【過去原稿】ブルーノートの名盤紹介──アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ『チュニジアの夜』レビュー(2004)
ブルーノートの名盤ガイドブックに寄稿したアルバム・レビューから、4枚目。
ひとつ問題提起をしてみよう。そもそもアート・ブレイキーのドラミングに、ハード・バップ~ファンキー・ジャズの器はふさわしいのだろうか? なにをバカな、と思われるかもしれない。だが、あの畳み掛けるロール奏法やニュアンスに富んだポリリズムを“祭祀のBGM”と捉えるならば、ビバップの刹那主義を乗り越えて確立されたハード・バップの構築性やファンキー・ジャズのペーソスとは、若干の食い違いが生じる。むしろ、半永続的なタイム感や覚醒をもたらすモード・ジャズ的な空間でこそ、彼の真価は発揮されるのではないか。モーダルな音楽の行き着いた先は、細分化したブレイクビーツ、つまりドラムンベースだったわけだが、「ブレイキーやトニー・ウィリアムスのドラムを早回しすればドラムンベースになる」とかつて頻繫に囁かれたのは、あながち的外れではない。
駆け出しだったウエイン・ショーターがメイナード・ファーガソンのバンドからジャズ・メッセンジャーズに引き抜かれて1年を経ての録音。ちょうどグループがファンキーからモードへの移行を模索していた時期にあたり、そのどちらでもない宙ぶらりんの音楽性は、かえって本作を奥行きのある内容にしている。冒頭の《チュニジアの夜》は、数ある他のヴァージョンのなかでも、紫煙の漂うような妖しい空気と焦燥感がひときわ鮮烈。起承転結のドラマとは異なる、奇妙に醒めた熱狂がたまらなくいい。ショーターの抽象的なサックスとリー・モーガンの輝かしいトランペット、ボビー・ティモンズの激しいグリッサンド奏法など、相変わらずのブレイキー以外も随所で見せ場を作る。《シンシアリー・ダイアナ》《ソータイアード》と進むうちにファンキーな要素もちゃんと確認できるが、もともとファンキー派のティモンズさえ、どこかヌケのいい理知的な響きを作り出している。
ところが、だ。閃光にも似たモーガンの吹きっぷりには、新しいコンセプトを意識しているそぶりはほとんど見受けられない。おそらく彼にとっては、ファンキーもモードも、突き進むための“乗り物”でしかないのだろう。天才たるゆえんだ。ジョン・コルトレーンを敬愛していたショーターが音楽監督としてジャズ・メッセンジャーズのモード化を促進したのは当然だが、彼自身は、モーガンからモードのヒントを得ていたとも発言していて、これはもう、アーティストの直観の謎としか言いようがない。
(2004年執筆)