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MAXの弟分・沖縄アクターズスクール出身の4人組ボーイズグループ『DA PUMP』について。

DA PUMP』は、1996年に沖縄アクターズスクールの男子生徒だった4名で結成された男性アイドルグループ。グループ名の「DA」は「THE」のスラング、「PUMP」は「JUMP」で「音楽にのって飛び跳ねる仲間」という意味で名付けられた。当初は¨真田さん¨という作曲家がDA PUMPのプロデューサーを担当したが、メンバーたちや所属事務所の社長の判断で作曲家を変更することになり、代わってm.c.A・Tこと富樫明生がプロデューサーを務めた。同じ沖縄アクターズスクール出身の女性グループMAXの弟分に当たり、結成時は4人組でメンバー交代、音楽面、活動方式などMAXと共通する部分もいくつかある。4人組体制で活動していた頃は10代の女子中高生ファンが中心だったが、若い男性ファンも多く獲得した。

2ndシングルリリース当時のイベント / ニュース記事(1997年)

デビュー前からテレビ出演やイベント、Zeppツアーを行うなど人気を集め、1997年8月に行ったデビューライブでは5,000人を動員。さらに2ndシングル「Love Is The Final Liberty」発売時に行った10月のライブでは約2万人(実際は18000人程度)と前回の約3倍以上の観客が集まり、当時のニュース記事では「DA PUMPに2万人が殺到」と紹介されていた。

約40%以上の視聴率を獲得した紅白初出場時のDA PUMP(1998年)

当時、彼らの所属事務所だったライジングプロダクションはジャニーズ事務所と友好関係だった縁でテレビ朝日のミュージックステーションやNHKの紅白歌合戦にも出演し、SMAPやTOKIOのメンバーたちと共演していたこともある。ちなみに紅白初出場で「Rhapsody in Blue」を披露したときの視聴率はなんと43%を叩き出した。次いで翌年の「We can't stop the music」(199年度)のパフォーマンス時には44%を獲得し、4人時代に出場した紅白では最高視聴率となっている。紅白でSMAPと共演した際に舞台裏でSMAPのメンバーと一緒にダンスを踊って遊んでいたこともあったという。1999年にジャニーズ事務所から嵐がデビューするまでの間、SMAPの対抗馬的なポジションで活躍していた。

「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」に出演したときのDA PUMPのメンバー

フジテレビの「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」、日本テレビの「速報!歌の大辞テン」・「THE夜もヒッパレ」、テレビ朝日の「MUSIC STATION」、TBSの「うたばん」・「カウントダウンTV」などの当時大人気だった音楽番組にはほとんど出演しており、特にHEY!HEY!HEY!では1997年の初登場から2004年まで常連ゲスト(男性アイドル)であった。

当時、出演していた音楽番組のワンシーン

1990年代では珍しかったストリートの要素を取り入れた「ヒップホップコンセプトの男性アイドルグループ」であり、キャッチーなメロディーの歌唱を基本としながら、ラップも織り交ぜて歌うスタイルが特徴である。このような点でDA PUMPは1994年にアンティノスレコードからデビューした5人組のダンスアイドルグループB☆KOOLの系譜グループだと言える。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでパフォーマンスを披露するDA PUMP

結成~デビュー当時はメンバーの年齢が10代で作詞・作曲などもしていなかった(振り付けは自分たちで考案していた)ため、アイドルに分類された。初期の頃はアイドル色の強いグループであったが、次第にメンバーが自らが楽曲製作に取り組み、2003年から2005年までの2年間はセルフプロデュースに転向してメンバーたちも「音楽重視で自分たちを見て欲しい!、聴いてもらいたい!」という方針でメディア露出を控えていた時期もあるなどアーティスト色の強いグループへと成長していった。

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