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ナゴルノカラバフ紛争再燃 緩む国際秩序にほくそ笑むロシア|【POINT OF VIEW】

旧ソ連のアルメニアとアゼルバイジャンの間で、凍結状態にあったナゴルノカラバフ紛争が再燃した。武力による現状変更が半ば追認される現状は、冷戦後の国際秩序の変化を示している。

文・マクシム・クリロフ(Maxim Krylov)
国際ジャーナリスト
1988年ロシア生まれ。モスクワ国際関係大学国際関係学部、一橋大学法学部卒。10年以上にわたり日本と中東を中心に国際情勢を取材し、カーネギー平和財団モスクワセンターへの寄稿も多数。

出典:Wedge 2021年1月号

 新型コロナウイルスの第2波の到来と米大統領選の最中、突然勃発した「第二次ナゴルノカラバフ戦争」。1カ月半ほど続いた戦闘は2020年11月10日のモスクワ時間午前0時に停戦合意が発効したが、両者の対立はむしろ激しさを増す一方だ。

 対話での解決の目途を立てられず、30年間近く「凍結状態」にあったこの国際紛争は、なぜ今になって再燃したのか。同盟国の敗北を意味する停戦合意の締結を促したロシアの思惑は何だったのか。そして、遠く離れた日本にとって、この戦争は全く関係のない「対岸の火事」なのか。本稿では、多くのメディアに看過されたナゴルノカラバフ戦争が持つ意味を、この三つのテーマを中心に検証する。

 1994年にアルメニア側の圧勝で終わった第一次ナゴルノカラバフ戦争の結果として、アルメニア人が多数を占める旧ナゴルノカラバフ自治州を含むアゼルバイジャン領土の一部はアルメニアの支配下に置かれた。自治州は事実上独立国家の「アルツァフ共和国」となり、自治州以外の占領下のアゼルバイジャン領土は、「アルツァフ共和国」を囲む「緩衝地帯」の役割を果たすようになった。

 第二次ナゴルノカラバフ戦争はこの現状を一気に覆した。専門家の予想を大きく上回る勝利を収めたアゼルバイジャンは「緩衝地帯」のほぼ全域を取り戻し、「アルツァフ共和国」の二番目に大きな町、シュシャも手に入れた。事実上、アルメニアの敗戦である。停戦合意は「アルツァフ共和国」の今後に一切言及していないが、合意に基づいて「アルツァフ共和国」とアルメニアをつなぐラチン回廊に配備されたロシアの平和維持部隊が「アルツァフ共和国」の存続を事実上保障することになる。

国際社会の調停が実を結ばなかった
ナゴルノカラバフ紛争

(出所)外務省資料や各種報道を基にウェッジ作成

 なぜ30年近く断続的な小競り合いにとどまっていた紛争が、大規模な衝突へと発展したのか。アゼルバイジャンが侵攻を決断した理由には、大きくいって三つあると思われる。

 一つ目は、長年にわたり行われた和平交渉が奏功しなかったことである。2018年までナゴルノカラバフ出身の人物が大統領と首相の地位にあったアルメニアは、交渉自体に対して極めて消極的であり、アルメニアの世論もアゼルバイジャンへのいかなる譲歩を一貫して拒んできた。結局のところ、空回りし続ける外交に失望感を募らせていったアゼルバイジャンは、膠着した現状を武力で一気に打破するという選択肢を選んだ。

 二つ目の理由は、両国間のパワーバランスがこの十数年で大きくアゼルバイジャン側に傾いたことである。産油国であるアゼルバイジャンは、00年代の半ばにおいて世界で最も急激な経済成長を遂げた国の一つとなった。14年時点でアゼルバイジャンの名目国内総生産(GDP)と軍事費はアルメニアのおおよそ7倍まで膨らんだ。その後その差は多少縮んだものの、アゼルバイジャンが急速に進めてきた軍の近代化が、今回の侵攻に有利な状況をつくり上げたのは間違いない。

 三つ目の理由は、ロシアとアルメニアの関係の冷え込みである。18年の民主主義革命で誕生したアルメニアのパシニャン政権は、従来の親露路線の部分的な見直しとともに、外交政策の多角化の一環として欧米との接近も試みた。旧ソ連圏でたびたび起こる革命に当初から強い警戒心を持っていたロシアは、自らがリードしている集団安全保障条約機構(CSTO)の加盟国であるアルメニアが「両賭け」をしようとしているのを見て、不満を隠さなかった。

2019年のCSTO首脳会談。一番左がアルメニアのパシニャン首相。今回の紛争で、プーチン大統領(右から三番目)はCSTOを機能させなかった (REUTERS/AFLO)

 それを見たアゼルバイジャンは、多少のエスカレーションでもロシアは待ったを掛けないと予想した。それは見事に的中し、地域大国トルコの支援も取り付けたアゼルバイジャンは戦闘開始後も、限定的な進展に満足せず、最後までアルメニアに強硬姿勢で臨むことができた。

アゼルバイジャンは紛争地域の大部分を奪還した

(出所)各種報道を基にウェッジが作成

強かなロシアの立ち回り

 同盟国アルメニアの敗北を黙認し、アゼルバイジャンを後押ししているトルコによる地域への介入まで許してしまったロシアは、一見すると損をしたかのように思える。だが、それは見当違いだろう。第一に、ロシアの仲介で行われた11月10日の停戦合意で実現した、ナゴルノカラバフへの〝平和維持部隊〟の配備によって、この地域一帯におけるロシアの影響力はむしろ格段と強くなったのである。

停戦合意後、ナゴルノカラバフに〝平和維持部隊〟として展開するロシア軍 (SPUTNIK/JIJI)

 旧ソ連圏や中東の紛争に必ず一枚噛もうとするロシアの狙いは、それらの紛争の行方に関する一切の取り決めに対して「拒否権」を得ることである。その拒否権が持つ価値は紛争自体に限らず、ロシアと紛争の当事者、さらにいうとロシアと他の関係国・関係組織とのやりとりにおいて、貴重なカードになっている。今回の紛争で一戦も交えないで平和維持部隊というカードを手に入れたロシアは、大いに得したといえよう。

 第二に、アルメニアの敗北は最初からロシアの計算のうちに入っており、むしろモスクワにとっては最も望ましいシナリオだったと思われる。周辺国に対するロシアの戦略を最も的確に表す言葉は、「フィンランド化」であろう。1939~44年までの間に2回もソ連と戦火を交え、敗戦した北欧フィンランドは、戦後の冷戦期、市場経済や民主的な政治体制を維持する一方、外交政策においてはモスクワの逆鱗に触れるような動きを一切避け、一貫して中立を保ってきた。

 旧ソ連圏の文脈でいうフィンランド化は具体的に二つのNOを意味する。一つ目は、内政において反ロシア的なレトリックを助長しないこと。二つ目は、外交においてロシアに敵対する北大西洋条約機構(NATO)のような組織や二国間条約に参加せず、将来的にもそれらに参加する意図を持たないことだ。

 第二次ナゴルノカラバフ戦争で最後までアルメニアと一定の距離を保ち続けたロシアの狙いは、アゼルバイジャンの手を借りてアルメニアの立場を悪化させ、同国を従来の親露路線に戻し、そのフィンランド化を半永久的なものにすることだ。屈辱的な停戦合意に署名したアルメニアのパシニャン政権が比較的近いうちに辞職に追い込まれる公算は大きい。極限に弱ったアルメニアを受け継ぐ後継者は、ナゴルノカラバフ紛争自体が最終的に解決されない限り、モスクワの不満を招くような行動を控えるだろう。

超大国なき国際秩序

 今回の戦争で、武力による現状変更を黙認してしまったのはロシアだけではない。米国や日本など西側諸国も同様で、国際社会は一様に鈍いリアクションを示した。

 これは今回に限定した事態ではない。ソ連の崩壊後に超大国・米国によって築き上げられた国際秩序は明らかに衰退している。グローバルな「パクス・アメリカーナ(米国による平和)」の代わりに誕生していくのは、トルコやロシアのような地域大国による勢力圏だ。こうした勢力圏同士の競争を伴う「秩序の局地化」が今後の国際関係を形成していくだろう。

 日本の戦国時代にも似ているこのような構造は、冷戦期の二極体制や冷戦後の一極体制よりもはるかに不安定である。超大国・米国が今まで支えてきた国際秩序が今後も弱体化していく可能性がある中、ナゴルノカラバフのように長年にわたって凍結状態にあった紛争が、これからも次から次へと再燃していくことだろう。それはアルメニアのように安全保障において自らより強い同盟国に頼らざるを得ない日本にとっても、看過できない問題である。

出典:Wedge 2021年1月号

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