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Highly defined facial features.

 「しょうゆ顔の街」、京都にあるハマサキ研究室には濃い顔の大学院生が二人いた。ニシグチとキタムラである。彫りの深い顔といい、太めの眉毛といい、二人が二人とも日本人離れしているにもかかわらず、よく似ていた。

 それは例えるなら、並みいる「しょうゆ顔」の学生の中で、この二人だけが、「コイカオ王国」からの留学生であるかのようだった。にもかかわらず、最大限よく言えば、「昔のハンサム」、悪く言うと「時代遅れな顔の造作」を持つ二人は親戚でも同郷でもないのであった。

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 話はとある居酒屋チェーンで行われた研究室の新歓に遡る。新入生はバラバラに、ということで、二人は随分離れた席に陣取っていたのであるが、所在なげに周りを見回していたニシグチの目がキタムラの顔の所でハタと止まった。

 (なんて「濃い顔」のやつなんだ!オレより濃いやつを初めてみた!)
それがニシグチの偽らざる感想であった。

 ジロジロとキタムラの顔を見ていたら、キタムラが睨み返してくる。(これは失礼)と目線をずらすニシグチであったが、その後キタムラの目線は執拗に自分を追い回すのであった。

 (怒ってる!)
<メンチ切ってきたやろ!>と言わんばかりのキタムラの表情に、ニシグチは恐れをなした。

 実はこれは、「濃い顔あるある」の一つであった。濃い顔の人は、別に怒ってもいないのに、しばしば怒ってるかのように誤解されるのである。なんのことはない、後から聞いてみると、キタムラもまた(なんて「濃い顔」のやつなんだ!オレより濃いやつを初めてみた!)とニシグチをジロジロ見ていたのであった。

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 さて、程なく「濃い顔繋がり」で仲良くなったニシグチとキタムラであったが、「どちらがより濃い顔であるか」という事については論争が絶えなかった。互いに「相手の方がより濃い」と譲らなかったのだ。実に不毛な論争である。なんとなれば、周りから見れば二人とも単純に「濃い」にカテゴライズすれば済む話であり、「どちらがより濃いか」ということについては誤差範囲レベルの違いしかなかったからである。

 微妙な差異の話をすれば、ニシグチの眉はキタムラのそれよりもやや濃かった。そして、キタムラの鼻は、ニシグチのそれよりも若干尖って目立っていた。それ故ニシグチは、キタムラに「鼻」というあだ名をつけた。これが大いに流行った。今やキタムラは「鼻」呼ばわり。「あの鼻が、、。」などと言えば、指導教官ハマサキにさえ普通に会話が通じるのであった。

 この突然の「パーツによる印象操作」にキタムラは焦った。なんとか対抗の手段として、ニシグチに「眉」というあだ名を付けようとしたが、今ひとつキャッチーでなかったのか、それは流行らなかった。

 悶々とした日々を送るキタムラに神風が吹いた。後輩学生がトルコへ旅行に行ったのである。帰ってきた学生の第一声がこうであった。

 「ニシグチさん、京都ではすごく目立ちますけど、トルコに行ったらニシグチさんみたいな顔の人ばっかりでしたわ!」

 実際、ハマサキ研究室のある京都においては、人間はすべからく「しょうゆ顔」をしており、いわば水墨画のようである。その中で、キタムラにせよ、ニシグチにせよ、まるで、「マッキー極太」で描いたような顔をしていたので、二人はすごく目立った。200メートルほど離れていても、街中であっという間に視認されてしまうのであった。

 「昨日河原町を歩いてたでしょ?」
などと突然言われる経験は、二人とも嫌ほどしていた。そんな時、彼らの頭の中にはスティングの”English man in New York”が流れるのであった。「濃い顔あるある」である。

 したがって、「トルコに行ってきた学生の話」はキタムラにもそのまま当てはまるはずなのであるが、その時ニシグチが言及されたのは、単にその学生のそばにいたからであった。

 なんというラッキー!狂喜乱舞したキタムラであったが、喜びも束の間、すぐに「イラン人から同胞と間違われ、イラン語で話しかけられる」と言う偉業を成し遂げるに至り、いわば「三日天下」に終わった。

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 キタムラが考え事をしているかのような厳しい表情をしている。

 (騙されんぞ。)ニシグチは思った。(キタムラは何も考えていない。)

 これも「濃い顔あるある」の一つである。濃い顔のニシグチは、何にも考えてないにも関わらず、「何難しい顔してるん?悩みでもあるんか?」などと言われる経験をしばしばしていた。故にこの日のキタムラも何も考えていないはず、と看破したつもりになっていた。

 だが今回は違った。なんとキタムラは決闘を考えていたのである。この長々しくも馬鹿馬鹿しい論争に決着を付けようとしていたのだ。理系ハマサキ研究室の一員らしく、科学的な手法を用いた決闘を彼は考案していた。

1) お互い、正面から5枚ずつ、相手の白黒写真を撮りあう。
2) 画像のコントラストを最高にする。
3) 髪の毛を除いた顔面をROIとして黒のピクセル数を画像解析ソフトで計算する。
4) n=5として有意に黒ピクセルが多い方が「より濃い顔」と認定される。

 読者におかれては、上記でどのような事がわかるか判然としないかも知れぬが、要するに顔が濃い→陰影が強い→黒が多い、という赤ちゃん並みのロジックを用いてお互いの写真を統計的に画像解析しよう、という試みであった。

 副賞として、「負けた方は勝者のデザインしたTシャツを一週間着る」、というところまで申し合わせがなされた。正々堂々の勝負である。

 パソコンの大きなモニター上に、10枚もの「濃い顔」の白黒写真が並ぶ。それはまるで、一つのシュールな現代アート作品を目にしているようであった。一つの写真の黒ピクセル数が算出されるたび、ハマサキ研究室の面々は歓声をあげた。ニシグチもキタムラも一喜一憂する。まるでサッカーW杯の観衆を見るかのような光景である。

 写真の解析が終わった。データはエクセルに移され、t検定がなされた。これがパラメトリック検定で良いのかどうか、ということについて一瞬論争が巻き起こりかけたが、他ならぬ研究室長ハマサキが、「人の顔の濃さは正規分布に従う」という見解を出したため、無事収束した。

 検定の結果、、、。有意差なし。

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 「有意差なし」の結果が出た瞬間、ニシグチとキタムラは、お互いの濃い顔を見合わせた。ノーサイドである。二人の胸中にあるものは、今や互いの健闘を讃える気持ちだけであった。二人は友情のしるしとして、デザインしてきたTシャツの交換をした。

 キタムラデザインによるTシャツには、「私は濃い顔です。」と書かれていた。

 ニシグチは、キタムラよりも英語に堪能であった。したがって、彼がデザインしたTシャツには、”I have defined facial features.”と書いてあった。

 二人がTシャツを交換して着ると、ニシグチのTシャツの英訳をキタムラが着ている、という滑稽なペアルックになった。

 かくしてハマサキ研究室の面々は、「濃い顔」の英訳を覚えたのである。

(了)

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