タバコと告白と不器用と
なぜこの女性用下着メーカーを就職先に選んだのか?面接では言えなかったが、僕なりの理由はある。幼稚園の頃から近所に女の子しか住んでおらず、もっぱら女の子に混じって遊んでいた。と言っても、おママゴトばかりをしてきたわけではない。チャンバラをしたり、庭でビー玉を転がしたり、側溝に笹舟を浮かべてみたり、「探検ごっこ」で大きな段ボール箱の中に隠れてみたり、人並みに男の子らしい遊びもした。ただ、遊ぶ相手が女の子だっただけだ。
隣の子はチイちゃん、向かいはユウコちゃんだったか。その逆だったかもしれないが、二人とも優しい子だった。「今日は何して遊ぶ?」と聞いてくれて、二回に一回は僕のしたい遊びに付き合ってくれた。
男の子はすぐに僕を子分扱いする。あれも幼稚園の頃だったか、公園の砂場に誰かが遊んで忘れていった超合金のロボットがあった。ハナを垂らしたガキ大将が僕に、「あれを盗ってこないと遊んでやらないよ。」と言った。別に遊んで欲しくはなかったが、「弱虫」と馬鹿にされるのが嫌で、盗んでしまった。僕には変に負けず嫌いのところがあった。
「お前のもんだ。」
盗ってきたのはいいが、ガキ大将はそれで満足したのか、あるいは共犯になりたくなかったのか、ジャイアンとは真逆の事を言った。欲しくもない「男の勲章」を家に持ち帰ると、これで遊んでいた子は今どうしてるかな、と気になって泣いてしまった。
僕の様子がおかしいことに気づいた姉と一緒に、元の砂場に夕方返しに行った。そんなこんなで僕は、同じ遊びをするのでも、ハナタレで不潔で、乱暴者の男の子とより、いい匂いのする女の子の方が気持ちは落ち着いた。
多分そんな経験が影響して、僕は女性用下着メーカーに就職した。女性に寄り添い、満たしてあげたい、という気持ちだった。
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大手は男女比率が限りなく半々に近いらしいが、僕の就職した会社は違った。8割が女性、残りの2割が男性。大阪支店に配属された男性は、僕とタカナシの二人だけだった。
いったいこの職種において、男性は圧倒的不利だった。ブラのつけ心地、パンティーの履き心地なんか男性にはわからない。「女性が下着に求めるもの」は男性目線からは窺い知れない。要するに、「布が少なければ少ないほどいい」となってしまうから。ただ僕は、「女性の話を丁寧に聞いて、気持ちに寄り添うこと」だけは誰にも負けない、と思っていた。幼い頃から女の子と遊んでいたもの。
タカナシは明らかに僕の苦手なタイプの男だった。自信家で、見栄えも良く、仕事も出来た。「タカナシ」の名前と相反して、本人はいわば猛禽類であった。「女の園」に放たれた彼は、パクパクと瞬く間に版図を広げていった。
一度などは彼主催の「日帰り温泉旅行」に2対2で誘われたのだが、やってきた女性が二人とも彼の元カノだったので、仰天してしまった。男女ともに一体どういう神経をしているとこんな事が現実に起こるのかよくわからない。ただ嵐が起きないよう右往左往するばかりであった。タカナシは女性を満足させる秘密の術を心得ているらしく、大きな怪我なく次から次へと乗り換える。その波乗りのうまさは熟練のサーファーを見ているかのようだ。僕とは違う意味で女性のことをよく知っているのだ、と思った。
僕の方はというと、職場のマスコットのように可愛がられたが、その可愛がられ方は相撲部屋のそれに近いものがあった。飲み会では女性の間でもみくちゃにされ、質問攻めでプライベートを丸裸にされ、あるいは大きいだの小さいだの逆セクハラを受けた。そこにはチイちゃんもユウコちゃんもいなかった。「カワイイー」を連発され、赤面して小さくなる僕を救ってくれたのが、隣の部署のトミモトさんだった。
「あんたらええ加減にしーや。怖がってるやないの。」
一言で場を収めた彼女は、細身のスーツにパンツルックがよく似合うスレンダーな女性。切長で挑戦的な瞳と、ツンと上を向いた鼻の持ち主だった。見かけは華奢だったが、醸し出している雰囲気は「姉御」。細いメンソールのタバコを吹かす姿がなんとも絵になっていた。
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「この後時間あるん?」
飲み会の後駅の方に向かって歩き出した僕の前で、トミモトさんは腕を組み、仁王立ちした。有無を言わせぬ雰囲気。「はい。」以外の選択肢はなさそうだ。
駅の近くの喫茶店に入り、コーヒー二つを注文すると、トミモトさんは長い足を組み、メンソールのタバコに火をつけた。右を向いてフーッと息を吐くと、おもむろに口を開いた。
「随分可愛がられているみたいやね。」
悪戯っぽく笑う。
「いえ、、多分、面白がられてるだけです、、。」
小さくなる僕。
「あんまり女性の扱いが得意そうに見えへんなあ、自分。なんでウチみたいなところに入ってきたん?」
何故かはわからないが、その時僕は「からかったりしない人だ」、と直感で理解した。まだ誰にも話したことのないことが自然に口をついて出てきた。チイちゃんとユウコちゃんのこと、超合金を盗ってきてしまったことや、男性の中にいるのが苦手で、女性に寄り添い満たしてあげるような仕事につきたい、と思ったことも。
「ふーん、、。」
トミモトさんは頷きながら話を聞いていたが、不意にタバコを消すと、僕の正面に向き直った。
「あんなあ。女性はあんたの言うほど優しいもんではないよ。大人の女が考えることはなあ、実際、抱いてみいひんとわからへんわ。今から、どう?私、上手やで。」
その時、時間が止まった気がした。
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その日、トミモトさんが「上手」なのか、そうでないのか、僕には判らなかった。ただ、「上手だ」と自分で言うってことは、色んな人にそう言われたことがあるってことなんだろうな、と漠然と考えた。気づけばそれまでほとんど意識したことなかった彼女の姿を目で追っていた。自分でも説明のつかない感情に捉われて。
女性の気持ちに寄り添える、と思っていたはずの自分が、彼女の気持ちを全く読めない事に気づいた。ただ、強気に見えて彼女は驚くほど周りに気を配っていた。いつも背筋が伸びていて、とても綺麗だった。そして、意外と不器用だった。
「トミモトさん、ええと思わん?」
デスクでぼーっとしている僕の肩を抱き、話しかけてきたのはタカナシだ。近いぞ近い。それに臭い。男性フェロモンの匂いがする。迷惑に思う僕の様子に構う気配もなく、タカナシは続けた。
「美人だし、あの強気な感じがたまらんわ〜。今度お相手願おうかな。」
その言葉に一瞬、レスリングのテクニシャン同士が激しく寝技を競い合うような映像が浮かんだ。「私を甘くみないことやね、相手したろうやないの。3分でフォールしたるわ。」とか言って、、。とても嫌な想像だった。自分でも出どころの判らない怒りに駆られて、ついつい強い口調になった。
「そういうのいい加減にしたほうがいいぞ。」
「お前は真面目か。大体、俺らは女性を相手にする仕事なんやから、女性の事よう知らんといかんやろ。実地で勉強するんの何が悪いん?男女の合意の上やし、そんなこと言われる筋合いないわ。」
タカナシは半笑いで言い返してきた。腹立たしいことに、それは概ね正論でもあった。
男の勝負は電撃戦。その日会社帰り、僕は目撃してしまった。背筋を伸ばして颯爽と歩くトミモトさん。その周りに付き纏ってるようなタカナシ。二人が夜の繁華街の方へ消えていく後ろ姿を。
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翌日、良くない想像に悩まされて寝不足の僕に引き換え、トミモトさんは凛として立ち回るいつものトミモトさんだった。その様子からは何も窺い知れず、大人の女性とはそんなものか、と思った。大人の女性のことなど、別に知りたくは無かった。良く考えてみれば、僕は彼女のことも、タカナシの事さえあまり良く知らない。知らないくせに、二人の間に干渉する権利があるかのようにイライラしている自分が嫌だった。
トミモトさんやタカナシが目に入るのが嫌で、二人が、ではなく自分が嫌で、、その日は隠れるように働いていた。社員食堂の片隅で一本一本、うまくもないラーメンを啜っていると、、。
「ここ、ええか?」
男性フェロモンの香り。タカナシだ。男から見ても魅力的な笑顔を浮かべて向かいに座ってくる。会いたくないやつに会ってしまったと思い、顔を伏せる。
「ああ、いいよ。」
ダメだと言えない。理由がない。
次の瞬間、意外な一言を聞いた。
「撃沈したわ。」
「えっ?」
「トミモトさんなあ、俺のこと好みやないんやて。『あんたみたいに<声を掛ければ女はついてくる>って顔した男に興味ないわ』って、ひどい言われようやったわ。」
タカナシには悪いが、僕はホッとした。同時にホッとしている自分を嫌悪した。
「小一時間説教されたわ。『女の事をわかってる気になってるのがあかん』やて。『ほんなら一から教えてくださいよ』って食い下がったら、ちょっとウケた。サバサバしたええ人や。実際に話してみたらなんか改めてファイトが湧いてきたわ。いつか振り向かせたるよ。俺。」
(二人の相性は意外といいのかも知れないな。)
タカナシは思ったほど悪い男ではなかった。他人の気持ちを慮れるかは知らないが、少なくとも自分の気持ちには素直な男ではあった。求めるものを得るために、自分を晒し、差し出すことに躊躇がない。それはきっと、トミモトさんにも言えることだと思った。それに引き換え、自分ではなんのアクションも起こしていないくせに、他人の動向に一喜一憂するヘタレな僕自身の方が、よっぽど好きになれなかった。
気持ちが決まった。男の勝負は電撃戦。
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「なんか用でもあるん?」
トミモトさんは立ち止まると、内ポケットを探り、メンソールのタバコとライターを取り出した。喫煙禁止区域のはずだが、火をつけて口に咥える。手が少し震えている。
「先日は失礼しました。『大人の女性の考えを知るために抱く』という行為には興味を持てませんでした。たとえそれが業務上有用であるとしても。」
トミモトさんは、右を向いて薄く煙を吐き出した。
「ええんちゃうかな。それが君やから。私が悪かったよ。卑怯やったかもしれん。あれは忘れてくれるかな。」
右を向いたままのトミモトさんの目に、微かな慚愧の色が浮かんだ。
「僕も一応大人ですから卑怯ではないです。」
「チャンスやと思ってん、、。わたし、、。」
伏し目がちに言葉を繋ごうとするトミモトさんを遮った。
「ところで僕は、決して上手ではないと思います。でも、銭湯で他のおじさんと比べると、比較的大きいみたいです。それを魅力的と感じるかは人による、と思いますけど、、。……何を言ってるのか自分でも判らなくなってきました。」
トミモトさんは突如むせ込んで大量の煙を吹き出した。
「あれからずっと貴女の事を見てました。気になって気になって仕方なくて。良ければ、『大人の女性の事』ではなく、『貴女の事』をもっと教えてもらえませんでしょうか?たくさん話を聞いていただきましたから、今日は貴女の話を聞かせていただけませんでしょうか?僕、きっと、貴女の事を満足させてあげられると思います。近所は女の子ばかりでしたから!」
精一杯、勇気を奮っての告白だった。切長の目を丸くして僕を見つめるトミモトさん。
その時、時間が止まった気がした。
でも、止まってはいない。その証拠に、右手に持ったタバコから、ポトリと灰が落ちた。
「60点やね。全然人のこと言えんけど。」
そう言ってタバコを消した不器用なトミモトさんの頬は、少し赤みを帯びているように見えた。
(了)
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