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「男性を家庭に返す」これが日本の少子化対策の第一歩|【特集】昭和を引きずる社会保障 崩壊防ぐ復活の処方箋[PART-4]

山口慎太郎(東京大学大学院経済学研究科教授)

少子化対策は社会の構成員であるわれわれ全員の利益につながりうる。エビデンスに基づき、「子育てにおける男女平等」を目指した政策的介入が必要だ。

 2月22日、厚生労働省が発表した人口動態統計速報によれば、2020年の出生数は前年比2.9%減の87万2683人と過去最少であり、19年に続いて2年連続で90万人を下回った。期間合計特殊出生率は1971年~74年の第二次ベビーブームをピークに下がり続け、2019年は1.36である。

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 こうした少子化傾向は日本に限らない。東アジア地域やシンガポールの出生率は日本よりも低いし、すべての先進国において出生率は人口を維持する水準に達していない。出生率が下がっていくということは、少数の現役世代が多数の引退世代を経済的に支えることを意味する。今後、社会保障制度が改革されることがあっても、それを持続・充実させるための一つの方法として、出生率の引き上げが必要とされているのだ。

 社会保障制度は人々が安心して暮らしていくために不可欠なものであり、これを維持するために出生率を引き上げることは社会全体にとっての利益につながる。一方で、子供を生み育てる費用を直接負担しているのは親である。子供が社会に存在することが社会保障制度の維持をもたらし社会全体が利益を得るにもかかわらず、その費用や労力を負担するのが親に限られてしまうならば、少子化が進んでしまうことは必然だ。

 子供を持たない人からすれば、子育て支援策や少子化対策に直接的なメリットを見出せないかもしれないが、他人の子供が立派な大人になることで、間接的には老後の自分を含め、社会の構成員であるわれわれを経済的に支えてくれることになるという事実にも目を向けてほしい。

 つまり、子供を生み育てることの費用を下げるために、政策的な介入が必要である。そのためには、待機児童解消に代表されるような子育て支援策の充実はもちろん、若年層の経済環境の改善(非正規雇用対策)など多くの手当が必要だ。

妻の子育て負担の引き下げを狙い撃つ

 これまでの多くの経済学の実証研究によると、児童手当や保育所整備といった様々な少子化対策は出生率引き上げに有効である。そうした諸政策の中でも特に費用対効果が優れる少子化対策とはどのようなものだろうか。有効な政策を考える上で重要なのは、子育てにおける男女平等の視点だ。

 もともと、男性の家事・育児負担割合が高い国ほど出生率も高いという正相関があることはよく知られてきた。しかし、このことから直ちに男性の家事・育児を増やせば出生率が上がるかどうかは言えない。仮にそうした因果関係があったとしても、どういう理屈で出生率が上がるのかについてはよくわかっていなかった。

 2019年に米ノースウェスタン大学のドゥプケ教授と独レーゲンスブルク大学のキンダーマン教授が発表した論文ではこの点を詳しく検証している。この論文内で参照されている調査では欧州の19カ国で夫と妻それぞれについて、いま子供を持ちたいと思っているかどうかを聞いた。

 その結果、まず明らかになったのは、夫婦で意見が一致しないことは珍しくないことだ。そして、3年後にも追跡調査した結果、夫婦ともに子供を持ちたいと思っている夫婦たちほど出生率が高い。当たり前に感じられるかもしれないが、子供を持つかどうかを決めるにあたって、夫婦の合意が重要であることが確認されたのである。

 一方、夫婦の意見が一致しない場合には、妻が子供を持ちたくないと思っていることが多く、そうした夫婦は実際に子供を持たない傾向があることがわかった。では、なぜ妻は子供を持つことに消極的なのだろうか。データを詳しく見ていくと、妻が子供を持ちたくないと思っている夫婦では、夫の家事や子育て負担の割合が低いことがわかった。つまり、子供を持つとその負担は主に自分にのしかかると妻は見通しており、それゆえに新たに子供を持つことに抵抗感があるのだ(図参照)。

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 これは少子化対策を設計する上で重要な視点を提供してくれている。これまでの政策論議では、夫婦合わせた子育て負担を減らすことを目標とすることが多かった。しかし、夫婦間での負担割合にも注目する必要があることが、この研究で指摘された。少子化対策の主な原因には妻の子育て負担割合が大きいことがあり、この負担を引き下げることを狙い撃ちしたような政策が必要であることを示しているのだ。

 つまり、出生率を増やすには「子育てにおける男女平等」にいかに近づけるかがポイントである。

男性の1カ月の育休は人生・社会を変える

 有効な少子化対策には「子育てにおける男女平等」が重要であるという点を踏まえると、日本には改善の余地が大きいことがわかる。総務省の社会生活基本調査によると、16年の日本の男性の家事・育児負担割合は17%ほどで、これは先進国としては最低水準だ。

 これから日本が歩むべき少子化対策の第一歩は「男性を家庭に返す」ことである。複数の実証研究によると、男性が家庭で過ごす時間が増えると、より家庭を重視し、子育て・家事に積極的になることが示されてきた。

 筆者の研究グループでは20年、内閣府の調査から得られたデータをもちいて、テレワークの実施と子育て時間の関係を分析した。新型コロナウイルス感染症の流行下で、子供を持つ男性がテレワークを行うようになった結果、家事・育児時間が増え、仕事よりも家族をより重視するような価値観の転換が見られたことが明らかになった。まだまだ詳細な検証を行う必要があるが、テレワークなどにより家庭で過ごす時間が増えることが日本人男性の「イクメン化」に寄与しうることを示唆している興味深い結果だ。

 また、男性の育休取得推進が「イクメン化」に有効であることを示す研究もある。カナダのケベック州やスペインの研究では、男性が育児休業をとり、子供が生まれて最初の1~2カ月を家で一緒に過ごすと、3年後の家事育児時間が2割程度増えたという研究結果が報告されている。

「1カ月ほどの育休で何が変わるのか」という懐疑的な向きも多いだろうが、こうした研究が示しているのは男性の1カ月の育休は人生を変え、社会を変える1カ月になりうるという事実だ。

エビデンスに基づき政策の実行・修正を

 菅義偉政権は少子化対策として待機児童解消や男性の育児休業取得促進、不妊治療の保険適用を掲げている。

 まず待機児童解消は、女性の子育て負担を減らし就業を可能にするため、特に有効な少子化対策であり、日本についてのエビデンスも報告されている。国際比較を見ても、保育所が整備され、子供を持つ女性の就業率が高い地域ほど出生率も高い。最終的には保育所の質を確保しつつ、保育所と家庭のミスマッチも解消して、希望するすべての家庭が保育所を利用できるようになることが理想だ。

 そして既に述べたとおり、男性の育休取得促進も有効だ。大切なのは「男性を家庭に返す」ための選択肢は「休業」だけに限らないことだ。労働者の健康に留意しつつ、日本社会でよく見られる必要性の乏しい長時間労働を減らすこともそれにあたり、また、家でも仕事をできるようにするため、テレワークやフレックスタイム制などの柔軟な働き方に関する制度を導入することも効果的である。また、それらの制度を活用することに対する企業、個人にインセンティブを付与することも、少子化対策として重要である。

 一方、少子化対策としての不妊治療の有効性は明らかではない。むしろ、リプロダクティブ・ヘルス、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖における個人の自由と法的権利)を推進する政策と考えるべきではないか。イスラエルの研究では、不妊治療を無償化した結果、結婚と出産の年齢を引き上げることにつながってしまったそうだ。これでは少子化対策として期待したような効果が出にくい。不妊治療は尊重する必要があるが、年齢制限を設けるなど効果的な導入が必要だろう。

 少子化対策は待ったなしだ。日々提示されるエビデンスに基づき、無謬性に捉われず、政策を実行・修正していくことが必要である。

※少子化対策についてのエビデンスやその解釈、有効な政策の方向性についての詳しい議論は拙著『子育て支援の経済学』(日本評論社)に譲る。

山口慎太郎(やまぐち・しんたろう)
東京大学大学院経済学研究科教授/1999年慶應義塾大学商学部卒業。2006年米ウィスコンシン大学マディソン校で経済学博士号を取得。加マクマスター大学准教授等を経て2019年より現職。『「家族の幸せ」の経済学』(光文社)で第41回サントリー学芸賞を受賞。

出典:Wedge 2021年5月号

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