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重層性を有する実存を巡る視覚的表象形成過程に関する考察

<注意>
このお話は超絶くだらないばかりか、またしてもオシモの方にシフトしてしまっています。ばっちいのが苦手な方はどうか続きをご覧になりませぬよう。


 赤いりんご一つを手に持って、紫のスーツに紺のシャツ、黒いタイをした俺は教壇に上がった。ザッツ・スタイリッシュ。今年初の講義だ。生徒達に舐められるわけにいかない。生徒たちの服装も千差万別。パンクみたいな格好をしているものもいれば、和装のものまでいる。流石はグラフィックデザイン科、個性的だ。

 毎年のことだが、彼らに授業を聞く意欲は見られない。正直、彼らにとって「視覚表象に関する座学」などは、さして興味が湧く話題ではないだろう。スマホでも見て過ごすのだろうか。いわば諦めみたいなものだが、俺の高尚な授業の邪魔さえされなければ、別にそれでいい。そういう奴らにはもったいない。

 有象無象の中に、ただ一人だけオーソドックスな青いスーツ姿で最前列に座っている生徒がいる。これはこれで逆に個性的だ。しかも、何やらキラキラした目をしている。そうかそうか、一人でも俺の授業を楽しみにしてくれている生徒がいたか。「まことちゃん」みたいな前髪パッツンの髪型をしているのだけが気になったが。

 「これは何ですか?」
俺は右手に持ったリンゴを掲げて生徒たちに問いかけた。

 「リンゴです!」
ハキハキと「まことちゃん」が答える。

 続いて俺は、ホワイトボードに赤のマーカーでこぶし大の円を書き、それに黒のマーカーで一本毛を生やした。

 「これは何ですか?」

 「リンゴです!」
またしても「まことちゃん」だ。

 俺は右手に持ったリンゴと、ホワイトボードの上のリンゴの絵を交互に指し示しながら再度、

 「これとこれはおんなじですか?」
と聞いた。

 「ちがいます!」
と「まことちゃん」。

 つかみはオッケーだ。掴んだのはたった一人だけど。

 「いいですか?我々の心の中にはリンゴのイメージというものがあります。それを『内的表象』と言います。リンゴ、と言われて思い浮かぶもの全てが、皆さんの『リンゴの内的表象』ということです。その中には、赤、という色だったり、甘酸っぱい香りだったり、丸い形だったり、酸味を帯びた味だったり、色々なものが含まれています。それは、皆さんの『リンゴ』に関する様々な経験、記憶から、皆さんの中に自然に形作られたものです。ですから、共通の部分もありますが、人それぞれで違うところもあります。」

 うんうんと頷く「まことちゃん」。

「それぞれの心の中の『リンゴの内的表象』から視覚的な最大公約数を取り出すと、このように丸にツノがついたような形、『リンゴの記号』になります。これがマークや記号を生み出すグラフィックデザインの一つの手法です。これを見れば、誰もがリンゴである、と認識できますね?取り出し方一つで、違ったデザインが生まれます。」

 「質問があります!」
突然「まことちゃん」が挙手し、立ち上がった。

 「何でしょうか?」
今から思えば、これがいけなかった。質問を受け付けるべきではなかったのだ。

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 「あの、僕は、以前はi-modeの携帯を使っていました。少しスマホに変えるのが遅かったのです。それで、iPhoneを持っていた友達に、絵文字付きのメールを送ったのですが、、。」

 一体何の事だ?携帯事情の事を質問されてもわからんぞ。

 「『音符』のマークを送ったのに、『うんち』のマークになってしまったのです。三段重ねのやつ。」

 な、何だって!それは悲しい事故だ。不ウンとしか言いようがない。「昨日は楽しかったね♪」と「昨日は楽しかったね💩」の間にはウン泥の差がある。だが、それをなぜ今ここで告白する?

 「それは、imodeの『音符』とiPhoneの『うんち』の絵文字コードがたまたま一致していた事から生じたのですが、その時から僕はずっと疑問なんです。」

 「何がですか?」

 「なぜ、うんちのマークは三段重ねなのですか?先生の先程のご説明では、『内的表象』は経験や記憶から生まれるとのことでした。ですが、僕は寡聞にして、周囲に『三段重ね』を実現した人物を知りません。『内的表象の公約数』をデザインしたものが記号、マークになるのであれば、それはおかしくないですか?質問を変えれば、、。」

 「まことちゃん」の目は今やギラギラと輝いている。

 「なぜ、誰も『三段重ね』をしたことないのに、当然のようにその形がうんちのマークとして人々に受け入れられているのですか?誰の経験、記憶にもなく、先生のおっしゃる『内的表象』にはなり得ないはずなのに?」

 こ、こいつ侮れん。熱心な生徒と思いきや要注意人物だったか。伊達に「まことちゃん」の髪型はしとらんな。しかも俺の高尚な授業の中で『三段重ね』を連呼しやがって、何だと思ってるんだ!だが、俺を、いや、ウィキペディアを甘くみるな。後悔させてやるぜ。俺に論争を挑んだことを。

 「現代においてはどなたもおトイレを使いますね。ですが、まだ下水道が整備されていない昔は野原で用を足す事も多かったのです。そのような場合には、放出される地点と着陸する地点が近いため、螺旋状になることが多かったと考えられています。有名なのは300年前のベルナール・ピカールの風刺画ですが、日本でも鎌倉時代に書かれた絵の中に、あなたのいう『三段重ね』に近いものが描かれています。つまり、あのマークはかなり以前から、洋の東西を問わないデザインとして使われていたのです。」

 どうだ見たか。俺の無駄知識!俺は勝ち誇って「まことちゃん」を見返した。だが、奴は引き下がらない。

 「『かつてどうだっだか』、はこの際関係ありません。よしんばかつてはあの形が一般的であったとしても、今を生きる現代人のほとんどはリアルな『三段重ね』を見たことなどないはずです。見たこと、経験したことのないものは『内的表象』足りえません。なのになぜ、皆、あの形に何の疑問も持たず、絵文字として使ってるのか、を知りたいのです。」

 あの絵文字、そんなに使うか?しかし俺には何の反論も思い浮かばない。クラスはザワザワしはじめた。神よ!今こそ我にセレンディピティーを!

 「‥…‥。次回までの先生の宿題にしておきます。」

 クソっ!ウン命は我に味方せず。

$$

 (現代において、現代において、、。アイタタタタ、、。)
 俺はしばらくその事ばかりを考えていた。次の授業はもう明日に迫っているのだが、奴の疑問に何らの解釈も思い浮かばない。「まことちゃん」の顔を思い浮かべると、お腹が痛くなってくるくらい俺は追い詰められていた。

 その時、奇跡が起きた。

 急に訪れた便意にトイレに駆け込み、スッキリした後、チラッと自分の『落とし物』に目をやると、まごうかたなき『三段重ね』!美しき螺旋の回転!

 『三段重ね』は現代にもちゃんと生きていた。俺は悟った。おそらく言わないだけで皆が一度は経験しているのだ。考えてみたら、いちいち形など他人に言うわけない。「まことちゃん」のやつは、あんな髪型していながら、未だその幸ウンに預かっていないに違いない。かわいそうな奴め。

 あまりの美しさに次回の授業で提示しようと思い、ポケットからスマホを取り出す。写真アプリを起動した瞬間、我に帰った。

 「いくらなんでもこれは他人に見せられない。」

 (了)

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