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知らない間にFIREしていたお話

#1 FIRE

「FIRE」という言葉が流行っている。
今年の1月からツイッターをはじめた私にとって、他者がツイートするFIREというワードが謎であった。

「念願のFIREです!」だとか、「はやくFIREしたい!」などのツイートから、「FIRE=クビ(会社都合による退職)を求める人が、今、こんなにも多いとは、なんて病んだ世の中なのかしら」と思っていたのだが、真相は真逆であった。

FIREとは、「Financial Independence、Retire Early」の頭文字。直訳すると経済的独立、早期退職とのこと。

海外から10年サイクルで訪れるバズワード。
20年前に流行ったLOHAS(ロハス)、10年前に訪れたnomad(ノマド)。
そして、今回のFIREである。

ロハスやノマドのワードを日常で見かけることは少ない。
しかし言葉自体は見かけないものの、それらは日常に溶け込み、今、私達の生活の中にある。

新型コロナウイルスの影響で、ノマドのように会社以外の場所で働くことやロハスの提唱する健康で持続可能な生活への意識が高まった。
FIREも日常に溶け込み、当たり前になる日が来るのではないかと感じ、理解を深めるためにFIREに関する書籍や論文、記事を調べた。

そして色々と調べた結果、日常に溶け込みつつあり、10数年前に私自身と友人達がFIREしていたことが分かった。

20代。大学在学中からジョインしたベンチャー企業でのめり込むように働き、IPOを経験。給与から毎月引かれる「るいとう(自社株買い)」に加え、右肩あがりに給与もあがり、20代で資産 数千万円を手にする。
まさにバブルであった。

すごく嬉しかったことは、一緒に働いていた同僚でもある友人達が同じタイミングで皆、リッチになったこと。
得た資金を元に美しい服を身にまとい、金額を気にしないで食事をしたり、未来のことを語りあい、とにかく楽しかった。

バイオリンをはじめた者、美大、大学院に入り直した友人もいた。
経済的独立の恩恵を浴び、本当に自分がやりたかったことへの扉を自らが開く。
私達は自分自身で人生を選び、今で言うFIREを十数年間に体験していたのだ。

#2 FIRE 経済的独立を得た後の選択

経済的独立を得た後、友人達はみな、家庭を持った。

平均寿命は伸びども、構造上、女性の生殖年齢に変化はない。
国が進める不妊に悩む人へ向けた特定治療支援事業の女性対象年齢が43歳未満なのは、閉経が始まる50代の10年前から、作られる卵胞の数が減るなど、受精・着床率が下がるからだ。生命の誕生は奇跡でもある。

かくいう私も当時お付き合いをし、結婚願望が全くなかった彼に結婚のすばらしさをプレゼンし続け、彼からプロポーズを受けた後、結婚式の準備と挑戦したかった企業への転職活動を実施し、新しい職場と家庭、後に子供に出会えた。

十数年前は結婚後に家庭へ入る女性が多く、子供が生まれたら仕事を辞めるものだと信じていた。なのでつかの間の夢の時間を、働いてみたかった会社で、大きな会社だからこそできる社会課題の解決に挑戦できればと考えたのである。私は自分が動くことで少しでも良い未来が、見たことのない明日を創れたらと思うとワクワクする。

ベンチャーで働いていた頃は、0から1を創るおもしろさがあった。
転職先の企業では、出来上がった畑をさらに大きくする、楽しさがあった。

だが、虹色の夢のような日々は突然、悪夢に変わる。
夫が鬱になったのだ。

当時のことを思い出すと、今でも胸がキュッとする。
大好きな彼が生きているのに死んでいた。
声をかけても布団から出られない、カフカの小説「変身」のような日々。

ユーモアに溢れ、素敵だった彼がいなくなってしまった。
そのことが何よりも悲しかった。

その当時の私は毎日がとにかく悲しくて、下を向く度にポタポタと涙を落としていた。
ふとした時に、心にぽっかりと大きな穴があいてしまったような、心に荒野が広がる。
涙が心に届いて、美しい花が咲いたらよいのにと何度も思ったが
荒野は荒野のままで、ただただ、悲しかった。

しかし幸いなことに、このつらい状況を救ったのが仕事であった。
会社へ行き、夫以外の第三者と話をしたり、仕事に没頭することで、悲しい気持ちが和らいだ。

ただ、会社から自宅に戻り、朝と同じ体制で布団に包まる彼を目にすると悲しさで何も考えられなくなった。そのため帰宅時に自宅から2駅前で降り、喫茶店で彼をうつ病から取り戻す戦略を一人、練る日々が続いた。

現状の把握、課題の可視化と改善の優先順位。前例からの学び。
仕事で培った経験がプライベートでも活かせた。少し彼が興味を持った大学院に行くのはどうかと東大の大学生を家庭教師で雇ってみたり、ギリシアに連れて行ってみたり、彼が興味を持った小さな欠片を拾い続け、色々と試した。ここでは書ききれないため、またの機会に「うつ病からの奪還」といった形でニーズと機会があればnoteにまとめようと思う。

立てた戦略「うつ病からの奪還プロジェクト」を完遂した結果、今では彼自身が病気であったことを忘れるほど、元気に過ごしている。
うつ病は、数年間分、ハサミで切り取るように彼の人生を奪った。その頃の記憶は、霞にかかったようにあまり思い出せないと彼は話す。

健康は人生の基盤であり、自身に加え、家族や友人が健康がでないと幸せの確率が下がると痛感した出来事であった。
その後、二度と彼をうつ病をはじめとする、ありとあらゆる病気にしたくないとの思いから、私は病気予防を学び、知識と技術を得て、健康運動指導士として働いている。

#3 FIREしても私が働く理由

人は、幸せになるために、生まれてきた。
人々が1分1秒でも長く、幸せを感じて生きるには、幸せになる確率をあげる技が必要だ。

経済的独立には、お金にお金を稼いでもらう技が。
健康に過ごすには、WHOや厚生労働省が推奨する健康の技がある。

知識と技術を得て、自身で活用することで幸せの扉が開かれる。

私が経済的独立を得た今も働くのは、一人でも多くの方がwell-beingな幸福な状態、WHOの提唱する「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態」に近づけるよう、サポートできればとの思いからだ。

科学的根拠に基づき、知識と技術を得ることで、ひとりでも多くの方々の人生が豊かなものになればと願っている。

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