「シン・エヴァ」でのゲンドウの立ち位置の話
今回「シン・エヴァ」キャラクターの立ち位置として一番大きく変わっているのはゲンドウだと思っているので、ちょっと考えを取りまとめてみます。
旧劇でのゲンドウ
旧劇以前では、ゲンドウは明らかに乗り越えられるべき父、父殺しされるべきタイプの父として描かれていました。
シンジのモデルが庵野さん、ゲンドウのモデルが宮崎駿、ということを(こちら。ただし出典元がデラべっぴんであり、インタビューで実際に言われている訳ではないことには注意。とはいえ宮崎さんも圧がすごいタイプのようですし、全然的外れではないと思っています)イメージしていただくとわかりやすいかと思います。
序破Qまでのゲンドウ
こちらも大筋としては旧劇と変わらず、若干態度として落ち着きを見せている?ような気もしつつ、Qではバイザーが大きくなり、キャラクターデザインも、より人間離れしていきます。
「シン・エヴァ」でのゲンドウ
シンでは13号機に乗る事で、象徴的に自分もまたチルドレンであり、子供のままであることを明かす(なんで乗れるのかは不明。ネブカドネザルの鍵で神と繋がったから、とかでいいんじゃないでしょうか。そこはマクガフィンでいいし、それ以外の説明でも成り立たそうと思えば成り立ちます)。
またそのゲンドウに対して、シンジくんは超えるべき対象ではなく、対話すべき相手だと見方を変えています。
つまり、ここでゲンドウが誰を象徴しているのかが変わってくるんです。
シンジくん=自分自身→作品自身
ゲンドウ=超えるべき目標→歳をとった自分自身
鬱を乗り越え、実写や声優などのチャレンジを経て、自分は成長した。だからこそ過去を乗り越え、未来に向き会えるようになった。
だから今回はエヴァンゲリオン自身と庵野さん本人にとっても、救いと赦しの物語であったのだ、と言えるのではないでしょうか。
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