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「アイム・オッケー」

 このまま沈んでいきたいと思う。
 呼吸を止めて、足を動かす。フィンで水を掻いて、垂直に潜る。広い海の中でガイドロープだけが視界にある。底が見えない水の中が陸で息をするよりも心地よかった。

 水の中では言葉はいらない。それに気がついたのは小学生の時だった。海の近い町に住んでいて、みんなが水泳を習っているからという理由でスイミングスクールに連れていかれた。どもり癖があるせいで学校にはうまく馴染めず、放課後は誰かと遊ぶことなく一人でいた。僕にとって週に一回の木曜日だけが、用事のある日で特別な日だった。
 小学五年生になったばかりのとき、スイミングスクールに一人の男の子が入ってきた。飛鳥という名前の彼は身体が細くて、だけど目つきは鋭かった。誰とも話さない彼に少し親近感を持っていたけれど、話しかけることはできず、僕はいつも彼の後を泳いでいた。
 二人一組でタイムを計ることになったのは、飛鳥が来た最初の秋だった。インストラクターにペアを組めと言われて周りを見渡したが、他の子はもう友達同士でペアを組んでいて残ったのは僕と飛鳥だけだった。飛鳥は何も言わず水の中に入り、インストラクターの合図を待っていた。ストップウォッチを持つ手は汗で濡れていて滑りそうだった。インストラクターが合図を出し飛鳥は泳ぎ出した。彼は他の子よりも頭一つ以上速かった。水族館で見たどんな魚よりも水に適した泳ぎをしていた。水の中が飛鳥の居場所だと、はっきり分かった。プールの壁に手をついた瞬間、僕はストップウォッチを止める。飛鳥は水中から僕を見上げた。
「じ、じゅうはち」
 僕はしゃがんでストップウォッチを飛鳥に見せる。飛鳥は僕に手を伸ばした。
「上げてよ」
僕は飛鳥の手を掴みプールサイドへひきあげようとしたが、飛鳥は重心を後ろにかけ僕は飛鳥と一緒にプールへ落ちる。驚いて目を開けたまま視界を水泡が覆う。水泡の奥に居た飛鳥は目尻を下げて笑っていた。僕は口を開けたまま水面に浮上して、インストラクターにひきあげられた。
 僕たちはこっぴどく怒られた。水没したストップウォッチはもうつかなかった。インストラクターに飛鳥の記録を聞かれ、十八秒だと答えると、他の子たちに僕たちの不正が疑われた。僕は声に出さずに首を振ることしかできなかったが、飛鳥はいつものように澄ました顔をしていて、みんなは次第に何も言わなくなった。
 それから僕たちは何度か水中でコミュニケーションをとった。今までは必死に飛鳥の後をついて泳いでいただけだったのに、いまではわざと少し間をあけて、コースの途中ですれ違ったときに微笑みあったり、飛鳥が変顔をしているのを見て吹きだしてしまい溺れかけたり、泳いでいない時は水中で歌を歌ったりもした。イルカのように水中で前転をしたり、逆立ちをしたりした。水中だけが安全にコミュニケーションを取れる、自由な場所だった。二十五メートルプールはまだ子供の僕たちには大きくて、同じコースに飛鳥と僕だけ、それが海の中みたいだと僕は思った。
 飛鳥は僕の通っている小学校ではなく、そこから少し遠い違うところに通っていたため、お互いに顔を合わせるのはスイミングスクールだけだった。スイミングスクールからどう帰るかだけを知っていて、僕はスイミングスクールから出ているバスに乗って帰るのだが、飛鳥は自転車で通っているらしい。それ以外、お互いに何も知らなかった。

 中学校に上がると、他の子は次々にスイミングスクールを退会した。あんなにいた生徒の中で残っていたのは、僕と飛鳥の他に三人しかいなかった。相変わらず僕と飛鳥はプールサイドで話すことはなく、水中でコミュニケーションをとっていた。小学生の頃と変わったことといえば、一緒にアイスや菓子パンを食べるようになったことだ。スイミングスクールが終わった後に、僕はバスを待っていた。その間飛鳥もベンチの隣に座り、何かを食べながら一緒に待っていてくれるようになった。そしてバスがきたら、じゃあな、とだけ言って、自転車に乗ってバスが発進するよりも速く帰っていく。僕はいつも座っているバスの前から二番目の席から、自転車に乗る飛鳥を見ていた。バスの中には濃い塩素の匂いがし、乾ききっていない髪の毛がバスの冷暖房に揺れていた。
 僕たちはいつも通りスイミングスクールのベンチに腰掛け、僕はいちごのジャムが入ったコッペパン、飛鳥はソーダ味のアイスを食べていた。そのとき珍しく飛鳥が声を出した。
「たっぷりと、息をつかえばいいんだよ」
 僕の吃音は同じ小学校の男の子がからかうので、スイミングスクールでも知られていた。だからそれが、僕の吃音について言った言葉なのか、泳ぐコツを言ったのか、僕にはわからなかった。
「あ、ありがとう」
 僕は飛鳥の目を見てそういった。飛鳥は大きな口でアイスの最後の一口を食べると僕の唇の端に手をやり、擦り付けるようになぞったあと、いちごジャムのついたその指を舐めとった。僕は恥ずかしくなって俯いてしまったが、飛鳥の抑えた笑い声が聞こえた。

 飛鳥がスイミングスクールを辞めたのを知ったのは、中学二年の秋だった。飛鳥に最後にあった次の週大きな台風がきて、珍しくスイミングスクールが休みだった。最後に会った飛鳥はいつも通りで、じゃあな、といって自転車に乗って帰っていった。
 久しぶりのスイミングスクールには珍しく飛鳥の姿は見えなかった。インストラクターから、突然飛鳥が辞めたことを告げられた。僕はインストラクターに理由を聞くことはせず、いつも通りストレッチをした。まだ二人残っていた飛鳥をライバルのように見ていた男の子たちが、あいつの母親が家を出て行った、だとか、大嵐のときに海で溺れた、だとか根も葉もない噂話をしていたのを聞いたが、僕は飛鳥のように澄ました顔をして泳ぎ続けた。同じコースを泳ぐ人は誰もいなくなったけれど、僕はいつも飛鳥とすれ違うところで笑ってみたり、飛鳥のかわりに一人で変顔をしてみたりしていた。

 僕は高校進学を機にスイミングスクールを辞めて、泳ぐことから離れた。幽霊部員しかいない文芸部に入り放課後は埃っぽい、誰もいない図書室で本を読んでいた。
 そして一浪し、親の望む大学に入学した。学部説明会で隣に座っていた男の子に誘われダイビングサークルに見学に行き、そのまま部長に言われて記入した紙が入部届けだとは気づかずに、気付いたらダイビングサークルへ入部していた。相変わらず人と話すのは苦手だったが、部会があれば顔を出したし、お金がかかるダイビングをするためにもコンビニでアルバイトも始めた。
 フリーダイビングと出会ったのは、大学一年の初めての春休みだった。部員の技術アップの一環という合宿で伊豆に行ったときだった。すでにダイビングのライセンスをとり、ファンダイブに三回ほど行っていた。やはり水の中は心地よく、潜りに行くたびに帰りたくないと思っていた。だから三泊四日の合宿が、どういう目的であれ楽しみだった。
 合宿の初日にフリーダイビングの試合動画を見た。フィン一つでいくら潜れるかにチャレンジする選手を見て、僕は気付いたらその選手に飛鳥を重ねていた。水の中で自由に泳ぐ選手を見て、そこから僕はフリーダイビング、コンスタント・ウェイト・ウィズフィンに挑戦することになった。
 フリーダイビングは、静寂の世界だった。言葉のいらない、水の世界。どれだけ深く潜れるかというシンプルな競技内容。波が関係ない、穏やかな海の中で泳ぐ。僕はすぐさま熱中した。最初は十八メートルだった記録は、二十五メートル、三十メートル、四十メートルと少しずつ上がっていった。そして、目標の五十メートルに挑戦した。五十メートルにたどり着き、浮上している間に、僕はブラックアウトを起こした。呼吸を止め続けることにより、失神してしまったのだ。それから僕はまた、水から遠ざかった。

 僕がフリーダイビングに復帰したのは、ブラックアウトを起こしてから、三年が経った時だった。吃音はだいぶよくなっていたが、就活はうまくいかなかった。それでも内定をもらえた会社に勤めて、ようやく仕事に慣れ始めた頃だった。大学時代の友人に誘われ久しぶりにダイビングに行った。僕以外のみんなは社会に出てからもたまにダイビングをしていたみたいだけれど、フリーダイビングをしてブラックアウトを起こした僕のことを気遣って誘わなかったそうだ。僕も、フリーダイビングではなくダイビングなら、と思い、久しぶりに伊豆へ潜りに行った。
 久しぶりの海は怖いものではなかった。いつもと変わらず、水は僕を受け入れてくた。初めて伊豆に潜った大学一年の春休みのように、綺麗で、透き通った海が広がっていた。あの頃と同じ岩場に、同じ水草や同じ種類の魚が泳いでいた。それを見て、水を怖がり避けていたのが馬鹿らしくなった。僕の居場所は確かにここにあることを思い出した。
 それと同時に、もう一度フリーダイビングをして静寂の世界に身を沈めたかった。
 久しぶりにダイビングをしてから、すぐにストレッチやトレーニングを再開した。仕事の合間をぬってヨガやストレッチで横隔膜を柔軟にしたり、息を止めながらランニングをしたり、過酷だけれどどこか心地良く感じるトレーニングをした。瞑想をして雑念を払う。そうして、あっという間に木々の色は変わっていった。
 大学時代に通っていたダイビングセンターに顔を出し、フリーダイビングの大会に申し込んだ。

 このまま沈んでいきたいと思う。
 呼吸を止めて、足を動かす。フィンで水を掻いて、垂直に潜る。広い海の中でガイドロープだけが視界にある。底が見えない水の中が陸で息をするよりも心地よかった。やっぱり水の中が僕には適している。
 子供の頃はあんなに長かった二十五メートルは、たった十二回のストロークをするだけで到達する。次第に身体が浮力を失い、自然にゆっくりと沈んでいく。薄暗くなった視界のなか、何も考えずに潜っていく。周りには魚はおらず、ただ、静謐な中を沈んでいく。まるで大きなプールのようだと思う。肺はどんどんと収縮しているのだろう。それでも不快感はなく、静けさだけが僕を包んでいた。
 手に小さな衝撃が走る。五十メートルに到達したのだ。事前に申告した深度に置かれているタグを掴み、身体を反転させる。ここからが本番だ。足を動かして水をかき、浮上する。
 今日のコンディションは海も自分も、とても良かった。試合前のルーティーンである瞑想も穏やかにできたし、顔なじみのトレーナーや選手が久しぶりに声をかけてくれたのも嬉しかった。座禅を組んで前屈みになって横隔膜をストレッチした際もとてもよくほぐれていて、今日はいける、と確信に近いものが僕のなかにあった。
 それでも、あんなにトレーニングをしたのに、酸素が少ないと感じる。足を動かして、ただ上へ、上へと浮上する。身体はどんどんと浮上していくが、それでも、まだ半分ほどはあるだろうと思えた。
 あと二十五メートル。酸素が薄くなって、脳にいかなくなる。考え事をしてはいけないと思うのに、ブラックアウトするのではないか、という恐怖が僕を支配する。いくらストロークをしても、浮上している感じがしない。このまま、肺が小さくなったまま、僕は死ぬのではないか、と思う。それはそれで、いいのかな、とも思った。きっと彼は、水の中の、どこかに、いるのだろう。今までも、これからも。ずっと、そう、思っていた。彼が、生きていても、生きていなくても、僕と彼は、水の中でしか、うまく息が、できないのだから。残りの少ない酸素で、飛鳥の、笑顔を、思い出す。薄暗い水中は、だんだんと、明るくなってきて、それが、眩しかった。頭の中は、飛鳥で、いっぱいに、なって、それでも、僕は、ストロークを、繰り返した。飛鳥のように、泳いだ。いまの、ぼくは、どんな、魚より、水に、適して、いるのでは、ないか、と、おもう。みずが、あたたかく、なってきたのを、はだで、かんじる。ぼくの、まわりを、あすかが、およいでいる、かんじが、した。それは、ちいさな、ぷーるの、おなじ、こーすで、すれちがった、ときの、よう、だった。あすかは、たしかに、ぼくの、まわりに、いた。

 かいめんに、かおをだす。ゆっくりといきを、すいながら、ゴーグルや、ノーズクリップをはずす。水中よりつよい、ひかりの刺激が、目にとびこんできた。波のない、穏やかな海面で、審判やレスキューダイバーなどが待機しているのが見える。
 僕は手を上げて、審判に向かってオッケーサインを見せる。そして、僕は口を開いて、どもらないように丁寧に、そしてたっぷりと息を使った。
「アイム・オッケー」

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