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分離視点はいつでも片手落ち

非分離の視点で捉えてみると、、、

卵が先か鶏が先か? は 卵と鶏は同時  なのだよね

原因と結果のなさ それとこれは同時
原因と結果という“概念”にしばられなくてもいい 

ってこと

これがあるからそう じゃなくて これとそうは同時 ゆえに不調があるから不機嫌であり不機嫌だから不調がある みたいなこと どっちかだけを原因や結果であると決めつけてしまうと片手落ち 視点が狭まってしまう分離視点/二元性

じゃあ、どうすれば?

バラバラなものとして捉えない というより 
バラバラであるという“思い込み”に気づいてみる

思い込みというフィルター/色眼鏡 をとおしてみている世界 価値観の世界 概念の世界 分離感の世界

原因と結果ってウソ

、、、とまで言ってしまうのも、微妙なので 
表面上=幻=概念 後付けの解釈 概念でしかない

そうなったからこうなった という後付けの意味づけ

概念って全部そう

後付け 単なるネーミング ラベリング
ゆえに、“それ”そのものじゃない

すべては同時=いまここ バラバラじゃない

複雑さ とはバラバラのこと バラバラであるとき、バラバラに見えるとき、それらは複雑に見える いわゆる現実といわれているものの切実感、切迫感、リアリティ 

そして、単純であれば、それはカンタンになる

“それ”ってバラバラにネーミングされている以前はひとつとして見えていた“それ” 実際には、いまだってそうなのだけど、ネーミングがそれを見えなくさせている、だけ。

その バラバラでなさ 

分離してなさ調和 すべての解決 

解決=解消 って分離の解消=ひとつ であることの再認識 赤ちゃんのときの“それ”


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp


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