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路地裏の雑文集 vol.9 "東京"にだってローカルはきっとある。

3回目ともなると、「緊急事態」もさすがに安売りバーゲンみたいになってきました。「緊急」がいよいよ言葉の意味を見失い、そりゃ路上飲みや越境飲み、闇酒場しかり、制御不能になることは容易に想像つきましたよね。

とはいえ、これが4回目、5回目と永続的に発令されると、いい加減気持ちが折れちゃいそうなので、今回が最後の「緊急事態」になることを祈るばかりです。

コロナ禍によって悪い影響も良い影響も清濁併せ飲むような毎日が続きますが、個人的に無理やりポジティブな面を挙げるとすれば、自分が暮らすローカルとの関係値やそこへの愛着がより深まったことです。

ご時世もご時世なだけに、わざわざ電車に乗ってどこか遠い街まで出掛けるという機会や気分がめっきりと減り、休日といえば、もっぱら学芸大学や自宅がある駒沢公園周辺エリアの好きなスポットを歩きながらダラダラと回遊する日々です。具体的な活動範囲が、だいたい、駒沢公園を中心にした二子玉、自由が丘、渋谷を結ぶデルタ地帯に集約されつつあります。

そして、それが全然悪くない。

見ず知らずの場所に新しい刺激を必要以上に求めなくても、駒沢公園や多摩川はもちろん、コーヒースタンド、やれやれ系本屋、映画、カレー屋、ナチュール、ビール、タコス、ドーナツ、麻婆豆腐、ふくもり、古着、旨すぎるイタリアン、宮崎料理、などなど、お気に入りのローカルベニューが身近に充実し過ぎていて、各所に足を運べば運ぶほどに、初訪では感知できない魅力を受信することができるようになり、対象との関係性も蓄えられて、このエリアで暮らしていることへの実感が増すばかりなのです。

この我が愛しの三角エリアに、愛情を発露するための受け皿として、行政区とは別個に、何かイケてる名称を授けることができないものなのか、ずっと考えています。「ブルックリン」とか「ソーホー」とか「パールディストリクト」とか「奥渋」みたいなやつ、誰かうまいこと名付けてくれないでしょうか。「駒沢界隈」では野暮ったいし、「コマックリン」ではさすがにこそばゆいので。

あとはフットサル場か、駒沢公園競技場をホームスタジアムとして利用するアーセナルのような麗しいパスサッカーを披露するプロサッカーチームがあれば、おらが街としては個人的には申し分ないのですが。

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「どの街で暮らすのか、そして、その街との関係をどう築いていくのか」っていうテーマ系は、憎きコロナが僕らに突きつけたポジティブな方の問題提起だと思っておりまして、

1人の住民としても、場末の文化会館のスタッフとしても、改めて、ローカルの価値やその耕し方について、誰に頼まれるわけでもなくウダウダと考えることが増えたのですが、最近たまたま飲んでいたクラフトビールがとてもよいヒントを授けてくれました。

逗子鎌倉に拠点を置くヨロッコビールが今春リリースした「とびうおラガー」。

ホッピーでボディが効いたIPA系のビールが体質的にも苦手なこともあって、ベルジャンスタイルで麦の旨味を優しく引き出すヨロッコビールが大好物なのですが、この新作も案の定おいしい。逗子鎌倉で収穫された夏みかんや橙を手で絞った果汁を加えたラガービールで、柑橘由来の爽やかな酸味と甘みが、モルト感と程よく調和して、春の陽気を待ちわびた喉を潤すにはぴったりのビールでした。

飲み心地はもちろんのこと、重ねて見過ごせなかったのがボトルに記載されていたキャプションです。

「逗子海岸とその周辺で、四季を通じて放課後に遊びつくす小学生のクラブ、とびうおクラブ。メンバーの親子たちがご自宅やご近所、そして海のじどうかんから収穫してきてくれた、夏みかんや橙を使った爽やかなラガービールです。2007年から通算で4度目となりましたこのコラボレーション、今回もローカルの旬の味わいをお楽しみください」

ヨロッコビールが「Support Your Local」という姿勢を醸造所の理念に掲げていることは知っていましたが、地元素材をビールに活用するという位相に留まらず、地域に暮らす人たちの体験や記憶とも積極的に関わり合いながらビールを作っているという物語には胸がザワつきました。

その取り組み自体は、地方紙に掲載されるか否かの慎ましやかなニュースだとは思いますが、僕がいいなとニヤニヤしてしまうのが、このビール作りに参加した小学生らがそのまま地元で大人になった時に、お店に入って一杯目のとりあえず生ビールが「スーパードライ」や「一番搾り」ではなく、自ずとヨロッコビールになるのだろうなと想像できることです。

彼ら彼女らが将来ヨロッコビールを飲む度に、地元の景色や匂いや記憶と結びつきながら、ローカルとの絆を確かめていくのだろうなと。

作り手はもちろん、住民にとっても、そうした地域経済というか、地域の営みの循環に、自分も明確に参与しているという手触りは、大きな充足感をもたらし、おらが街への誇りのような感情まで芽吹かせると思うのです。

自分が、自分の住んでいるローカルの一員だと実感できることや、その街で暮らしていることの確かな身体感覚や当事者性は、個人というものが学校や大企業という従来の共同体から切り離され宙吊り状態になりつつあるいま、コロナ禍による分散力学とも相まって、とてもとても重要になってくる予感がします。

そうだとすれば、やはり、街と住民の間を取り持ち、「地域」や「ローカル」という、いわば形の見えない概念のようなものとの物理的な接着点となって、住民同士を緩やかに繋ぎ合わせる、それこそヨロッコビールのようなブリュワリーや、個人商店や銭湯や食堂など、その地域固有のローカルビジネスが社会の中核として、いままで以上に大きな役割を担っていくのではなかろうかと思えてなりません。

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写真はかつて旅行で訪れたスペインはバスクの地方都市ビルバオのサッカースタジアム「サンマメス」。ヨーロッパでは、各地域に根差すフットボールクラブが、郷土愛を育む依り代として、共同体の一員であることを確かめるための実体として、大切な役割を果たしています。

ビルバオなんかは、行政主導で、都市コミュニティ形成の重要なドライバーとしてフットボールとアートを位置付けていて、その何に感心するのかといえば、街の中心にあるセントロ広場から、四方へと伸びた大通りの抜け先にスタジアムや美術館(グッゲンハイム)が実際に目に入るよう街全体が設計されていることです。郷土の象徴が視覚的にも日常と共にある。さすがは成熟都市。


自分が、自分が暮らすローカルの一員であると確かに感じられること。

おぼろげではありますが、そのあたりが、これからの時代(アフターコロナ?)の豊かさに直結するオルタナティブな指標になると思うのです。

そして、それはきっと地域のサイズ感だったり人口規模も少なからず関係してくることでしょう。

「名無し」の消費者としてしか存在し得ない大都市ではやっぱりそうした実感を得るのは難しくて、ローカルビジネスを軸にした緩やかな紐帯が成立し得る、ちょうどよいサイズ感の街が存在感を増していくことでしょう。

逗子鎌倉はもちろん、三浦や甲府や松本、東京でいえば、代々木や西荻や清澄白河や高円寺などのローカルへと、面白いヒトやコトや情報が分散し始めているのは偶然ではないはずです。

地縁や血縁だけに頼らない、能動的で、創造的なローカル。

そんなローカルが東京にもこれからどんどん立ち現れることでしょう。

学芸大学や駒沢公園を含む、我が愛しき三角エリアだって、その一つとして実っていく可能性は十分すぎるほどあると思っています。

路地裏の文化会館が貢献できることはまだまだあると踏んでいます。
今はじっとこらえて、出番を待つばかりです。

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