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『痛み』

どうしてもわかってほしい、伝えたいと思うのに、
決して共有することはできなくて、
自分だけがひとりで感じるもの。

相手の痛みを想像したり、心配したり、
寄り添ったり、背中をさすったりすることはできる。

でも、果たしてその人の抱える痛みが
どれほどのものなのか、感じることは決してできない。

小さい時から、よく考えていた。

あの子は頭が痛くて保健室に行ったみたいだけど、
どれくらい痛かったんだろうか。
昨日の夜に私が感じた頭痛とどっちが痛いんだろう。

デッドボールが当たっても、私は全然平気だったけど、
あの子は氷で冷やして何十分も休んでる。
どのくらいの痛みだったんだろう。


中学や高校の部活で厳しく鍛えられたせいか、
わたしは痛みに強い人に育ってしまった、と思っていた。

多少の苦しさや痛みでは立ち止まらないくらいには
強くなった、と思っていた。

でも、自分の感じているこの痛みは、
全世界の全人類の人たちの痛みを比較したとしたら
全体のどのくらいの痛みなんだろうか。

そんなことを意味もなくぼんやり考えた。

自分の抱える大きな痛みを、
どうにか相手にわかって欲しいと思うこともある。

でも、同じ痛みが相手に伝わったとしても、
その相手は同じ強さでその痛みを感じるだろうか。

へっちゃらだと思うんだろうか。
痛くて耐えられないと座り込むのだろうか。

痛みって不思議だ。

自分だけが感じていて、
感じ方も人それぞれで、
同じ痛みでも、違う反応や違う気持ちになり、
そのまま走り続ける人もいれば、立ち止まって休む人もいる。

私が抱えるこの痛みに対して、
世界中の何人が走り続けて、
世界中の何人が立ち止まるんだろうか。

自分より大きな痛みを抱えながら走り続ける人がどれほどいて、
自分より小さな痛みで立ち止まる人がどれほどいるんだろうか。

そんな、
考えても考えなくてもいいようなことが
なぜか頭をかけめぐり、
ずっと反芻している。

自分が弱い人間だとも、
強い人間だとも思いたくない。

それぞれの痛みをそれぞれの尺度で感じたのなら
それでいいと思うし、

同じ痛みを感じていても、
休むか休まないかはその人が決めたらいいと思う。

たぶん私よりも大きな痛みを抱えている人は
全世界にたくさんいるんだろうけど、
この小さな痛みにも耐えられないほどの私を
どうか許してください。

って、誰に祈ってるんだろうか。
へんてこりんなわたし。

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