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産業医が語る、産業保健領域の動向と重要性【前編】 未開拓の領域だからこそ可能性は大きい

国をあげた働き方改革が進み、労働環境の改善が求められるようになるなか、産業保健領域の重要性は年々増しています。この業界にはどのような発展性や魅力があるのか。精神科医・産業医として働きつつウェルプラでメディカルディレクターを務める堤先生に聞きました。

<プロフィール>
堤多可弘(ウェルプラ メディカルディレクター)

弘前大学医学部卒業後、東京女子医科大学精神科で助教、非常勤講師を歴任。現在はVISION PARTNERメンタルクリニック四谷の副院長を務めるとともに、企業や行政機関の産業医を担当する。ウェルプラでは、メディカルディレクターとしてアドバイザー業務やコンサルティングなどを行っている。

会社と従業員を中立の立場から守る「産業医」という仕事

——幅広く活動されている堤先生ですが、普段のお仕事について教えてください。

もともとは精神科医として大学病院やクリニックで働いていましたが、徐々に産業医へと軸足を移してきました。現在は嘱託産業医として10か所以上の企業や行政機関を担当しています。これに加え、メンタルクリニックで精神科医としても働いています。

——そもそも産業医とはどのような職業なのでしょうか。臨床医との違いを教えてください。

同じ医師免許を持っていることに変わりはありません。産業医はプラスアルファの資格だと思っていただければよいと思います。一定の講習を受けて試験に合格する、特定の大学を卒業するなど、医師が労働者の健康管理等を行うのに必要な医学知識を身につけた場合に産業医の資格を取ることができます。

みなさんがイメージする病院やクリニックなどの医療機関で働く医師(=臨床医)は、病気の方を治す仕事です。一方で、産業医は、企業や事業所へ出向き、病気や怪我の予防を目的とした仕事をします。もともと産業医は工場医、さらに遡ると軍医にルーツがある仕事です。たとえば、「工場で扱っている化学物質が危険だからきちんと管理をしましょう」とか「作業方法が危険なので見直しましょう」と助言したり、健康診断の結果を見てリスクが高そうな方の対応をしたりと、あらゆる観点から働く人たちを守ります。

——具体的にはどのようなアドバイスや対応をされることが多いのでしょうか。

まずは、長時間労働者やストレスチェックにおける高ストレス者に対して、希望があった場合には面談に応じ、体調を安定させる術をアドバイスしたり、病院の受診を進めたり、ドクターストップをしたりといった対応をします。これは法律で定められている面談です。

また、イメージしやすいのは健康相談だと思います。希望する社員に対して健康上のアドバイスを行います。特に規模の大きな会社に常駐している専属産業医は健康相談が多いですね。

従業員が休職や復職する際の面談も重要です。単純に主治医の診断だけで復職を許可してしまうと、再発しやすい傾向にあります。これは、主治医が患者さんの業務のことまで理解できておらず、患者さん本人も早く職場に戻ろうと焦ってしまうためです。会社や仕事のことをわかったうえでアドバイスできる専門家が必要となります。

さらに、健康上の問題があるかどうかわからない、あるいは問題があるがどう対応してよいかわからず会社が困っている場合への対応も行います。特に、勤怠(K)、安全(A)、パフォーマンス(P)、影響(E)(=KAPE)に関する問題を見過ごしてしまうと、企業が安全配慮義務を履行していなかったと見なされるリスクがあります。KAPEに関する異常が見られた場合には、本人または上司と面談し一緒に原因を探して対策を考えていくことも産業医の重要な仕事のひとつです。

以上のようにさまざまなケースがありますが、いずれにしても、産業医は会社と従業員の中立の立場から課題のある社員があるべき姿に戻るためのお手伝いをしているといえます。従業員の健康を通して会社の役に立ちつつ、会社の施策を通して従業員の健康に役に立ちたいという考え方で、双方に全力でアドバイスをすることを心がけています。

——堤先生はなぜ産業医になろうと思われたのでしょうか。

精神科医として、大学病院、地方の精神科、都心部にあるターミナル駅のクリニックと、さまざまな場所で多くの患者さんに日々向き合うなかで、とにかく具合の悪くなる方が多いなと感じていました。患者さんが来院する段階ではすでに火が燃え上がっている状態で、我々ができることといえば火消しです。病院で自分がこのまま一生懸命働いていても、影響を与えられるのはそのとき診ている患者さんの数だけ。一方で、産業医として会社に対して施策を行ったり、メディアに出て正しい知識を伝えたりすれば、同時に数千人〜数万人規模の方々によい影響を与えられるかもしれない。もともと事業や社会、産業に興味を持っていたこともあり、世の中にとってより大きなインパクトを与えられればと考え、産業医を始めることにしたんです。

——堤先生が産業医を始められてからメンタルヘルス領域での変化はありますか。

この30年でSSRIという新しい薬が普及したことで、メンタルヘルスへの偏見が下がり、受診の垣根も低くなってきました。メンタルクリニックの数も増え、人々にとってより身近な領域になってきたと思っています。

特に企業においては、発達障害がテーマに上がることがここ10年で激増しています。これは発達障害に関する知見が広がり、職場でもなんとかしようという機運が高まってきているためです。それまでは「ちょっと変わった人」と思われていた方に対して診断書が出されるようになったことで、会社は適切に配慮・対応しなければ訴訟リスクがありますし、大切な人材を潰してしまいかねません。従業員が心も体も健康的に働くために、企業が考えるべきことは増えてきているといえるでしょう。

産業保健はGDP成長に貢献しうる領域

——産業医が関わる領域はメンタルヘルスに関わらず多岐に渡るイメージがありますが、昨今の動向について教えてください。

もともと産業医は工場で働く人のために始まった仕事で、かつては対象となる産業の数は限られていました。ただ、現在では対象の産業は幅広く、さらに高齢者や女性の社会進出などもあり、働く人たちの業界や職種、事情などは本当にさまざまです。専門用語にはなりますが産業医が関わる働く人の健康管理の領域を産業保健領域と呼びますが、産業保健に求められる水準は高まっている一方で、産業医の数自体が不足しているというのが全体の傾向です。

産業保健の領域では定期的に法改正などがあり、企業に求められることも増えています。一番分かりやすい例はストレスチェック制度が出来たことですが、それ以外にも働き方改革実行計画やパワハラ防止法(改正労働施策総合推進法)が近年施行されたほか、化学物質の自律的な管理を目指す法令改正なども進んでいます。

——医師の立場から見た産業保健領域のおもしろさはどこにあるとお考えですか。

企業経営という観点では人的資本経営やSDGs等、サステナビリティを意識した取組が求められてきていますが、人的資本開示と健康経営開示を組み合わせた例も出てきており、産業医がその専門性を持って組織と従業員に貢献出来る余地が大きくなっています。
産業保健は、まだまだ未開拓の領域ですが、私は、産業保健はGDPを動かせる領域だと思っています。日本の経済が停滞するなか、新しい産業や会社を作って現在500兆円程度のGDPを1%伸ばすことは非常に困難かもしれませんが、産業保健やメンタルヘルス領域の活動を通して、労働者が1%ずつ元気になって生産性を高めていけるのであれば、日本のGDPを1%高めるということも不可能ではないと思っています。

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