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小説との距離

いつからか、雑誌やエッセイ、ビジネス本ばかりを読むようになっていた。前はあんなに小説を読んでいたのに。

小説を読むようになったきっかけは、よく覚えている。

高校3年生のとき、大学のAO入試という方式で受験をしようと思っていた。テストの点数だけで合否が決まるやり方ではなく、小論文と面接で判定されるというものだ。面接があるということで、対策をする必要があった。

(好きな本はなんですか?って聞かれるだろうな、なんか読んどこ。)
なぜか真っ先にこう思った私は、本を読んだ。とりあえず東野圭吾で良いか、ドラマとか映画にもよくなってるし。と、当時の最新作である「容疑者Xの献身」を読んだ。

軽い気持ちで読み始めたのだけど、先の読めない物語にのめり込んでしまい、朝も夜も、家でも塾の自習室でも読んで勉強が二の次になる始末。(小説を読むのは危険だ。とりあえず今読んでる容疑者Xの献身は最後まで読むけど、他の小説を読むのは受験後にしよう)と自分に小説禁止令を出した。

受験を終え、小説、取り分け東野圭吾のミステリを読みまくった。早寝の自分が日を跨ぐ時間までページをめくり続けた。辛い展開もあるのだけど、最後に「そういうことかー!」となるカタルシスがたまらない。

そこまで絶賛するのに、ここ数年小説を読めていない。それには理由があった。

のめり込み過ぎてしまうのだ。

ミステリなので、物語内で人が死ぬこともある。痛いシーンや、残酷なシーンもある。本なので映像は無い。東野圭吾さんの描写力のおかげで(≒せいで)想像してしまって辛い気持ちになったり気持ち悪くなってしまう。一冊読んだら数週間引きずって、日中も物語内の人物に想いを馳せる。

新卒入社をした4月、1ヶ月間の研修があった。その頃、私は東野圭吾の「幻夜」という作品を読んでいた。読んだことある人は分かると思うのだけど、残酷なシーンも出てくる。「白夜行」の続編的な立ち位置で、重い物語の続編とあって、これまた重い。

研修中も、研修後の帰り道も、幻夜のことが頭にあった。集中力が落ちて、心が暗くなっていった。それだけ心に爪痕を残す、素晴らしい作品だ。

ただ、日常に支障が出かけていたので読み方を変えることにした。東野圭吾の短編小説を挟みつつ、長編小説を読む。二日酔いにならないように、ビールの合間に水を飲むように。

でもやっぱり、物語にのめり込んで読む方が没入できて良い。読後感を引きずることは減ったが、小説を読むことも減ってしまった。

読了後の余韻タイムも含めて、2週間くらいの読書休暇を取ったら良いかもしれない。「はぁ…」と余韻に浸るだけの時間。

それくらいじっくり腰を据えて、また長編小説に向き合いたい。

サポートいただけたら、とってもうれしいです。が、無理のない範囲で。