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おばあちゃんとメロン(敬老の日に、今は亡きおばあちゃんへ)

僕はおじいちゃん、おばあちゃん、特におばあちゃんが大好きだ。
世にいう「おばあちゃん子」だと思う。

なぜおばあちゃんが好きかを語るためには、まず「僕はメロンが好きだ」、という話から始めなくてはならない。

僕が子供の頃、「メロン」は「レディーボーデン」と並ぶ高級品であった。

メロンが好きなあまりに、僕はやりすぎた。
やりすぎとはどういう意味か?要するに、スプーンでこそげるだけこそいで、「これは実なのか、それとも皮なのか!?」、という部分まで食べた、という事だ。

哀れメロンの皮は、靴の中敷レベルのペラッペラ。

それを見て同居のおばあちゃんが憤怒した。
憤怒したのは何故か?彼女曰く、「男ん子は、そんな食べ方をしてはいかん」のだそうだ。

「男ん子は」という、ポリティカリーインコレクトな発言が混じっていることを許してほしい。おばあちゃんの時代には、ジェンダーという考え方がまだ浸透していなかったのだ。

憤怒したおばあちゃんはどうしたか?
サンダルを履いて出かけていった。

帰ってくると、大きなメロンの玉を抱えていた。
それをドンとテーブルの上に置いて、僕の目の前で真っ二つに切った。

そして、言った。
「さあ、これを食べなさい。」

僕は生まれて初めて半割のメロンを食べるという経験をした。

メロンにありついたからおばあちゃんが好きなわけじゃない。

おばあちゃんがメロンを買ってきて伝えたかったことは何か?
一つ目は「男の子はせこい食べ方をするな。」
二つ目は「おばあちゃんはあんたが大好きだ。」

そういうことだ。

おばあちゃんは若くして夫を亡くした。(このおじいちゃんも実に面白いおじいちゃんであったが、残念ながら今回の話の主人公ではない。)
その後一人で家を守り抜いた強い強いおばあちゃんだった。
泣くことなどないだろうと思っていたくらいだが、僕の大学の合格通知が来たとき、初めておばあちゃんが泣いているのをみた。

昨日のように思い出す。

母親とおばあちゃんが僕に先んじて合格通知の封筒を開け、玄関で歓喜の声を出したがために、何が届いて、何が書いてあったのかを僕は自室にいながら知ってしまった。

「合格か、不合格か、ドキドキしながら合格通知を開ける」、という体験をしたかったのだが。

しかし、思った。自分のことよりも、おばあちゃんが泣くほど喜んでいることが嬉しいと。

さて、そのおばあちゃんも認知症を患い、先日天国に召された。間違いなくおじいちゃんと一緒にそっちの方にいるだろう。

おばあちゃんから貰った愛情は、おばあちゃんに返す。メロンを介して教えてくれたことは忘れない。飯を食うスピードは誰にも負けない。

したがって、僕はおじいちゃん、おばあちゃんと世で呼ばれる人、特におばあちゃんたちのことが大好きだ。

※9月21日は世界アルツハイマーデーです。


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