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いつか必ず訪れる台湾海峡危機 日本は覚悟と備えを持て|【WEDGE SPECIAL OPINION】台湾有事は日本有事 もはや他人事ではいられない[PART-1]

「中国が6年以内に台湾に武力を行使する危険性が高まっている」。今年3月、米国のデービッドソン前インド太平洋軍司令官がこう発言し、世界に緊張が走った。米軍内にそうした「危機感がある」ことは、紛れもない事実だろう。
 4月の日米首脳会談後の共同声明には、52年ぶりに「台湾海峡の平和と安定」が明記され、それに呼応するように欧州諸国がインド太平洋地域への関与を強めた。多くの国で「最悪の事態」が想定され、備えが進んでいる。
 国際社会がこれほど敏感に察している危機を、日本が傍観するわけにはいかない——。そんな思いから開催されたのが、日本戦略研究フォーラム(JFSS)主催の政策シミュレーション「徹底検証:台湾海峡危機 日本はいかに抑止し対処すべきか」だ。国会議員や外交・安全保障の専門家、元自衛隊幹部など総勢18人がリアルなシナリオに基づきシミュレーションを行い、その反省と教訓から政策提言を行った。
「台湾有事となればじっくり考えている暇はない。スポーツと同様、日頃からの練習と訓練が物を言う。現状、日本では今回のようなシミュレーションはおろか『座学』さえ満足にできていない」。参加者の一人、元内閣官房副長官補・兼原信克氏の言葉が重くのしかかる。
 台湾有事とは日本有事である
——。日本は戦後、米国に全てを委ねて安住してきたが、もういい加減、空想的平和主義から決別し、現実味を帯びてきた台湾有事に備えなければならない。

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文・武居智久(Tomohisa Takei)
日本戦略研究フォーラム(JFSS)顧問
三波工業特別顧問。元海上幕僚長。1957年生まれ。防衛大学校を卒業後、海上自衛隊に入隊。筑波大学大学院地域研究研究科修了(地域研究学修士)、米国海軍大学指揮課程卒。2014年に第32代海上幕僚長に就任。16年に退官。17年に米国海軍大学教授兼米国海軍作戦部長特別インターナショナルフェローを務めた。
強硬な態度を隠さなくなった中国の台頭が、台湾を脅威に晒している。日本が近傍に位置する民主〝国家〟の危機を傍観することは許されない。

 東京・市ヶ谷の防衛省前にある日本戦略研究フォーラム(JFSS)は小さなシンクタンクである。しかし志は高く、かねてより民間レベルで台湾との交流を行い、5年前からは台湾軍(中華民国軍)の現役士官を研修生として受け入れ、日台間の安全保障交流の重要性を機会ある度に政治に対して提言するなど、安全保障における日台関係の緊密化に努めてきた。

 昨年秋、JFSSは台湾海峡危機が高まる中で我が国が安全保障問題にリアルに取り組むために、政治と国民の意識を啓蒙することを目的に台湾海峡危機に関する政策シミュレーションを行うことを決め、プロジェクトを立ち上げた。

 その後、今年3月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同文書が10年ぶりに台湾海峡の平和と安定について中国を名指しして言及し、4月の日米首脳会談、そして6月の先進国首脳会談でも台湾海峡の平和と安定が盛り込まれたことで、日本ばかりでなく世界で台湾海峡危機への関心が高まった。これはJFSSにとって望ましい変化であった。

〝近くて遠い〟日本と台湾
初歩的交流すらままならない

 米国の戦略コミュニティーで対中政策と対台湾政策のあり方が積極的に議論される一方で、我が国では台湾海峡に関する危機感が共有されず、政府は従来の政策を基本的に変えるに至っていない。

〝両岸〟関係の安定は、願っているだけでは訪れない

〝両岸〟関係の安定は、願っているだけでは訪れない
(SOPA IMAGES/GETTYIMAGES) 

 政策は時折エキセントリックに適用される場合があるが、1972年に我が国が台湾と断交してから約50年にわたり、各省庁で政策立案に携わる官僚の台湾訪問が制限される状況が続いている。とりわけ防衛省では初歩的な防衛交流すら禁じられてきたことで、台湾の安全保障政策に関する知見が不足するとともに、台湾そのものに対する感度が低くなっているのではないか、との懸念は尽きない。

 かつて司馬遼太郎は台湾を「矛盾が幾重にも重なっている島」と書き、また「多くの人々が台湾の持つ苦悩についての知識をさほどに持っていない」と述べたことがある。数百年間にわたって外部からの侵入者が島を支配する歴史が終わり、台湾出身の李登輝総統による台湾人のための政治が始まったばかりの頃であった。李総統は司馬との対談の中で「台湾のために何もできない悲哀がかつてありました」と過去形で語っている。困難ではあるが今は希望がある、そういう感慨が過去形の中に含まれていたと思われる。

 台湾は88年から民主化を足早に進め、すでに西側の基準から言っても申し分のない民主共和制の〝国家〟であり、大陸中国とは全く違う政治体制の国となっている。脊梁 せきりょう山脈が南北に走る九州の8割ほどの小ぶりの島に九州の人口の倍近い約2300万人が住み、国民一人あたりの購買力平価は日本より高く、世界の6割以上の半導体を生産するデジタル工業国である。

 しかし、今後の台湾が台湾人ばかりの島となり、今後どのように経済的に繁栄しても、彼らには進む道を自ら選ぶ自由は限られている。世界はひたすら台湾海峡の現状を維持することを望み、台湾の独立を認める気配はない。台湾の安全保障は台湾人やその指導者の意思ではなく、台湾を守るという米国の暗黙のコミットメントの上に成り立っていると主張する米専門家もいる。他方で北京は、台湾と外交関係のある国々を経済力で威し、ひとつまたひとつと台湾から引き剥がしている。

 世論調査によれば、台湾の大半の人は現状維持を望んでおり独立は望んでいない。しかしそれは中国との統一を望むことと同義ではない。李総統の言った「台湾のために何もできない悲哀」はまだ基本的に続いているのではないか。

 今回の政策シミュレーションに向けてシナリオを作成するために文献を読み漁るうちに、台湾独立を標榜してきた民進党主席でありながら、現状維持を唱道せざるを得ない蔡英文総統や台湾の人々の解決しようのない閉塞感を知り、胸が締め付けられた。台湾海峡危機に対する我が国の安全保障を考える目的で始めたシミュレーションだったが、我々にとって台湾政策の根本的なあり方を考える良い機会となった。

バーチャルからリアルな危機へ
シミュレーションを行う意義

 いかなる形にせよ台湾海峡の平和が損なわれる事態は必ず我が国に波及する。かかる事態が生起したとき安全保障、経済安全保障、国民生活にいかなる影響を及ぼすのか。その影響を最小限に抑えるためには平素からどのような備えが必要か。シナリオをデザインするにあたって、我が国が抱える課題を可能な限り「見える化」できるようにするため、95年の第3次台湾海峡危機を参考にし、事態の烈度と規模を変えた4種類のシナリオ——①グレーゾーン事態が長期間継続する事態②台湾全島が物理的かつ通信情報的に隔離される事態③中国が十分な準備を整えて全面的に武力侵攻する事態、そして④中台紛争の終戦工作——を作成した。

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 最も重視した点は、2015年の平和安全法制が台湾海峡危機に関連する事態にどのように機能するか、また関連する制度や計画に欠落などがないかを検証することだ。安倍晋三政権によって我が国の安全保障政策はバーチャルからリアルの世界に入った。

 国家安全保障戦略や平和安全法制は安全保障上の事態に対応できる法制を整え、米軍の武器等防護(自衛隊法第95条の2)などすでに実施に移されている項目がある。その一方で、先島諸島や南西諸島の広域国民保護、台湾からの邦人救出と輸送など、実効化措置が十分ではない項目が少なからず残されている。すべての国家機能を安全保障上の事態に効率的に使用するための事態認定は、政府として演習されていない。したがって、今回のシミュレーションは既存の政策を検証し問題点や改善点を見つけ出す形式とした。

 シミュレーション当日は、退官して間もない官僚と自衛隊の将官、現職国会議員など、それぞれの分野で経験豊かなプレイヤーが役割に徹して活発に議論を重ねた結果、台湾海峡危機に関する我が国の安全保障政策について多くの課題を浮き彫りにすることができた。細部はJFSSの報告書に譲るが、特に次の三つの点を強調したい。

 第一は、安全保障法制や防衛諸計画に関係者が継続して習熟する必要性である。

 プレイヤーには安全保障政策に造詣の深い人々が参加したが、それでも事態認定に逡巡する場面があった。どのように優れた法律であったとしても運用する者が必要な知識と経験を欠いていれば十分に使いこなすことはできない。それ以上に、法律が目指した精神的で哲学的な部分を知らなければ、法律の文面に拘泥するあまり本質を見失ってしまう危険がある。危機管理に関わる閣僚と官僚が政策シミュレーションなどによって安全保障法制の細部にわたって習熟しておくことは危機管理として重要である。

 第二は、台湾海峡危機の抑止や対処には国民のコンセンサスが必要なことである。

 我が国の経済界には、中国との関係を平和的に維持することに対する強い要望がある。しかし、日本の平和と安全が脅かされた場合に、経済界を含めた国民全体のコンセンサスが働けば、政府が束縛なく意思決定できるばかりか、事態をエスカレートさせない抑止力になる。経済界や国民に安全保障政策を理解してもらうため、必要な施策化が急がれる。

 第三は、経済界が台湾海峡危機に正面から取り組まなければならない、ということである。

 中国には約1万3600社の日系企業が進出している。在住者約11万人の多くはビジネスマンと家族だ。言うまでもなく、全企業と日本人は中国政府の監視下に置かれ、日中間で政治的な緊張が高まればいつでもハラスメント対象となる。経済界には台湾海峡危機への備えと覚悟が不可欠である。

露呈した日本の準備不足
台湾の戦略的価値を認識せよ

 米国では中国が台湾に全面的に武力侵攻する蓋然性は高くないとの見方が強い。しかし、習近平国家主席が任期中での統一を示唆する発言を強め、国際約束を反故にして香港に国家安全維持法を適用し、西側の批判を無視して新疆ウイグル自治区の民族浄化を進めてきた事実からも、習氏の発言をレトリック(巧みな弁術論)だと片付けるべきではない。また、中国の台湾侵攻の判断が、「実際の勝利の可能性」よりも「中国指導部が考える勝利の可能性」に対する認識が重要になるという見方は少数ではなくなっている。

 台湾が中国の手に落ちれば中国は世界の半導体生産の6割を手にし、世界経済を支配する。戦略ミサイル原子力潜水艦がバシー海峡を自由に通航できるようになれば、世界の戦略核バランスは大きく崩れる。我が国は台湾の戦略的価値を改めて認識すべきだ。

 何よりも今回の政策シミュレーションが我が国の台湾海峡危機への準備不足を浮き彫りにしたことは大きな成果であった。

※シミュレーションから得られた政策提言などについては、こちらをご参照ください(http://www.jfss.gr.jp/taiwan_study_group/#5

出典:Wedge 2021年11月号


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