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大人になったみんなの食卓に登場できる人になりたい

 「花束みたいな恋をした」といえば一番印象的なのは、ストリートビューで偶然数年前の自分を見つけるシーンだと思います。

 先ほど食卓で母が、Googleマップで香川の実家を見てみたのだと話していました。そこには数ヶ月前に免許を返納した祖父の車が写っていたそうです。退職したタイミングでずっと欲しいと思っていた車を買ったのだ、と嬉しそうに話す祖父を何度も見ていた私は、祖父が免許を返納すると聞いて複雑な気持ちになったのを覚えています。80歳を超えた祖父ですが、あんなに車が好きだったのに免許返納は英断だねと、しばらく家族の話題はそれで持ちきりでした。祖父は少し寂しそうな顔をしながら笑っていましたが、私もそれにつられて祖父が車で連れていってくれた色々な場所を思い出し、寂しい気持ちになりました。
 家族が仕事で忙しくその上ひとりっ子だった私は、祖父母がいつも相手をしてくれていました。祖父が車を運転して、祖母と3人で行った姫路城が改修中だったことや、高速を乗り継いで岐阜まで行ったこと、それだけでなく、1週間に1回習い事の送り迎えをしてくれていたことを懐かしく思いました。私は小学生だったあの時と同じ子どものままのつもりだし、祖父母もきっとそう思っているけれど、私たちは少しずつ変わっていっているのでしょう。それを証明するひとつのできごとが、免許返納だったのです。
 少しずつ、そして大きくなったラグを埋めるように、私たちは祖母が作ってくれる「いつものごはん」を、いつもの場所に座って、いつものお箸を使って噛み締めているのでした。


 私は小学校卒業と同時に東京に引っ越してきたのですが、その後も地元の友達には定期的に会っていました。2年ぶりに会った友達と町に唯一のショッピングモールに行った時、左に寄ってエスカレーターに乗る私に「そうか、あっちはそうなんやなあ。」と言われたことを思い出しました。その町ではエスカレーターを急いで使う人などいないから、どちらにも寄らず、それには横並びで乗るものだったのでした。たったの2年で私は都会の微細な習慣に染まってしまっていたようでした。今ではなんの迷いもなく新宿駅を闊歩するような人間になってしまったけれど、あの頃は岡山駅ですら迷子になっていたということを、押し入れから昔の服を引っ張り出すようにして、漸く思い出しました。

 私たちは日々成長しています。毎日数えきれないほどの選択をして、その度にいろんなことを学んでいます。そんな日々の中で私は母親とじいちゃんとのことを話し、疎遠になってしまった友達を思い出し、映画のワンシーンに思いを馳せています。どこかで少しずつ変わっていってしまったとはいえ、何度も思い出すほどの素敵な、ドライブに友達に映画だったのです。


 私の夢はふたつありました。ひとつは「大人になったみんなが新しい家族との食卓で私の話をしたくなるほどに、素敵かつ印象的な人間になること」です。もうひとつは「高校時代から付き合っている人と結婚すること」でした。どちらも10年以上前からの大切な夢です。前者に関しては、そんな自分であれるように今も頑張っているところで、それから、私の周りのともだちが将来素敵な家庭を築いていたらいいなと、そうでありますようにと密かに願っているところでもあります。そんなともだちに、新しくできた大切な家族と囲む食卓で、鯨のことを話したいと思ってもらえるほどの存在でありたいと思っています。

 後者の夢について考えました。高校時代から付き合っている人と結婚するという夢についてです。この夢に関しては、らくがきちょうに絵を描いたり、「こうこう生からつき合ってる人と結こんする」と書いたりするほどのおおきくて大切な、まっすぐな切実な夢でした。

 全てのことが少しずつ変わりゆく世の中はとても新しくて、毎日が刺激であふれています。10代は特に日々成長だと言われるように、今その渦中にいてもその目まぐるしさが簡単に自覚されるほど、大切な瞬間を生きているのだという実感がいつもあります。私はそれにしがみつくように、変わっていく全てに追い越されないように、自らを成長させることに奮闘してきました。私はそんな人生の中でたったひとつだけでも、大切な何かにこの先もずっと永遠に、「変わらないもの」であって欲しかったのだと思います。それが大切な人との愛であったなら、そんな愛を激動の日々の中でずっと保ち続けていられたなら、それ以上に素敵なことはないだろう。きっとそう思っていたのでした。

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