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超電導磁石が小型化のカギ 「重粒子線がん治療装置」の未来|【特集】諦めない経営が企業をもっと強くする[Part6]

日本独自の技術・組織・人を守れ

かつては日本企業から世界初の新しいサービスや商品が次々と生み出されたが、今や見る影もない。その背景には、「選択と集中」という合理化策のもと、強みであった多くの事業や技術を「諦め」てきたとの事実が挙げられる。
バブル崩壊以降の30年、国内には根拠なき悲観論が蔓延し、多くの日本人が自信を喪失している。
だが、諦めるのはまだ早い。いま一度、自らの強みを再確認して、チャレンジすべきだ。

今、新たな治療法として世界から注目される重粒子線がん治療。この世界最小の装置を東芝が開発した。開発と装置運用の舞台裏をリポートする。

文・編集部(友森敏雄)


 諦めなかった結果、いま大輪の花を咲かせようとしている、がんの治療用装置がある。東芝エネルギーシステムズが開発した世界最小の「重粒子線治療装置」だ。

 そもそも、重粒子線治療とはどのようなものなのか。がん治療は、①がん細胞を手術などによって直接切り取る「外科治療」、②抗がん剤を投与する「化学療法」、③X線などの光子線を照射することで、がん細胞を死滅させる「放射線治療」が一般的だ。

 重粒子線治療は、③放射線治療の一つで、炭素イオンを光速の70%まで加速させ、この粒子線をがん細胞に照射するというもの。通常、X線などは、線量が最も高いのが皮膚の表面で、体内のがん細胞に到達したときには低下するほか、通り道の正常組織の限界線量を考慮する必要がある。

 一方で、重粒子線治療の場合、がん細胞に到達する位置で線量が最大となり、読んで字の如く質量が大きく拡散しない特徴があるため、他の細胞を傷つけない。同じ粒子線でも「陽子」を使うことが欧米では一般的(装置の小型化が容易であるため)だが、炭素イオンは陽子の12倍の質量があるため、より治療効果が高いとされる。

 さらに、治療期間が短いというメリットもある。例えば、前立腺がんでは、X線治療の場合、35~39回の照射が必要となるが、重粒子線治療の場合、12回で済む。

照射回数が少ない重粒子線治療

(出所)山形大学医学部東日本重粒子センター

 重粒子線治療のアイデアは1940年代に米国で提唱され、実験が進められたが、断念したという歴史がある。これに対して、日本では84年に「対がん10カ年総合戦略」が策定され、HIMAC(医療用重粒子線がん治療装置)プロジェクトがスタートした。当時の放射線医学総合研究所(現・量子科学技術研究開発機構〈QST〉)と、東芝など民間企業が協力して装置の開発が進められた結果、94年に世界で初めて運転開始にこぎ着けた。

 これまで国内での重粒子線治療を受けた患者数は累計で2万9875人(21年8月末時点)に上る。世界では中国、ドイツ、イタリアなどで13基が稼働中で、そのうち7基は日本だ。現時点で、新規建設中が5基、20基以上の建設が計画されている。

世界最小の装置
初めて開発できたのはなぜか

 重粒子線治療装置にとってネックとなっているのが、その大きさだ。重粒子を加速させる主加速器(シンクロトロン)は直径20㍍ほどになる。また、大きさとともに、照射の仕方が問題になる。というのも、固定式の照射であれば、重粒子という強力な放射線であるだけに、斜めに照射したい時には、外すことのないように、治療台を傾けるので、患者もつらい体勢の維持が必要になる。これに対して、患者を中心にガントリーを回転させ360度のあらゆる角度から照射できるようにすれば、それらの問題がクリアになる。しかし、そうすると回転ガントリーの機構自体、巨大なものになってしまうのだ。事実、重粒子線の回転ガントリーを世界で初めて作ったドイツの施設のものでは、その全長が25㍍にもなった。

 回転ガントリーにおいて、小型化のブレイクスルーとなったのが、東芝が培ってきた「超電導技術」(極低温にすることで電気抵抗がゼロになる)だった。超電導磁石を冷却するには、液体ヘリウムを使用することが一般的だが、その分コストも高くなる。そこで、東芝では液体ヘリウムを使わない方法を開発した。世界で初めて回転ガントリーに超電導技術を使用することで小型・軽量化を実現した。常電導を使用した装置に対して、ガントリーを約3分の1、全長9㍍にした。シンクロトロンについても、この超電導技術を使うことで、7㍍まで小型化するべく現在、開発を進めている。

 この小型回転ガントリーは22年から山形大学で運用が開始されており、23年には韓国・延世大学、25年にはソウル大学への納入が決まっている。

回転ガントリー照射室。手前の治療台に患者が横たわり、重粒子線が照射される (YAMAGATA UNIVERSITY)

経営危機にあっても
諦めなかった理由

 東芝は、1959年に国内初の電子加速器を開発するなど、原子力関連の技術を積み上げてきた。同じく、超電導技術についても、単結晶シリコン製造などの産業用から研究用に至るまで、不断に技術を磨いてきた。つまり、重粒子線治療装置の小型化という課題は、東芝という重電メーカーの総合力があってこそ、実現したのだ。

 一方で、経営危機に陥ったことで、2016年には、東芝の医療部門であるメディカルシステムズをキヤノンに売却した。それでも、この重粒子線治療装置事業を手放すことはなかった。

 東芝エネルギーシステムズ・パワーシステム事業部の村田大輔ビジネスユニット長は「研究開発型で進められた重粒子線治療装置の開発は、投資が先行するばかりで、ずっと厳しい状況が続いていた。それでも、経営判断で将来への投資がストップすることはなかった。事業としての将来性があるという判断があったからだとは思うが、最後は『人と、地球の、明日のために。』という経営理念に、重粒子線治療装置が合致していたから」と話す。

 ここまで、こぎ着けた重粒子線治療装置だが、まだ課題は残る。一つは建設費で平均して150億円程度かかる。また、X線治療に比べ臨床件数が少ないこともある。しかし、海外からの関心も高く、開発を断念した米国のほか、自国製の重粒子線治療装置を開発している中国でも、「やはり日本製が好ましい」という理由で引き合いは多いという。さらなる小型化に成功すれば、陽子が先行している欧米でも、重粒子への置き換えを期待することもできるという。

 重粒子線治療装置は、企業努力の賜物である一方で、1984年に「対がん10カ年総合戦略」という国家プロジェクトとしてスタートしたという側面を持つ。今こそ、このような国を挙げての次なる種まきが求められていることは言うまでもない。

 同時に、せっかく花を咲かせたのであれば、その果実の収穫に向けてもうひと踏ん張りするべきだろう。例えば、各地方の中核都市に、重粒子線治療が受けられる拠点をつくるために、公共投資を行うといったことだ。

 前例を重視する医師の存在もあるかもしれないが、「がん大国」と言われる日本で、異論を唱える国民は少数派ではないだろうか。日本で臨床数が増えれば、外国からの患者を受け入れることはもちろん、その実績をもとに、装置を海外に輸出することもできる。日本発の「世界標準」を、ぜひとも国を挙げて育ててほしい。

ルポ・山形大学医学部
東日本重粒子センター

 8月下旬、山形新幹線の車窓から稲穂をつけたのどかな田園風景がひろがり、プラットホームに降りると20度前後の気温のせいもあって秋の気配が感じられた。JR山形駅からタクシーで15分ほど走ると、山形大学医学部東日本重粒子センターに到着する。出迎えてくれたのは、東芝エネルギーシステムズ粒子線事業技術部長の浅野真毅さん。東日本重粒子センターの建設に携わる前までは、東京電力福島第一原子力発電所で3号機の燃料取り出しのための仕事に従事していたという。

照射室の背後に設置された回転ガントリーについて説明する浅野さん(WEDGE)

 エントランスでは、何やら病院らしからぬロゴが目を引く。世界保健機関(WHO)のロゴにも使用される蛇がロケットの噴射に巻き付いている(下写真参照)。ギリシャ神話の名医であるアスクレピオスの杖に蛇が巻き付いているところから、蛇は医学の象徴とされるという。

山形大学医学部東日本重粒子センターのエントランス (YAMAGATA UNIVERSITY)

 「実は、施設全体が宇宙船をイメージしたデザインになっているのです。数字のフォントがいわゆる『NASA(米航空宇宙局)スタイル』というものが使用されていたり、患者さんの待機室の名前も太陽系の惑星の名前が付けられたりしていると聞いています」と、浅野さん。最先端技術の医療装置と、新しいこと(治療)に挑むということを上手く象徴している。いわゆる病院という感じは全くしない。

病院内の患者が通る場所は宇宙船をイメージしたデザインで統一されている(WEDGE)

 実際、治療法も変わっている。重粒子を照射される時間は2分弱。「痛みもありませんから、患者さんは何が起きているのか気づきません」と話すのは、山形大学大学院医学系研究科講師で医学物理士の想田光さん。医学物理士は、放射線治療に欠かせない存在だ。医師はがん細胞の位置を特定し、傷つけてはいけない健康な部位を決める。これに対して、医学物理士が、入射角や、どのくらいの時間、線量で照射するのか具体的な方法を決める。それを、放射線技師が実行するという役割分担になっている。「東北地方の重粒子線治療の拠点となるとともに、大学として先端治療の教育に力を入れていくことになります」と想田さん。「想田先生は、医師とわれわれメーカーのつなぎ役です」と、浅野さん。医師が考える治療法と、それを実現するための技術。両面が分かる想田さんのサポートが欠かせないというわけだ。

フレミング左手の法則で電磁力、磁界、電流について説明する想田さん(WEDGE)

 重粒子線による治療費は、先進医療に位置付けられている症例の場合は、一律で314万円。ただし、何度治療を受けても同額であり、民間保険の先進医療特約に加入していれば、全額保険で支払い可能だ。保険適用されている症例では、前立腺の場合160万円、頭頸部、骨軟部などについては237.5万円で、保険証によって1~3割の負担額となる。また、高額医療費制度も適用される(実際にはこれ以外に診察費、検査費などがかかる)。

 照射室は、21年2月に運用が開始された「固定型」と、22年5月からの「回転ガントリー型」がある。固定型では、がんの部位がずれない前立腺がん用に主に使用されている。山形県内には年間約900人の前立腺がんの患者がいて、このうち3分の1が、この重粒子線治療を受けているという。

重粒子線治療の治療部位の種類と比率

(出所)国内重粒子線6施設のホームページをもとに東芝で独自集計(2021年8月末時点)

さらなる進化に向けて
技術と人を育てる

 回転ガントリー型の照射室の奥にある扉を開けると、とんでもない巨大装置が目に飛び込んでくる。全長9㍍、200㌧の回転ガントリーの機構部分だ。これでも世界最小の大きさなのだ。ドラム状の側面には緑色のアームが取り付けられている。これこそが小型化を実現させた超電導磁石であり、東芝が世界で初めて実現させた、まさに、世界に誇る〝日本固有の技術〟だ。

この巨大機構も実際に回転する。緑の部分に超電導磁石が設置されている(WEDGE)

 「では動かします」と、浅野さんがスイッチを入れると、この巨大ドラムが回転し始める。もはや宇宙船の動力源に見えてくる。

 「ドラム部分はボルトで固定しているように分解して運ぶことができるのですが、回転リングはそのまま運ぶ必要がありました。京浜工場から仙台港まで船で運搬して、その後は陸路だったのですが、トンネルをギリギリ通せる大きさにする必要がありました」(浅野さん)。

 照射室と反対側の回転ガントリーには、シンクロトロンから送られてくる重粒子を運ぶパイプが取り付けられている。地下1階のシンクロトロンから地上2階の照射室まで、巨大磁石が連結されたパイプが走っている。

地下1階のシンクロトロンで加速された重粒子は、照射室のある2階に向かう。このような大きな装置を目の前にすると、それこそ宇宙船の内部にいるような気持ちになる(WEDGE)

 地下1階のシンクロトロンも直径20㍍と巨大だ。おおむね「9」の形をしていて、円形部分で炭素イオンが加速されて重粒子となる。「1秒足らずで、高速の70%の速度まで加速します」(浅野さん)。「炭素イオンを発生させるメタンガスのボンベです。これで10年くらい持ちます」(想田さん)。こちらは、スキューバダイビングの酸素ボンベよりも一回り小さいくらいの大きさで、ほんの少しのガスがあれば事足りるそうだ。このシンクロトロンにも超電導磁石が使われるようになれば、7㍍までにコンパクト化することが可能になるという。

 想田さんによれば、「診察時間を延長するなどすれば、より多くの患者さんに利用してもらうことが可能となり、病院の収益にもつながりますが、そのためにも医師、医学物理士、放射線技師、看護師ともに必要な人材を確保していく必要があります」。人材育成も含めて山形大学にかかる期待は大きいと言えそうだ。

出典:Wedge 2022年10月号

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