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OWARAI

2020年はいろいろな変化が起きた1年だった。コロナで生活の根本が変わって、その影響で云々という社会的な変化は他の様々なところで取りあげられるのでここで書く気はないが、個人的にも大学3年目になっていろいろな変化があった。21歳になった最近では、部活に行っても「これまで普通に食べてた大盛りの定食がキツくなった」とか「最近涙もろくなった」とか、大学生オジサン化トークをすることがある。でも「オジサンになったと感じる」と書くことにより更にオジサン化が進むのも嫌なので、ここではその話は置いておくことにする。2020年、僕の中での大きな変化は、これまであまり見てこなかったお笑いを見るようになったことである。これまで、毎週みている番組と言えば「ブラタモリ」くらいだったのに、今では各曜日に1つずつくらいは楽しみな番組がある。これは1年前には考えられなかったことだ。

去年までの僕はお笑いやバラエティとは少し遠いところで生活をしていた。実家では常にNHKの番組が流れていたし、何より時間があればすぐにどこかへ出かけていたので、お笑いやバラエティに触れる機会自体が少なかった。だから、下宿のみんなで小さい頃に見ていた番組の話で盛りあがっているときも、正直僕はその話について行くことができない(なぜか月曜夜のしゃべくり007だけはみていた記憶があるが、当然それだけでは下宿の「昔のバラエティ番組エピソード合戦」でみんなに太刀打ちできない)。

そんな僕がなぜお笑いを見るようになったか、という問いに対して「コロナ禍で家にいる時間が多くなったからテレビをみる時間が増えた」というまさに今年を象徴するような理由で説明することもできると思うし、もちろんその側面もある。しかし、いくら時間があっても、好きでもないものを見続けたりはしない。お笑いを見るようになって、それが続いているということは、以前よりお笑いが好きになったということである。で、なぜ好きになったかという問題になるわけだが、それはいろいろなお笑い芸人のネタを見たりラジオを聴いたりしている中で、芸人さんたちがお笑いを一生懸命に考えていて、本気で笑いを作り出そうとしているのが感じられたから、という部分が大きいように思う。

これまでは、お笑い芸人は純粋に「面白い人」の集まりで、お笑いは面白い人たちが面白いことをやっているものだと思っていた。いや、今も芸人さんが「面白い人たち」であるという認識に変わりはないのだが、ただ素のままで面白いというわけではなく(もちろん素のままで面白い場合もあるが)どうしたら面白くなるかを考えて、その努力の結果として、自分たちが生み出しうる笑いのスタイルを見つけて、そうして笑いが生まれていることに気づいたという点が今までとは違うのである。言い換えれば、芸人さんたちがただの「面白い人」ではなく、お笑いの技術を身につけ、それを磨いたプロフェッショナルであることに気づいたということだ。

何かに対して一生懸命に頑張っている姿は人の心を打つものである。たとえば今年話題になった「虹プロジェクト」。アイドルになるために頑張っている、その一生懸命な努力をドキュメントとして取りあげることで、多くの人の心を掴んだものだった。必死に取り組んでいる姿を見ると応援したくなるのは、きっとほとんどの人間に共通する本性だと思う。

芸人さんからしてみれば、客や視聴者には努力云々より純粋にネタで笑ってもらったほうが嬉しいのかもしれないが、「面白い」という結果は変わらないにしても、それを完成させるまでに経てきた努力があるかないかで、お笑いのネタやバラエティ番組の作品としての印象、そして生み出される笑いの「厚み」みたいなものは変わってくるように思う。お笑いに「厚み」を感じられたから、僕はお笑いを好きになったのだ。

「若い子が頑張っている姿をみると泣けてくる」とオジサンは言うかもしれない。だけど年齢にかかわらず、なにかに向けて一生懸命に頑張っている姿は、そして一生懸命に頑張った結果生み出されたものは、人の心を打つのである。それが年下でも年上でも関係ない。そういうものだ。だから、先日のアイドルグループの配信ライブで同年代のアイドルが頑張っている姿をみて3回くらい泣いたのは「オジサンだから」ではない。だから僕はまだオジサンではない。そういうことにしておこう。

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