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娘は私 私は娘 じゃない!

母親というのは本能のままで生きると厄介な生き物だなぁ。

特に娘を持つと。

娘を自分が生きれなかったもう一人の自分育ての実現の如く心の奥で捉えている。

声に出して誰も言わないけれど。本人も無意識のうちに。本当はこうしたかったという欲を隠しながら生きている。

娘は母親が世界の全てだから、知らず知らずに母親の深層心理を読み、母が喜ぶ方向に沿うに道を選ぶ。生まれた瞬間なくなったのに、まるでへその緒で繋がっているみたいに。母は子供にへその緒を通じてメッセージを送り、子供もまたダイレクトに親の意向を阿吽の呼吸で受け取る。

いい子、とはそういう親子でツーカーの関係性を大概持っている。

いいか悪いかは置いて、子供は生きていくために適応し、順応が必要。いわゆる処世術なのだ。世の中に受け入れてもらい、賞賛してもらえるのも土台に母子の「見えないへその緒」があるからこそ。

小学校の先生が子供たちを可愛く、教育しやすいのは、根底にそれぞれの子にこの親子のへその緒関係性があるから。幼い頃は男の子も、特に一人っ子は女の子と同じような母息子関係を持っていたりする。

問題なのは、子の成長プロセスにおいて母親がいつまでもこのへその緒メッセージを送り続け、次第に自分の思うようにコントロールしていたり、理想にそぐわない方向に行きかけると感情的になったりすることだ。子供の方は、この母親のへその緒メッセージを次第に呪縛のように感じ、疑問を持ち、自分なりの世界感、主義主張を持とうとする。体力も知力も親に近づくに従ってそれを実行してみようとする。この双方の歪みこそ俗に言われる「反抗期」だ。そう、まるで海底プレートのズレによって生じる巨大地震みたいな感じ。

親は、子供を、自分から生まれたけれど別人格を持つ大人になろうとしている人間だと認めなきゃ。母として、人生の先輩として、言うことは言いつつも引いていかないといけない。潮が少しづつ、ザーと引いていくように。

なぜ、このような持論を述べたかというと、母からラインで、

「いとこの〇〇ちゃんは、旦那さんの海外勤務について行って英語習得も兼ねてレストランで働いてるって」

とあり、裏のメッセージを読んでしまったから。

「あんたも子育てで暇になったんだから働け。娘が専業主婦というのは世間体が悪いし、友達や親戚にあんたのことを聞かれると返答に困る。」

言いたいことをオブラートを剥がすとそういうことだ。母には母のこうしたかったという生き方があるが、露骨に言葉に出して押し付けはしない。でも常に裏メッセージを送り続けてくる。そう、時代が変わって余計に厄介になった。携帯電話のラインというへその緒メッセージのせいで。

多分、一生母が生きている限り私は母の理想を願われる?だろうな。

私は、娘に絶対そうしない、とずっと誓って子育てしてきた。

ラインがへその緒ではなく、愛の糸、であるように今も願っている。

どんな道であっても娘が笑って幸せであれば私はいつも引き潮でいたい。

これまでも、

これからも。

私が私でいるために。娘が娘でいるために。


日々是感謝 羊



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