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探偵討議部へようこそ 8章 第三話

第三話 自分を変えたくて

 キャンパス内のベンチに座り、サンドイッチ片手に一人漫画のページをめくる。推しキャラ同士が急速に接近していく展開に興奮しながら。誰かとこの感動を分かち合いたい気もするが、その相手はまだ見つからない。「漫画研究会」のハードルは高すぎるし、このまま二次元の世界に没頭する大学生活でいいのかとも思う。昼食を取る場所を毎日少しずつ変えながら、一人だけの昼休みを過ごす日々。同じところで食べないのは、「またあいつがいる」と思われたくないから。こういう毎日が楽しいかというと、楽しくはない。でも、辛くもない。

「ちょっとお時間いいかしら?ごめんなさいね。」

「すごくためになる話があるから、聞きに行かないか?そんなに時間は取らせないから。」

 (誰?人違い?) 爽やかな笑みを浮かべた男女のペアが突然話しかけてきた。自分の顔が強ばるのがわかる。二人ともあんなに敵意のない笑顔なのに。久しぶりに話しかけてくれた人がいるのに、どこまでもぎこちない自分が悲しくなる。いつまでもこんなでいいのか、とも思う。

「ねえ、行こうよ。きっと、後悔しないよ。」
 どうせ午後もすることがあるわけではない。せっかく大学に入ったのに今まで自分から行動してこなかった。これは何かの縁かもしれない。自分を変えるきっかけになるのかもしれない。

「少しだけなら。」
 気付いたら、そう答えていた。

 工学部キャンパスの一角にある古いコンクリート製の建物。その地下に「生命倫理研究会」はあった。部室内の長机に、イトウと名乗る男性と、サカキと名乗る女性との間に挟まれるようにして座った。二人とも20代半ばくらいかな。二人共々自分のために時間をとってくれて、熱心に話しかけてくれる。優しい人たちだ。

「君の可能性を開花させる、いい機会だと思うんだよ。周りの人もみんな優しいし、セミナーのコースが終わったら、前向きになれる。僕の周りの友人は、みんな『出て良かった』、って言っているよ。」
 イトウさんが熱のこもった口調でいう。

「可能性、ですか、、。なんか、大学に入るだけで精一杯で、これからどう進んでいいかも分からなくて。自信持てないな、、。」

「全ての命には、無限の可能性があるわ。もちろんあなたにも。ただ、それを開花させる方法を知らないだけ。セミナーに参加したら、その方法がわかるの。自分のありのままの姿を知ると、心が軽くなって、解放された気持ちになる。そうすれば、幸せの方からあなたに向かってやってくるわ。新しい世界が開けるの。」

 二人とも心から自分のためを思って勧めてくれているように思える。断ったら、また今晩、自分が一歩踏み出せなかった事を後悔するんだろうな。

「ちょっと覗きにいってもいいかなあ、、とは思うんですけど、お金、かかるんですよね?」
 気づけばそう口にしていた。

「そこが他のセミナーと違うのよ。セミナーは三日間あるんだけれど、一日目、二日目は無料。自分と合わない、と思ったら、それで帰ってもいいのよ。」

「三日目のお金もそんなに高額ってわけじゃないし、大丈夫。」

 二人共目を輝かせ、口々に誘ってくれる。そうか、気に入らなければ帰ったら良いのか。そう考えたら随分気が楽になった。

 セミナーへの参加を約束すると、二人は自分の手を握ってくれた。その手は暖かかった。

(続く)

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