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日記:セルフ・ハンディキャッピング?

社内のとある機会(チャンス、ともいうのか)に応募していて、
その結果が、上司から告げられた。
「結果から言うと、今回は残念な結果だった」とのこと。

応募に通らなければ、これまで通りの業務を続けるだけなので、
想像していたのは「もし本当に通ったら」ということだけ。

その機会を掴むことができたら、自分の人生の中で大きな経験になるだろう。
きっと、わくわくすることが待っている。

でも、本当にその機会をちゃんと活かすことができるのか。
自分に課せられた責任をちゃんと果たすことができるのか、全うできるのか。
大きく変わるであろう生活環境化に、対応することができるか。
不安な気持ちもあった。

むしろ、不安な気持ちの方が大きかったのかもしれない。
応募する、と決めてはいたものの、
通る可能性の方が低いことは分かっていたし、
不安な気持ちがあっても、「どうせ通らないだろうから」と考えて不安を打ち消したこともあった。

でもこれは、一種の『セルフ・ハンディキャッピング(※)』なのだろうか。
※試験前に勉強しなかったり、友人に「全然勉強してない」と予防線を張ったり、結果が出る前に失敗の(自分以外の)原因を示し、失敗してもその原因のせいだと言い訳できるようにすること。反対に成功した場合は、「困難な状況でも成功できた」と、自己評価を高めることができる。

上司から告げられた時、何の感情も湧かなかった。
少しほっとしたような気はする。このままの生活が続くんだ、と思った。

上司の方が残念がっていたようにも思う。
自分ももう少し残念そうにした方が良かったのだろうか。

いやでも本当は、ここにこんな風に書くことで、『セルフ・ハンディキャッピング』して、自尊心を守っているのではないか??
実はすごく悔しくて悲しくて、いちばん残念に思っているのは自分なのでは??

自分の気持ちを客観的にとらえたいと思えば思うほど、
自分の気持ちを正しくとらえられていないのではないかと疑心暗鬼になって、
いろんな考えが浮かんできて、どれが正しいのか、勝手に振り回されているみたい。

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