夢はないけど、あるがある。

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で、、、今朝、読まれぬままただ積み重ねられた本(これ、、、つんどく・積読って言うんですね。なんとステキな概念…)の整理をしていてふと手に取った本の裏表紙

『 神秘体験と呼ばれる恍惚とした経験と、私がここで伝えようとしていることは、ひどく混同されてしまうようですが、両者はまったく別物です。』

あなたも私もいない リック・リンチツ著より 

まさに、そんな収録内容だったので、、、動画の概要のほうにもこちらを添付させていただきました。

そして、ちょうど、、、、

先日の おしゃべりセッション でも、このような話題になって、、、その方と意気投合したわけなんですが

わたしとその方、まったくおなじ表現をしていて爆笑したんですけど、それが

「 これは夢も希望もないハナシ 」

だと、、、わたしもたぶんどこかに「いわゆるそれっぽい雰囲気も醸し出せませんし、悟らせることもできませんが、夢も希望もないハナシならできます」って書いていて、そのあたりについてはあちこちで、kindle書籍でも言っていることなのですが、、、

なんというか、それを言うのって、、、

めちゃくちゃいいかんじに盛り上がっているパーティーで、
盛り下がるような発言をするようなもの

ディズ●ーランドのどまんなかで、、、ミッキー●ウスなんていない!あれは単なる着ぐるみで、中身はアルバイトのお兄ちゃんかお姉ちゃんだ
(いや、雇用形態までわからないだろ)


、、、みたいなことを叫ぶようなことだよねって(笑)

で、ここもその方と共通していたんですけど、、、

「 その夢から醒めないとそれは終わらない。」

その夢をみていること自体が、その悩み・苦しみそのものなんだよね、、、って。この夢っていうのが(=探究)と呼ばれているものでもあるわけなんですけど、夢の中でなにをする・しない・なる・ならないってことでもなくて、、、、その夢から醒めないと、それは終わらない。

悟り探究も例外ではなく、それが「現実逃避のためのなにか」になっているなら、それはやはり「夢」だ。その現実逃避によって、逆に、、、悟り探究を通して求めている「いま・ある・これ=いまここ」にも気づけないオープンシークレットがおきている、、、ってことを kindle書籍でも扱っているのですが、、、

でも、それがなかなか、、、
「夢」をみているときにはむずかしい。

夢って苦しいだけじゃなくて「そこになにかある」っていう夢をみさせてくれているから、たぶん「夢」を見続けているわけなんですよね。

飴と鞭、、、

その「夢のホント」を知るというのは、自分がやってきたこと、信じているもの、もろもろもろもろを否定するようなことだから、、、(否定というより、事実を突きつけられて、結果としてそんなかんじになっちゃう…)

そこからパッと切り替えるのって、、、それを手放すのって、、、波乗りの感覚と似ていてアタマじゃできない(それもあって、難しい。)

で、、、それをわざわざ言う必要ないだろ? って。
、、、いま、みている「夢」を壊す必要もないだろ?

そうすると、黙りますよね。

そうなんだよな、、、て。

そして、それをただひとり 味わう ってことが起きるわけなんですけど、それが愛しさと切なさと心強さと、、、そういうキュンとするような感覚と静けさ、、、

ここに自由があるし、平穏があるような気がします。


夢はないけど、あるがある。


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