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第六回:変わりゆくウェルビーイングを捉える

こんにちは、ウェル・ラボラトリーズの金子迪大です。
 
前回はウェルビーイング観も充足度も時間とともに変化することを説明しました。それでは、変化するウェルビーイングをどのように捉えればよいのでしょうか。今回は、これまでどのようにウェルビーイングが測定されてきたかも見ながら、変化するウェルビーイングをどのように捉えることが出来るのか、またその重要性を説明します。


自分で考えてみる

最も簡単な方法は自分で考えてみることです。「自分にとって善いことは何だろうか」「それは今どの程度満たされているのだろうか」と考えてみてください。朝起きた時、仕事が始まった時、お昼ご飯を食べ終わった時、夕方家に帰る時、夜寝る前に、その時々の善さを見つめてみましょう。自分は何をしたいのか、やりたいことはどの程度できているか。短期的に過去15分くらいを考えても良いですし、長期的に最近1~2年について考えても良いです。時とともに自分にとって大切なものが変わり、満ち足りた状態と満ち足りない状態を行ったり来たりすることに気がつくでしょう。

よく用いられる方法では捉えられない

あなた一人の問題であれば上のようなやり方で考えれば良いのですが、多くの人のウェルビーイングを捉えたいという人もいるでしょう。たとえば企業の人事担当者や行政の担当者などです。研究者も常にウェルビーイングをどうやって捉えるかの問題に直面しています。
 
そこで、今回はまず一般的に用いられている方法がウェルビーイングの変化を捉えられていないことを解説したいと思います。もしあなたが個人としてウェルビーイングに関心がある場合には、一般的に「○○な人はウェルビーイングが高い」とか言われるときにどのような方法でその高さが調べられているかを理解してみましょう。そうすると世の中に溢れるウェルビーイングに関する情報の背後にどのような問題点があるか理解できると思います。
 
心理学でウェルビーイング研究が本格的に始まったのは40年ほど前、1984年にエド・ディーナー博士が主観的ウェルビーイング(Subjective well-being)を提唱してからでした。主観的ウェルビーイングは次の3つの要素から成り立っています。人生に満足すること、ポジティブ感情を沢山感じていること、ネガティブ感情をあまり感じていないこと、です。この中でも人生に満足しているか否かということを中心にウェルビーイング研究は進んできました。
 
そこでは、「あなたは人生に満足していますか」というような質問を、多くの研究者は参加者に対して一回きり行ってきました。一回だけだとどうなるかというと、人と人の間のウェルビーイングの違いは分かるのですが、特定の人のウェルビーイングの変化は分かりません。変化を調べるためには複数回調査を行わなければならないからです。一回しか調べないから、「○○な人はウェルビーイングが高い」とか、「××な国はウェルビーイングは高い」とか言うのです。「○○なときにウェルビーイングは高くなる」とか、「国が××に変わるとウェルビーイングは高くなる」とは言うことが出来ないのです。これは、一般的に用いられている方法ではウェルビーイングの変化を取り扱えていないからです。
 
もしウェルビーイングが一日の中で、あるいは人生の中で一定であればたった一度のウェルビーイング測定で十分ウェルビーイングを調べることが出来るでしょう。しかしこれまで見てきたようにウェルビーイングは変動するものです。そして、その変動全てを思い出してウェルビーイングの評価を意識的に行うことは人間には出来ません(ためしに、生まれてから今までのことをすべて思い出して、その時々のウェルビーイングを考えてみてください。無理です)。
 
人生満足感は測定時点で過去の人生に対する印象をざっくりと測定するために用いられるもので、これ自体は1980年代には画期的でした。当時はウェルビーイングや幸福、幸せを科学的に解明しようとする試み自体が異端視されていましたから、そのような中では素晴らしい発明でした。このことは「あなたは幸せですか?」と一度だけ質問することでその人のウェルビーイングを大まかに理解するような方法も同じです。しかし、それから40年が経ちウェルビーイングが時間的に変動するものだということが明らかになっています。現代の知識を元にすれば、より工夫を凝らしてウェルビーイングを測定することが必要になります。

流れゆく時間の中でウェルビーイングを捉える

時間的変化に対応してウェルビーイングを捉えたい、と考えた研究者は多くいます。かくいう私も以前はウェルビーイングが時間的に持続したり変動したりするメカニズムの研究に精力的に取り組んでいました。
 
ウェルビーイングを時間的に捉えたい研究者のはしりともいえるのが、ノーベル経済学賞を受賞した認知心理学者であるダニエル・カーネマン博士です。カーネマン博士は、自身のそれまでの研究成果を元に客観的幸福(objective happiness)という考え方を打ち出しました。
 
カーネマン博士はウェルビーイングを考える際に二種類の自分を区別します。ひとつ目が想起される自分(remembering self)です。たとえば、昨日の昼間、あなたはどこにいましたか。何をしていましたか。どのような気持ちでしたか。このような過去の自分は、今この時に頭の中で想起している自分です。それに対してふたつ目が経験している自分(experiencing self)です。今あなたはどこにいますか。何をしていますか。どのような気持ちですか。こちらは今この時に存在している自分です。
 
この区別は何故重要なのでしょうか。よく言われるのは想起される自分については記憶のバイアスが存在するということです。たとえば、昨日は一日中そこそこ楽しくウェルビーイングの高い時間を過ごしていたのだけれども、午後のある時間に外を歩いていたら嫌いな人とばったり出会ってしまいました。その瞬間イライラが発動し、5分ほど嫌な気分になってしまいました。この嫌な経験は幸い尾を引かなかったのでその後も楽しい時間を過ごしたのですが、その5分間だけはとてもウェルビーイングが低くなってしまいました。今、昨日のことを思い出すと嫌な経験をしたその5分間の記憶が鮮明に思い出されてしまいました。強い感情経験を引き起こす記憶は思い出しやすい傾向があるのです。そこで昨日のウェルビーイングを尋ねられると、「昨日のウェルビーイングは低かった。10点満点中3点だ」と回答するでしょう。これが想起される自分に基づいてウェルビーイングを算出するということです。
 
これに対して経験している自分に基づいてウェルビーイングを算出する場合、その時々のウェルビーイングを平均するということをします。この方法で昨日のウェルビーイングを計算してみましょう。たとえば、朝起きてから夜寝るまで、10点満点中で大半の時間を8点で過ごしていたとしましょう。しかし嫌な5分間だけ、0点だったとします。その場合平均点は何点でしょうか。ほぼ8点のままです。このようにリアルタイムで経験している自分を基準にウェルビーイングを考えることは実際の経験に基づいているのに対して、想起される自分を基準にウェルビーイングを考えることは想起している時の自分の状態によって変わってしまうため事実を反映していないのです。
 
このように、カーネマン博士はウェルビーイングを経験している今この時の自分の評価を時間経過とともに足し合わせ続けることによって、一定期間のウェルビーイングを計算することを勧めています。この方法を用いれば、ウェルビーイング観が変化してもその時々のウェルビーイング観と充足度でウェルビーイング度を計算し、それを足し合わせていくことで1日のウェルビーイング度、1年のウェルビーイング度、一生のウェルビーイング度を計算できることになります。
 
このような発想に基づくと、ウェルビーイングの計算プロセスが変化することが理解しやすいという利便性もあります。一回きりのウェルビーイング測定に基づく思想だと、ウェルビーイング観が変化していることを理解しにくです。一方、今を経験している自分の大切にするものは刻々と変化しますので、ウェルビーイング観が変化することも理解しやすいです。

過去の再評価はいつのウェルビーイングを高めるのか

ここで一点注意をしておきたいことがあります。このような話をすると、「過去の嫌なことを乗り越えられることがあるじゃないか、それは素晴らしいことじゃないか」とか、「辛い過去があるから素晴らしい今がある」、ということを言われることがあります。前者の例としては、昔いじめられていたけれども今はその経験を乗り越え、いじめてきた相手を許し、高いウェルビーイングを享受できているというようなケースです。後者の例としては、厳しい部活のしごきを経験し、しかしそれを乗り越えて現在活躍しているスポーツ選手のようなケースです。これは、当時経験していた自分のウェルビーイングは低かったけれども、想起される自分は当時からウェルビーイングが高かったと考えるようなものです。
 
このように、過去の辛い経験を乗り越えられることは素晴らしいと思います。心理学ではこのような乗り越えるプロセスを再評価(reappraisal)と呼んで研究がたくさん行われてきましたが、積極的に乗り越えられるように社会が支援するべきだと思います。ですが、これはあくまで乗り越えた後の自分、つまり、想起という経験を今している自分のウェルビーイングです。今、昔の自分を思い出して過去について懐かしみ、「意外とよかったぞ」と思う、そんな今のウェルビーイングが高いのです。決して過去のウェルビーイングが高かったわけではありません。
 
少し残酷かもしれませんが、過ぎた時間は戻りません。それでもウェルビーイングに携わる者であればこの区別をつけなくてはならないのです。何故なら、ウェルビーイングは規範的な意味を持ってしまうことが避けられませんし、意思決定や行動選択に影響を与えるからです。規範的な意味を持つというのは「こうした方がいいよ」とか「こうしなさい」と言ったおススメをすることです。そのおススメが単なる声掛けの時もあれば、第四回で例示したように、西洋諸国によって未開人と見なされた先住民に対して親元から引き離し白人家庭で育てる、という強制的なものもあります。これらを正義の名のもとに行ってしまうのです。
 
また、ウェルビーイングが意志決定や行動選択に影響を及ぼすというのは、善いことだから自分がまたやろうとか、(子どもを含む)他人や社会の行く末を決めるときにそのような善いことを増やすように行動するということです。もしかすると、そのような意見を持つ人が会社の方針を決めたり政策決定をする際に部下や市民のウェルビーイングを低下させるような施策を取ってしまうかもしれません。本人が今思い返すとそれは善い過去だったからです。このような結果、辛い経験が繰り返されてしまうのです。

まとめ

今回は時間とともに変化するウェルビーイングをどのように捉えるかを解説しました。自分ひとりであれば日々考え続けることで善いかもしれませんが、全体の傾向を把握したいときもあります。そのような時には今までしばしば用いられてきた方法では把握できないですし、今まで明らかになってきたウェルビーイングについての発見も時間的な変化を考慮に入れていません。ウェルビーイングの時間的変化を捉える試みはまだまだ研究途上ですが、この道を進むことでウェルビーイングとは何かをもっと正確に理解できるようになるでしょう。

あなたがウェルビーイングな人生を送れることを心から願っています。


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