遊びに来なさいと言われて宮古島に行ったとき、父親が色々な現地の知り合いに息子の話をしてることがわかった。 大学四年の秋、ずっと憧れていた業種に就職が決まった時、父はいち早くあらゆる知り合いたちに連絡をいれて、すごいやつだ頑張ったんだ!と自慢して回ってくれていたそうで、ずっと父親との距離感を測りかねていた自分にとってはこそばゆいような誇らしいような、そんな気持ちだった それから数年経って仕事を辞めたいと言っていることを知った時、どう感じて

        1秒ずつを生きて

          風邪の味

          ポカリの味は風邪の味だなと思う。 ポカリを飲む状況というのは決まって体調が悪い日のベッドの上であり、それ以外の日常で飲むことはまずない。 大人になってからはほとんど風邪をひくこともなく忘れかけていたが、ポカリを飲むと寝込んで看病してもらっていた子供時代の薄明るい空気や、やけに音のない部屋がフラッシュバックする。 誰もいない静かな家はどこかよそよそしく、知らない場所のように感じられた。普段お土産など買って帰ることのない父親も、こういう時は母が連絡していたのか、漫画やお菓子な

          風邪の味

          惰性を渡してくるんじゃない

          新卒から勤めた仕事を辞めるにあたってたくさんの贈り物をもらった。 しかしそれは愛ゆえの贈り物ではなく"辞める人には物をあげなければならない"という社会のルール故のものだった。 どうして頂く側のくせにそんな斜に構えたことを言うのかと思うが、 今回頂いたものは日本酒を瓶で2本、高級チョコレートなど 自分は普段から日本酒はまず飲むことがないし、甘いものもそこまで食べない つまるところ、"なにかあげなきゃ"という義務感で買われたものであり、そこに"これをあげたら喜ぶかな"とい

          惰性を渡してくるんじゃない

          さんぽの神

          とにかくよく歩く。雨にも負けず風にも負けず歩く。 家の周辺ではどこに金木犀の木があるか、大きい犬が散歩しているか、良いパン屋があるか、ほぼ網羅してしまった。散歩を極めし者、サンポマスターと名乗っても差し支えない。 が、さすがに何度もいつもの風景を見るだけではだんだん退屈になってくる。そこで手に入れたのが「さんぽ神」 散歩をするにあたり「どこで」「何をする」というちいさな目的を与えてくれる。その組み合わせはなんと1936通り! 「西に向かって歩き・犬や猫を探す」、「降りたこ

          さんぽの神

          泣いていたのかもしれない

          2022年11月、車を手放した。 理由はシンプルで、「そんなに使わない」という結論に至ったからだった。 一年間という短い期間だったが、思えばVitsとは様々な景色を共にしてきた。 雨の日にはわざと車内にこもって読書していた秋、横浜までフラれにいった冬、箱入りのミスドを買って桜を見に行った春、那須どうぶつ王国まで行くも休館日だった夏… 果たしてVitsは車として幸せだっただろうか。 Vitsを買い取り業者の工場まで運転する際、いつものように車内BGMをシャッフルすると「

          泣いていたのかもしれない

          夢の国へのハードルが高い

          あまり公言する機会もないが僕はディズニーが好きだ。 とはいえ本格的にグッズを買い集め作品を熟考するような熱意があるわけでなく、単純にあの心が浮くような空間で一日を過ごす行為が好きだ。 しかし僕がディズニーに行くには何より大きな壁、「一緒に行くヒト」の問題が立ちふさがる。 開館から園内に入り、同じものを見て感動し同じ乗り物に乗ってはしゃぐ、その過程には途方もない待ち時間や徒歩での移動時間が伴うことは言うまでもない。 この流れをそこまで親しくもない人間と共にしたならば、徐々

          夢の国へのハードルが高い