冷やし中華、始めました。

なんとなく日常を、感情を、綴りたいなと思って。

見る専だったけど、始めてみた。

誰向けでもない、
いつか誰か向けになるかもしれない、
私の楽がき帳。



よく、

ふと思ったこと、
一瞬の想像や感情、
誰かが言った言葉を、

忘れないように手帳に書き留める。

時に一言、時に数ページに渡るまで。

それはたいてい、手書きで。

手書きの好きなところは、
その時の、自分の感情がのるところ。

あとで振り返ってみたとき、

筆圧が濃かったら、
よほど夢中になって書いていたんだろうな、とか

文字が大きかったら、
すごく自信に満ちあふれていたんだな、とか

か弱く小さな文字だったら、
誰にも知られたくない、
繊細な感情だったんだろうな、とか

いつもより少し丁寧できれいな文字だったら、
すごく大切で温かいきもちだったんだろうな、とか

紙が少ししわになっていたら、
何回も悩んで書き直したんだろうな、とか

文字が少しにじんでいたら、
涙を流しながらかいていたんだろうな、とか


その時の、その時だけしかない、
もう一度再現することはできない、
自分の感情が、確かにそこには残っている。

そこから少し、その時の感情にふれ、思い出し、
寄り添うことが出来る。

それは自分のものだけではなくて、
人からもらった、人の想いがのったものも同じ。

だから、自分の昔書いた日記や、
昔、人からもらった手紙なんかは
ずっと、ずっと捨てられないで、
一つのクッキー缶の中にとってある。

多分この先もずっと捨てられないんだろう。


そんなわけで手書きが好きな私があえてここに綴ろうと思ったのは、

パソコンで文字をうちこむのもいいなってことに
最近気づいたから。

パソコンで文字をうちこんでると、「変換」というおせっかいな機能が働いてくれる。

おせっかいな機能だけど、これが時折いい働きをしてくれることがある。

予期せぬ変換、意図せぬ変換が、
自分の感情に気づかせてくれたり、
自分だけの言い回しにしてくれたりすることがあるのだ。

例えば、「あいたい」ってうちこんだときに、
「会いたい」も「逢いたい」も出てくると思うんだけど、

その時の自分の感情でどっちの「あいたい」かかんがえてみたり、
はたまたひらがなで書いた方がいいんじゃないかってかんがえてみたり、、、

それはもちろん手書きでもできることかもしれないけど、
何気なく変換された表記にときめきを感じたり、
違和感を感じたりして、

そこから自分の感情に気づいて、
自分だけの表現にできるのが、
なんだか運命的でいいなっておもった。

だから、ここに綴ってみようと思う。

自分のありのままの言葉で、ありのままの感情をのせて。


今日の昼食は、コンビニの冷やし中華でした。
夏の始まりを感じた、6月の終わり。