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【通知表】

ゼミの活動で,通知表を廃止している学校や,廃止していた学校の事例を知った。

そこに至るプロセスや,通知表をなくすことに対する子どもたちへの想い,
実際の子どもたちの様子や変化などを知った。

通知表はない方が良いと多くの人が感じているのに,
実際にそうである事例が存在しているのに,
なんでこの現実は全く動かないのだろうか。
なんだか悲しくなった。

最近はどこか焦りを感じている。
自分の人生の移り変わりに。
子どもたちの成長に。
苦しさが膨張する実感に。

こっちの方が良いと知っているのに動かない,動けない
目の前の社会にモヤモヤして涙が出てしまった。

のんびりなんてしてられない。
子どもたちはこの瞬間も成長していて,
この一瞬一瞬が彼らを形作っている。

「通知表ない方がいいけど,そう簡単にはなぁ〜」
なんて言ってられない。

今もどこかで,評価に苦しみ,自分を押さえつけ,
未来への希望を毎日手放しながら生きている子どもたちがいる。
本人はそれを感じていないかもしれないけど,
確実に着実に積み重なっている。

答えを知っている,答えらしきものを手に入れている大人たちが
本気でそれに向かっていかなくてどうすんだ。って思って涙が出た。


先日は,子どもたちにこんなことを問いかけてみました。

「もし学校に通知表がなかったらどう思う?」


通知表がなかったらさ,結果がないってことだからさ,
やってもやらなくても一緒ってことだからさ,
もう一生勉強やらないよ?
だってやっても意味がないんだもん。
だから,そしたら毎日ゲームばっかりやって過ごす!

これがリアルだよなぁ。
子どもたちの意識は「結果」「評価」に向いていて
それがなくなった途端に学ぶことをやめていく。

こうちょうしつにむりやり取りにいく。

そっかぁ。なんとしてでも必要なんだね。
もらえないと困る,と思ってるんだね。
そこでしか自分の頑張りが形にならないからなのかなぁ。
やっぱり彼らの動機は第三者に向いている。

どうでもいい!

言い捨てるような表現が,
もう大人のあれこれなんてどうでもいんだよ。
という諦めのようなメッセージにも聞こえた。

おかしいとおもう。

通知表がない学校はおかしいと思うのかぁ。
あって当たり前だからかな。
大人の与える世界を純粋に受け入れて信じている彼は
これからどうなっていくんだろうか。
どこかで失望することになってしまうんだろうか。


知らん。

そもそもこっちの問いかけに興味を示してくれないな。
考えを放棄して,できるだけ感情や欲望を抑えて
なんだかどうでもいいと感じる世界に埋もれるように生きているのかな。

いい!

そっか,いいと思ってくれる子もいるんだなぁ。
なんでいいんだろう。何がいいんだろう。
また教えて欲しいな。

関係ない。

評価にとらわれずに毎日を過ごせているんだなぁ。
そのまま,ありのままに進んでいって欲しいな。


子どもたちの声はこんな感じでした。

誰かからの評価よりも,
自分の内側と対話する時間を増やして,
自分がどんな人間なのかを知ることで
簡単には折れないしなやかさを手に入れて,
自分には何かを成し遂げる力があると信じて
前に進んでいって欲しいなぁと思います。

みんながありのままの姿になれば,
強みと弱みは自然と補い合って,
ピースがはまっていくんだろうなと思います。

そのくらい自然体でいてほしい。です。



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