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有機農業者がベンチャー事業をはじめた物語

2010年くらいからの話。私が就農したばかりの時から、野菜の個人宅配を月に100件程定期発送していた。5月から12月末まで定期的に旬の野菜を送る。お客さんはほとんどが都市部に住む友人かその友人だった。みんな知り合いみたいなもので私は出荷する野菜に関して断じて恥じるような仕事はしなかった。送料を含めるとスーパーに並ぶ野菜に比べたら決して安い買い物ではなかったと思うけれど、お客さんと価値観を共有できていたと思う。この経験がいまでも私の農業者としての礎になっている。みんな互いのできることで互いの生活を支えているのを実感していた。

しかしながら全部がそんな素敵な顧客ではなく、別の出荷先では業者の都合で買い叩かれ、食卓に並ぶことなく畑で朽ちていくよりはマシかと手塩にかけた野菜をタダ同然の値段で頭を下げて売らなければならない。まったく生きていくのは大変だ。時にやりたくないことも歯を食いしばってやりきらねばならぬ、というのも時々であって実際のところそんなもの妄言なのではないか。そのように思い至り、人間味のない顧客との付き合いは一切やめた。

一切やめたはいいが、一部(むしろ大部分)の野菜に行き先がなくなり収入も減るということで新しい出荷先を見つけなければならない。
以前に都内近郊の自然食品店に宅急便で出荷するはずの野菜を送り忘れ、翌日に店まで直接配送したら店員の女性にたいそう喜ばれた。店舗と取引をしていたが実際に売り手に会うのは初めてだった。その時はなにがそんなに喜ばしいのか理解できず変わった人だなと思っていたが、彼女は直送の鮮度と美しさ、作り手とのコミュニケーションに大きな価値を感じてくれたのだと思う。
これをヒントに近隣数件の農家と共同で都内近郊の自然食品店に朝採り野菜を当日中に自前で届けるという取り組みを始めた。渋滞や気象条件などで店舗への到着がいつになるかわからないにも関わらず、楽しみに待っていてくれるお客さんがたくさんいた。当時住んでいた北杜市から都内5店舗への自主配送だったので実に大変だったが充実していた。しかし1年ほど経過したところで店舗側の重鎮の錯乱により金銭的なトラブルが頻発し継続が困難になった。まったく生きていくのは大変だ。

冬の農閑期に神楽坂に住む友人宅を訪問した時のこと。
近所で若い兄ちゃんが八百屋をやりはじめたなんていうもので覗いたら、当時はバックヤードもない小さな店舗で当時30歳くらいの男性が苦しそうな顔で店番をしていた。いつも苦しそうな顔をしているのは彼がもともとそういう顔の人なのは後にわかったことで、当時は苦しみに耐える姿に共感したような気もする。なによりも野菜流通に関わる旧態依然とした人たちとの関わりに辟易していた時でもあったし、彼は私と同年代で若かった。先の重鎮トラブルに巻き込まれていた時期ということもあり、新しい時代を作るのは老人ではない、という強い思いがあった。若い世代と仕事がしたかったので、ただちに連絡を取って話をした。彼は公認会計士でかつては監査法人に勤めていたエリート金融マンだった。聞けば壮大なマネーゲームに嫌気がさして超高額サラリーを棒に振って独立、畑違いの産直八百屋をオープンさせたという格好だった。私もまあまあ似たような境遇からアクロバティックに農業を始めたのでシンパシーを感じた。他人からみたら荒唐無稽にも見えるかもしれないが本人の中には義があるものだ。

それから数年間、店に野菜を出荷する一方で彼と各地の農業者を訪ねたり、野菜の商品開発をしたりしていたところ、2017年あたりに運営する会社で農業生産に乗り出したいというので役員とし経営参画してくれと言われたので乗った。農業は規模の経済。量が多ければ運送コストを減らせるし、単価が低いので量を出すことで収益を得るのが王道だ。なによりも自分の仕事のおかげで誰かの食卓が華やぐのは農家冥利に尽きるというものだ。そしてその食卓は多ければ多いほどいい。

2018年に日本政策金融公庫から融資を受けて東京都西多摩郡日の出町に株式会社アグリコネクト日の出圃場が誕生。自社圃場で生産した有機野菜をその日のうちに神楽坂にある八百屋、神楽坂野菜計画で販売する。東京で地産地消。生産・物流・販売を自社で行うことで中間マージンを一切排除して適正な価格で野菜を供給する。

つまり安心安全な食べ物を生産して適正な対価を得る。このあたりまえのことを実現する為にジタバタとやってきた道の途中で、いまは企業の役員として農業をやってるというお話でした。

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