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LGBT同性愛や同性婚について思うこと。

世界には多くの人種がいるならば、それだけ様々な考えを持つ人間がいるのは当たり前だろう。
人というのは目に見えた情報を信じていしまう傾向があるらしく、それが正しいと判断したのならばわざわざ自分の意見を変えようとは思わない。

2022年のGallup調査では史上最高の71%の米国人が同性愛を支持しているという結果が出ており、それは現在進行系で支持率が上がっていると思う。
僕が高校時代過ごしてきたカナダバンクーバーにも勿論同性愛者のカップルが多く町を歩いており、同性愛者のためのストリートがあるくらいだった。
だけどやはりLGBT問題に対しよく思っていない人間もいるわけで、カップルに罵声を浴びせる、下手すると暴行を加える等という事件も割とあった。

僕の中学にN君という男の子がいたのだが、クラスメイトの話によると休日にはスカートを履いてお化粧をして町を歩いていたという噂が流れて、その事実が発覚した後に彼は不登校になってしまった事がある。
当時の僕自身もそういった子供を見る機会がなかった為、困惑した覚えがある。「世の中には色々な人がいるものだな」と思ったのだが、特に気を止める事もなく学生時代を謳歌していただけだった。

今現在この歳になってみると、人それぞれ様々な考えを持つ人間がいるという事を学んだ。そして人の愛とは一概に一つでは語れないものだと言うことも理解ができる。
現在改めてLGBTというワードを耳にすると、昔に比べてマイノリティーの存在ではないと感じるし、今では少数派という括りで彼らをカテゴライズしてしまうのはあまりにも失礼だと思っている。

その愛の向かう場所が同姓であろうが、その人達が幸せだと感じ日々過ごせているのならばそれ以上の幸福はないと僕は思う。
LGBTに対する誹謗中傷的な呼び声「ゲイ」とか「レズ」という言葉がどれだけその人の心を傷つけるのかを理解できる環境ではない。というかそれが笑いの対象や差別の言葉として使われる。それがエスカレートして暴行などの行為にまで及んでしまうという。

綺麗事を言っている様に聞こえるかもしれないが
人なんて生き物は平等に愛を受け取り渡す事が許されている生き物だと思っている。人が産まれ愛を知る。その愛がどれだけその人の心の支えになるのか?僕は愛以上に美しい感情はないと僕は思う。
LGBTのカップルが人目を恐れ、小さく固まって抱き合っている姿を見たことがある。幸せそうな表情の裏に冷たく怯えた身体を必死に寄せ合っていた姿が痛々しかった。

その姿を見つけ一体どれだけの誹謗中傷を浴びたのだろうか?それが異性間のカップルであるのならば、何も問題が無かったのだろうか…。そう考えるととてもじゃないがいたたまれない気持ちになった。

LGBT間の愛を性癖という枠で括ってしまう。
生まれ持った愛の形というのは、人に簡単に理解が出来るものでは無いという事を理解して欲しい。
カナダのクラスメイトにもそういった子がいた。彼女はとても綺麗な顔をしていたのだが、彼女自身女性性を持っている事に違和感を持っていた。彼女の性の対象は女性であり所謂トランスジェンダーであった。
女性でありながら内面は男性なので、彼女と話す時は気兼ねなく話せる事が出来た。

彼女は至って普通。
それは飽くまでも表面上のイメージであった。だけど彼女は彼女自身の性についてカミングアウトをする人物は限られていたのだった。それをカミングアウトしたのは僕の友人であり、その友人という間柄僕にも打ち明ける事になっていたのだが、友人も僕もそういった問題に対し偏見は無かったし、それが何なのだ?という意見しか無かった。
もし仮に勇気を出してカミングアウトした結果、誹謗中傷を浴びせた所で何になるのだろうか?
何一つメリットが見当たらないし、それを敢えて言葉にする意味が理解が出来なかったのだが。
悲しいことに彼女の父親は彼女の内面を理解してくれなかったのだそう…。


僕がはっきりと口にしたいことは
人の愛に対して口を出すな!!である。
それは同性愛だけではなく、異性間でも同じである。
何処何処の誰がどう人を愛そうとも、それが貴方の生活になんの支障があるのだろうか?それ言ってした事で貴方になんのメリットがあるのだろうか?という事を理解して欲しい。

同性愛だろうが、異性愛だろうが愛は愛である。
それを余りにも安売りする様な描写があったり、それを揶揄するるような表現があったり、他人に簡単にその愛を語りづらい環境というのは僕は少し理解に苦しんでしまう。

僕の過去の付き合った女性は俗に言うバイセクシャルであった。もう遠い昔であったが、彼女は次の愛に向かっていったのは素敵な女性を見つけたからである。僕にはもはやどうする事も出来なかった。ただ次の幸せを願う事しか出来ないでいたのである。それを僕にカミングアウトするのも辛かっただろう。考えに考え、言葉も慎重に選んでいたようにも感じた。だけどそれはその人の持つ愛の形であり、他人がどうこう言う問題ではない。それがその人の幸せであるならばそれでいいのである。


僕が最後に言いたいのは
愛の形等本当に様々であるということ。
その愛の対象が同性であっても、もしかすると兄弟間であったとしてもそれを非難する権利など他人には100%ないという事。その行為は余りにも下らなくて馬鹿馬鹿しい行為だと言う事を逆に理解してほしい。
最低で最悪の行為でしかない。それが僕の考え


もはやLGBTというカテゴライズももはや要らないと思う。そういった性の問題がもう少しオープンになれば
LGBT運動なんて事もしなくても済むだろうし、それを考える事もないだろう。

十人十色。人の愛は様々だと言うこと。
人の愛を笑うな!笑う暇があれば自分の幸せに全力を注げ!
そうすれば人の愛になんて目が向かなくなるだろうから。


それが答えである…

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