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好きやきづくりの本当の部分

何を書いていいのかよくわかっていないので、手始めに、私が高一かそのあたりにどこかのエッセイコンテストに出したものの改訂版を投稿してみることにします。

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 私はほんとうに食べることが好きですが、そんな私の食べ物好きにも、ちょっとしたルーツのようなものがあります。今日はすこしだけ、私がどうしてこんなにも食べることが好きなのか、そしてどうしてこんなにも、毎度美味しそうに食べるということにこだわっているのかのそのきっかけについて、書いてみたいと思います。

 私は小学生の頃、ほとんど祖父母と3人で暮らしていました。大正時代に当たり前だったような夫婦のかたちが、平成のこの家には依然として存在していて、具体的にはというと、祖母が家事や子育ての一切を担当し、祖父は仕事に(あと遊びにも)忙しい、というようなものでした。そんなふたりの仲は円満とは程遠く、些細なことで言い合いが絶えない日々でした。

 しかしそんな我が家にも、年に数回程度は、ふたりが長年支え合ってきた夫婦であることを感じられる機会がありました。それが、ふたりで「すき焼き」を作る時間だったのです。食材を切り、炒めるのは祖母が、味付けをして煮込むのは祖父が担当しました。私はお箸やお皿を運んで、キッチンが見える机の前に座り、ふたりを眺めていました。目線と首の動きだけでコミュニケーションを取るふたりに、一切会話はありません。けれどその姿は、いつもの2人とは思えないほどに息のあったもので、私はそんなふたりの背中がとても好きでした。

 ふたりが作ってくれるすき焼きには、ふたりにしか出せない味があります。几帳面な祖母が切る均等な大きさの木綿豆腐、強面な祖父が作ったたれの甘さ、それらが合わさってできたすき焼きの、のみこんだあとの深い味わい。それらのすべてが、普段のピリピリとした姿とは相反して、やさしく、あたたかいものでした。
 祖父は無口な人です。私が運動会で派手に転んだときも、自分の誕生日の日も、祖母の隣にいるときも、いつも何も話さず、無愛想に座っていました。しかし思えば、夕食をすき焼きにすることを提案するのは、きまっていつも祖父でした。その度に、「おとうさんはほんまにお肉が好きなんやから。」と祖母は嫌味っぽく呟いていました。ですが私は、「今晩はすき焼きにするぞ。」と言う祖父の、すき焼きづくりの本当の部分について考えてしまうのです。私はそのおいしいすき焼きを、「ほっぺが落ちそうやわぁ」と笑って食べました。祖母も笑ってタレをすすり、祖父は黙って豆腐をすくうのでした。私はそのとき、「2人が作ってくれたものを美味しそうに食べる」という行為に、義務感にも近いような何か__ただ単にすき焼きが美味しいから美味しいと言う、すき焼きが美味しいから美味しい顔をして食べる、という以外の何かを__背負ってしまっていたようにも思います。

 さて、祖父母と離れて暮らす今、私は母とふたりですき焼きを作っています。不器用な私は、集中してまっすぐに豆腐を切ります。もうちょっとかなあ、と味付けに悩む母は、きっと祖父の味を思い出しているはずです。そうして出来上がったすき焼きを家族で食べながら、私たちは自然と必ず、喧嘩ばかりしていた祖父母の思い出話をします。誰も、すき焼きを作っているときの祖父母について話すことはありません。けれど、すき焼きを食べている時の私たちの頭の中にはきっと、ふたりで台所に立つ祖父母の姿が、同じように浮かんでいると思います。祖父母は今も、ふたりですき焼きを作っているのでしょうか。

A.もうふたりでは作っていないそうです。

第一話、すき焼き、おわり。


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