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恩返しが苦手、それでも出来ることを。

じぶんは「受けた恩を返す」のが苦手です。

というか、おもいきり下手ですね。

受けた恩をその場でどうやって返せばいいのかわからない。「ギルドハウス十日町」を作ってからも、それ以前の3年以上にわたる全国の旅でも、いろんなひとたちからたくさんの恩を受けながら、そんな悩みの連続。


たとえば、地元のひとから野菜をもらったときに出た言葉が

「すみません、いまお返しできる物がなくて」

だけどそのひとは

「そんなのいいから、どうせ余り物だし」

と笑顔で返してくれました。


また違う日、なんの脈絡もなく届いた手紙。
それが冒頭の写真。

さらに別の日、お祝いにと届いた高価な品物。

いずれもまっさきにインターネットでお礼のメッセージを送り、それだけでは味気ないと思ってプレゼントを受け取った様子の写真も添えれば喜んでもらえるかなとやってみたりもしました。


そんなことがたくさんあって恩を返しきれてないなあと痛感する日々。


今日も2時間かけて、がっつりと雪ほりをしました。豪雪地帯なので一晩で積もる雪が30cmを超えることも珍しくなく、雪かきではなく雪ほり。じぶんは家のなかにひきこもっているのでそんなことする必要がないかもしれないけど、住人たちのクルマもいっしょに除雪し、そしていつ来るかわからない旅人のためにも、うちに出入りしやすいように。

さらにごはんを炊き、灯油を補充して茶の間を暖め、座布団をきれいに並べなおして。身近なところから、少しずつ。

それらがうちに集う誰かを癒し、いろいろな体験価値につながり、そのひとがどこかに行ったときにも同じように誰かのために何かをしていれば。

そういえば「恩送り」や「ペイ・フォワード」という言葉がありますね。

恩を直接返すのが下手なら、下手なりのやり方があるのかなと思います。


わが家「ギルドハウス十日町」には、無償で何かを与えられることに抵抗を感じる旅人もやってきました。「ごはんいっしょにどうぞ」と言っても「いや申し訳ないので」とやんわり断られたこともありました。

住人たちのなかにも、深夜まで仕事したりして疲れてしまい、毎度のように除雪に参加できなくて申し訳ない態度を見せるひともいます。

だけど、それはそれでいいのかな、と思います。

別の形で返ってくるんですから。

上記のやんわり断った旅人は、そのあとギルドハウス十日町のことをブログに書いてくれていたみたいで、それを読んだ別の旅人がうちにやってきてくれました。聞いたところによるとなにげに有名人だったそうです。

たびたび除雪に参加できない住人も、その分いろんな形でじぶんやギルドハウス十日町を楽しくしてくれます。


なんとなくですけど、経済や社会をダイナミックに変えるような革新的な事柄もいいけれど、そのひと自身やごくごく身近なひとの変化を促せるような小さな場とちょっとした行動がもっと必要な時代になってきている気がします。

つまり、経済学ではマクロとミクロという言い方をするそうですが、先見の明でマクロ(巨視的)に世間の動向を見つめながらも、ミクロ(微小)な行動に着手するということです。

ミクロな行動がマクロな世界を変える。

無理なく、小さく、身近なところで変化を促せる場をつくること。

まわりまわって別の形でつながる恩返しの連鎖をつくること。

それが、恩返しが苦手なソーシャルな隠居の、いま出来る恩返しの仕方だと思っています。

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。