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栗原はるみさんは、元祖クリティカルシンカーである

1992年11月1日発売のこの本。

私の周辺の女性達は全員が買ったのでは?と思う程に、みんな持っていた。

もともと天の邪鬼な私は、みんながこぞって買う本には一切の興味がなく、そもそも料理にそれほど興味もなかったので、この本を手に取ることはなかった。

発売から10年ほど経ったある日、私たち家族はオーストラリア在住で、オーストラリア人と結婚した日本人の友人宅にお邪魔したことがあった。彼女は裕福で広大な家に住み、ステキなキッチンでランチを振る舞ってくれた。その彼女との会話の中で「栗原はるみさん」の名前がでた。

お料理上手なその友人は、あわてて何かをとりに行って、それを私に見せてくれた。

彼女「これは私のバイブルなの。私はこれがないと何も作れない。もう何回読んだか。ボロボロだけど。もう一冊買っておけばよかった。今度日本に行ったら絶対に買う。」

とまくし立てた。

知的水準が高く英語が上手で、いつも上品で自立した美しい彼女が、いきなりJKの様なテンションでバタバタと見せてくれた本が、

本当にボロボロだった...........

それは嘘偽りなく、彼女のバイブルであるということが、ひと目で分かった。

何度も何度も読んで開いて、時には重しをのせてキッチンで参照したのであろうその本は、すべてのページがほとんど分離してしまうほどにバラバラであった。

その本を見て、初めて栗原はるみさんの凄みを理解したのである。

その印象が強く残っていたので、その本をいつか買おうとは思っていたのだが、実際に私がその本を手にしたのは、それからさらに10年後、2012年の夏のことだった。

一時帰国をした際にアマゾンで購入した。

その本を読んで、心の底から感銘を受けたのが「いろいろ千切りサラダ」というレシピである。

色々な野菜をすべて千切りにしてドレッシングで和えるレシピなのだが、千切りにする野菜の中に、「レタス」が入っていたのだ。

えっ、いいの?レタス、包丁で切っていいの?

そのページで私の体が固まったのを覚えている。

すでに初版から20年も経っており、栗原はるみさんは大御所オブ大御所。

この本は、2004年グルマン世界料理本賞のアジア料理部門グランプリ&グランプリを受賞。すでに押しも押されもせぬ、世界のHARUMIさんなのである。

さて。日本に遅れること20年、世界に遅れること8年。遅れすぎの私が感じた栗原はるみさんは、ぶっちぎりの料理研究家というよりも、

真のクリティカルシンカー(Critical Thinker:批判的思考者)

として映ったのだ。

すでに当時は海外に住み始めてかなり経っていて、自分自身の中に染み込んでいた日本的なモノの考え方と、世界の考え方の違いをしみじみと理解しはじめていて、その違いがどこから来るのかなと度々考えるようになっていた。

レタスに包丁を入れてはいけないと、私は母から教わった。

それは、手でちぎった方がドレッシングなどの味が馴染みやすいということと、鉄製の包丁とレタス成分との相性が良くないという理由だったと思う。

確かに包丁を入れると変色が早い気もしないではなかったので、長年その通りにしてきたのだが、しかし。

もっと大きな理由は、そこにはなかった。

「レタスを包丁で切ってはいけないという常識を、私はちゃんと知っていて実践しているということを他者に知らしめて、批判を受けないようにする」

それが最も大きい理由であった。

母の方も、私が外で恥をかかないように、色々と教えてくれた。黒豆を炊く時には鉄釘を入れるだとか、たけのこは米ぬかと鷹の爪を入れて、延々とアク抜きをしないといけないとか.............

日本には、料理に限らず「知っていて当然の常識」と呼ばれるものの数がものすごく多い。実に多い。そしてその一つ一つがちゃんとできているか否かを確認されて、「あの人はキチンと育てられた人だ」とか「常識がない人だ」などとジャッジされてしまうのだ。

そういうことを長年にわたって教わりつつ育つ間に、日本人全体の中に「暗黙の前提条件(ルール)」が形成されていっていることに、多くの人が気づいていない。

例えば英語圏の人とまともに話そうとすると、単語自体の定義のすり合わせをしたり、前提条件をクリアにしたりという作業が必要になってくる。でも日本語の世界には、その部分は存在しない。みんながなんとなくすべて知っているという前提でもって話をいきなり始める。

定義が違うのに延々と議論を続けて、平行線で終わるという例を幾度となく見てきた。

だから、暗黙の前提条件に抵触するようなことは、メンタルブロックが作動してなかなかできない。特に明確に意識してはいないのに、できないと思ってしまうのだ。

何かの料理を作ろうとした時に、その前提条件を突破するようなことは普通はできないのだが、それを1992年の段階で華麗にぶちかましてくださった先人が、栗原はるみさん、なのである。

彼女のレシピには、日本人が知らず知らずのうちに醸成された料理に対する凝り固まった概念を根底から突き崩すパワーがある。多くの料理人に気づきを与えて、そんな常識にとらわれなくていいんだよと背中を押してもらえたのだ。

前提すら疑う姿勢、それがすなわち批判的思考の第一歩である。

この辺りの話は、また別noteにまとめる予定。日本の教育に足りないものを一つ上げるとすれば、この「批判的思考力」の育成だよ。そして、海外で教育を受けるメリットというのは、言語としての英語の習得なんて薄っぺらいものではなく、まさにコレなのであーる。

さて、その後、私は、以下の3冊を買い足した。実は、私にとってのバイブルは、「献立が10倍になるたれの本」の方である。

料理本の多くは、すでに処分したのだが、彼女のこの4冊だけは今でも手元に残っている。料理本を買うなら、新規性のあるものよりも、定番本を少しだけ買うのが良いのかも。あとはネットで調べられるしね。


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