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追悼・坂本龍一──彼に決定的に欠けていたもの

一リスナーとして、坂本龍一との接点を少し振り返っておきたい。

坂本の比類なき才能が最もストレートに反映された分野が、映画音楽だった。その才能とは、官能的なメロディメイカーということだ。昨今、ベルトルッチの「東洋三部作」での成果がしっかり聴き継がれているようには思えず、危惧を抱く。あれほどの創意工夫と情感が込められた仕事は、坂本のキャリアの中でもそうそうないはずだ。特に『シェルタリング・スカイ』のテーマは、彼が五線譜に記した、最も哀切に満ちた旋律だと思う。

『リトル・ブッダ』のライナーノーツには、坂本の談話がある。

中でも一番大変だったのが、映画の最後に流れるエンドロールで、クレジットの部分を含めると9分を超える大作なのですが、これは4回書き直しました。「悲しいんだけど、救いのある音楽を」という、監督の非常に文学的で、かつ抽象的なリクエストに泣かされながら。結果として、僕としても近年では最も満足のいく作品が作れたと思います。

「リトル・ブッダ」オリジナル・サウンドトラック(FLCF-28240)ライナーノーツより

まさに本人の発言の通り。

テクノ・サウンドの職人としての全体像を語る余裕はないが、映画音楽との関連で言えば、『愛の悪魔』のサウンドトラックを挙げておきたい。テーマ曲は、90sのUKクラブ・ミュージックのメランコリーを完全消化したミニマル・アンビエント・テクノだった。

あとは、ブラジル音楽への憧憬。21世紀に入って、ユニットを組んでトム・ジョビンをオマージュするアルバムを制作したほどだったが、その原点は、アート・リンゼイとの共演にあるだろう。

ボサノヴァにしては、ピアノのトーンが少しクリスタルすぎる、端正すぎる気もするけど、それが坂本たるゆえんか。

個人的には、ソロ作の中では『CHASM』はよく聴いた。ブレイクビーツやエレクトロニカを脱歴史化=フュージョン化して、世界市民的なたたずまいをまぶす。やはり坂本にしかできない芸当だ。

で、ここぐらいからあまり熱心に追いかけなくなったような気がする。その理由は、今でもよく分からない。

これは私見だが、坂本は、故郷を失った異邦人の趣が生涯を貫いていた。本人としてはドビュッシー、サティ、フィリップ・グラスあたりがルーツにあっただろうが、そこに拘泥したわけでもない(乗り越えようともしていない)。坂本というジャンル、と言えば聞こえはいいけど、それはとりとめがないことの裏返しだ。多面体という構造的な存在ではなく、言い過ぎかもしれないが、ヌエ的なところがあった。世界中からリスペクトを集めながらも、実は本人は、ある種の劣等感を抱いていたのではないだろうか。

彼と接点を持ったミュージシャンはたくさんいた。共演なら、古くはYMOのほかの2人から、矢野顕子、忌野清志郎、アート・リンゼイ、イクエ・モリ、古謝美佐子、デヴィッド・シルヴィアン、ユッスー・ンドゥール、イギー・ポップ、ロバート・ワイアット、ジャキス・モレレンバウム、クリスチャン・フェネス、アルヴァ・ノト、小山田圭吾といった面々。プロデューサーとしては、フリクションやPhew、アズテック・カメラを手がけている。映画俳優としては、劇中でデヴィッド・ボウイから頬にキスされた。

相手方はほとんどすべて、ポップにおけるミュージシャンシップのボディ、色気を持っている人たちだ。誤解を恐れずに言えば、坂本にはそれが決定的に欠けていた。坂本に引き寄せられたのではなく、坂本が擦り寄ったというのが、真実に近いと思っている。音大(芸大)卒のアカデミシャンであり、プロとしての出発点がスタジオ・ミュージシャンというのも暗示的ではないだろうか。

YMOでは、細野晴臣とはかなり険悪だったときもあるという。それはそうだろう。細野はまごうかたなきポップの住人だから。同じグループのメンバーとして、坂本側に複雑な葛藤が生まれてしまったのかもしれない。

しかしながら、最期のピアノ・ソロのパフォーマンスには、やはり心打たれるものがある。物理的にやせ衰えた肉体は、ここでは足枷にならなかった。どことなく、ブルースマンっぽいのに驚かされる。彼はようやく最期に、彼なりのミュージシャンシップを打ち立て、自らを浄化したのだ。

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