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覚えているとも。

 ワキモトは文章の、物語の力を信じていた。それ故、自ら一時は小説家を目指した。夢破れた今もそれは変わらない。

 「文鳥は箱から出ながら千代千代と二声鳴いた。」

 国語教師として母校で教壇に立つワキモトの朗読は、怒っているかのような大音声で響く。それは若く青き生徒たちに「文章の力」よ届け、という願いの現れであった。今まさに巣立たんとしている彼らには前途多くの苦難があるだろう。膝折れ、背中は屈し、一歩も動けぬその時にこそ、今、この壇上で読み上げた一文一文が骨となり、筋肉となってどこどこまでも彼らの道行きを支えてくれるとワキモトは信じていた。

 受験を乗り切るためのテクニックは、彼にとって取るに足りない事だった。それ故職員室での評価は決して高くはなかったが、それすらも瑣末事だった。

 この時期、ワキモトの手元には生徒たちによる卒業文集の草稿が次々と集まってきている。卒業文集は終戦宣言であり、独立宣言だ。良くも悪くも彼らを囲い込み、外の世界から守ってきた「学校」。そのパターナリズムはまもなく役割を終える。意識せずとも気づいているはずの生徒たちは一体何を綴っているのか。ワキモトはタバコに火をつけ、原稿用紙の分厚い束を開いた。

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 彼は透明な生徒だった。彼の一言一言は、ことごとくシャボン玉のように壊れて消えた。

 「おはよう」
 勇気を奮った彼の一言に、クラスメートは脊髄反射で返事する。
 「おはよう」

 一言を返した後、このクラスメートの視界から彼は消える。存在を意識されるのはほんの一瞬だ。無視されているのではない。彼がいることに注意を払っていないだけなのだ。からかうものはいない。悪口を言うもの、いじめるものもない。誰も彼に興味を持たないから。背が高いわけでも低いわけでもない。成績が良いわけでも悪いわけでもない。運動ができるわけでも運動音痴でもない。面白いことは言えない。人を傷つけたことはない。

 彼にとってはいじめられっ子すら羨ましかった。少なくとも誰かがその子を気にしている、と言うことを意味していたから。自分がいつから「見えない」存在になったのか思い出せなかった。この男子校に入るまでは、「ともだち」もちゃんといたはずなのに。どうすれば人が自分を見てくれるのか、それは、どうしてもわからなかった。

 学校が終わると、早々と家路に着く。呼び止めるものはない。家では浮かない表情の彼に、母が、時には父が、声をかける。「学校で何かあったの?」。いや何もない。本当に何もないから苦しい。悪意すらも自分には向かない。

 愛とは何か、勇気とは何か。夢とは、希望とは何か。共に語る相手は見つからなかった。ワキモトの大音声の中にだけ、彼に何かを語ってくれる誰かが、いた。

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 「ズブリ! 俺の拳が奴の体にめり込んだ。奴が膝を折る。俺は構わず続いて右の拳を奴の顔面におみまいした。」
 ワキモトは苦笑いした。おいおい暴力的だな。何の妄想を書いているのだ? よほど学校生活にストレスが溜まっているのか?

 「タバコを吸っている奴。タバコは緩慢な自殺だ。今すぐ死ね。」
 こんな事を書いている生徒もいる。高校生活にタバコはそんなに身近なのか? それとも俺のことか? 思わずワキモトは吸いかけのタバコを消した。

 「ピキピッピ。ピン太でごじゃます。アキャー、何してるの? クソっ、たかが卒業文集のために何故このような苦労をしないといけないのか。」
 頭大丈夫か? 思わずこの文章の書き手の名前を見たが、国語の成績上位者だ。

 ワキモトは決して検閲しない。卒業文集は必然父兄の目に触れることは百も承知だが。どういう形をとっていたとしても、高校生活を終えようとしている生徒たちの生の叫びがここにある。それが侵すべからざる彼らの終戦宣言、そして、独立宣言だ。

 に、しても、、。ワキモトは思う。彼らはもう少し国語を勉強した方がいい。国語教師は俺だけど。

 そのやや自虐的な思考はすぐに途絶えた。

 目に止まったタイトルは、「存在の耐えられない軽さより」。

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 「存在の耐えられない軽さより」

 人の存在とは本来重いものであるはずなのに、この学校ではそうではない。僕の存在は軽い。その軽さに耐えられないほどに。

 僕の姿は誰にも見えない。まるで僕など存在していないかのように、皆の視線は僕を通り過ぎていく。

 誰も僕とは話さない。自分では聴こえているから、僕は声を出しているはずなのに、誰からも返事は来ない。僕の言葉は虚空で消える。

 誰も僕がどこから来て、どこに行くのか気にしない。いじめられているのではない。嫌われているのでもない。気にされていないだけだ。

 学校に来ても1日誰とも話さず帰宅する。誰かと話すことがあったとしたら、業務連絡だ。たとえそうであっても、その日は嬉しい。僕はこの学校の生徒だ。目立たないけれどこのクラスの一員だ。そう思っていた。先日の進路指導があるまでは。

 順番が来て、生徒指導室に行った僕は担任の先生と目があった。入り口に立っている僕に、「おう。」と声をかけてくれた。「はい。」と答えた後、不思議な沈黙があった。僕はこのまま進路に関するアドバイスがあるものと疑わず、ただ、そこに立っていた。

 先生はこう言った。「ところでお前、誰のクラスだったっけ?」その一言で危うく涙が出そうになったけれど、我慢した。そして真実を告げた。「先生のクラスです。」

 先生は動揺した様子だった。「あ、ああ。そうだったな。入ってそこに座りなさい。」最後まで僕の名前が出てこない様子で、生徒名簿を取り出した。この状態で、僕に何を指導しようと言うのだろう。

 だけど、僕は誰も恨んではいない。むしろ恨めるほど、誰でもいい、誰かと関わりたかった。さようならは言わない。言う相手がいないから。

 存在の耐えられない軽さより。

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 読み終えて、ワキモトはしばらく動けなかった。「孤独の叫び」に打ちのめされた。どのような覚悟を持ってこれを綴ったのか。間違いなくこの学校との永遠の決別宣言であった。

 このまま公開したら、父兄からどのような声が上がるかは手にとるように想像できた。「彼」の担任は学年主任を務めている。今まで多くの生徒を指導し、この進学校を支えてきた手腕に定評がある上に、ワキモトの上司にも当たる。公開することで主任の経歴に、そして恐らく心にも容易に消えない傷をつける事になるのは明らかだ。

 だがしかし、これは一人、主任の罪と言うわけにはいかない。書いてある内容が事実だとして ーおそらく事実であろうがー 生徒に長年にこのような思いをさせ、それに気づかず放置した罪は自分にも、他の教員にも同様にある。教師だけではなく、一部の敏感な生徒達もショックを受けるだろう。

 これが、文章の力。その洗礼を今、他ならぬワキモト自身も浴びている。ワキモトはやるせなさと恥ずかしさから叫び出したい気持ちに駆られた。

 文章は、物語は、凶器だ。皆が見たくないもの、聞きたくない事を暴き出し、鼻先に突きつける。文章は、人に勇気を与えることもあれば、深く、時には立ち直れないほどに傷つけることもある。それが文章を書く、そしてそれを公開する、ということだ。今なら諭し、止めることもできる。まだ間に合う。だが、、。

 先ほど消したはずのタバコに自然と手が伸びた。天井に向かい、煙を吹いた。その煙が薄くなり、消える頃には気持ちは決まった。

 長かったであろう男子校生活がいよいよ終わりを迎え、明日は卒業式、という日、遅ればせながらワキモト編纂の卒業文集は配られた。

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 卒業式の日、講堂への入場を待つわずかな時間を校庭でたむろする卒業生たち。皆、親しい者たちでグループを作り、ふざけあいながら名残を惜しんでいる。生徒の間をぶらぶらと歩きながら、ワキモトの目は自然と「彼」を探していた。

 数多くの生徒の中で、「一人でいる者」を探すとあっけなく見つかった。探す気にさえなれば、こんなにも見つけるのは簡単だった。当たり前だ。「彼」は確かにそこに存在している。所在なさげにポケットに手を入れ、俯いている。その表情はわからなかった。

 (おや? )

 一人の生徒が「彼」に近づく。クラス委員の子だったか。しばらく躊躇した様子だったが、ようやく遠慮がちに肩を叩くと、一言「読んだよ」と言った。「彼」は俯いたまま「うん」と答えた。それ以上会話が弾むことはなく、二人とも煮え切らない様子で並んで立っていた。ただ、お互いに何かを言いたげに。

 「卒業生は入場のために整列」と言う学年主任の声。生徒たちは所定の位置へと散っていく。「彼」も「クラス委員」も黒い詰襟の行列の一部になる。やがて万雷の拍手に迎えられ、卒業生は講堂の中へと歩き始めた。

 その背中をワキモトは黙って見送った。

(了)

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